第74話 Penitente(Our Immortal)

 脱衣所でタンクトップを脱ぐと、胸の先端に痛みが走った。

 発生した瞬間、まるで感電したように全身を駆け巡る痛みだった。


 胸部を見る。

 乳輪が丸く膨らみ、はっきりと盛り上がっていた。

 勃起した乳首に、ガーゼの二重布が擦れたのだった。


 地上でわたしの背骨を支えていた力が瓦解する。

 脱力し、全裸のまま珪藻土けいそうどのマットに座り込んだ。


「終わった……」

 か細い声がわたしの喉から上がった。

 その音の波は消えることなく留まり、空間を震わせる。

 終わりとは点ではなく線だった。

 ずっと続く。終わり続ける。


「何も終わらないわ」

 正面からシオリの声が聞こえる。


 顔を上げることができない。

 くずおれた視界でぼやける自分の白い太腿ふともも

 そこに詰まっている中身を瀉出しゃしゅつしたかった。

 皮膚を切り裂き、血も肉も圧力もぶちまけたい。時間に耐えられないものは全て。

 骨だけになりたい。

 やっと分かった。

 わたしが標本にしたかったのは、わたし自身だ。

 わたしはわたしの今を削り取り、氷に閉じ込めたかった。

 断面を織り込んだ氷層を、四次元の果てで見渡す。

 本当のわたしとは、そうした形でしかありえなかった。

 永遠に失われた透明標本。

 向こう側の闇が透け、染色された骨の断面が叫ぶように明滅し、わたしはがばりと顔を上げた。


 見ると、シオリは骨だけになっていた。


「あなたは滑り続ける」


 ビー玉のような瞳はもう無く、眼窩の空洞がぽっかりと口を開けていた。

 そして手が触れる。

 氷のように冷たい指の骨が、両手を包む。


「生まれ変わったらあなたになりたいと思ってた。氷の上で、あなたは本当に生きていたから」


 透明な骸骨は見えなくても涙を流していると分かる。

 その源泉は心。


「これからはずっと一緒。いつでもあなたを内側から見ている。どんな痛みに襲われても、わたしはあなたと共にある」


 痛む乳首は、わたしという存在の露頭だった。

 いまやわたしは外部へと裏返されていた。

 テクトニクスは反転し、内部の氷が隆起する。

 そびえ立つ尖塔せんとうは宇宙の風に吹かれていた。

 不断に曝される、先端のあな


 ……この痛みだけは、誰にも分からない。


「本当にそうかしら?」


 深淵に光がきらめいた。


 痛みの果て。あるいは奥に。わたしたちの痛み。そう呼ぶしかないものが、あるんじゃないかしら。


「……わたしたちって、誰のこと?」


 シオリは答えずただ微笑み、音もなくわたしを抱きしめた。

 凍り付きそうなほど冷たいのに、温かい匂いがした。


彷徨さまよっていたこの時間。随分痩せ細ってしまったけど、楽しかった」


 ありがとう。


 黒髪が一筋、わたしの頬に掛かる。

 骨だけの胴に腕を回した瞬間、シオリは消えた。

 わたしは虚空を抱いていた。

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