第48話 深層凍流

 すんでのところで、衝突は避けられた。

 向こうがわたしを避けたのだった。

 れたそでが熱い。

 わたしは勢いを殺しきれず、わずかな凹みにトウピックを引っ掛け、つんのめって転んだ。


 どれくらいの時間が流れたのか。

 ずっと氷に這いつくばっていた。


「ごめん、痛かった?」

 上から声が降ってきた。


 ……痛いに決まっている。

 あごを打って舌を噛んだ。いた手のひらも、擦りむいた膝も。

 氷面に爪を立て、上体を起こす。

 ありったけの力でわたしは振り向き、叫んだ。


「どこ見て滑ってんの!? あぶなくぶつかるところだったでしょ! あんなスピードで突っ込んでくるなんて、アタマおかしいんじゃないの!?」


 顔に焦点が合うなり、血の気が引いた。

 たまらなく嬉しそうに、少年は笑った。


「……いや、まさかいるとは思わなくてさ」


 視界に闇が差す。

 それから雷鳴。どしゃぶりの雨。

 ――生まれた時のことを思い出して。

 次は本当の場所で会おう、ぼくたちの。


「……どうして、間に合ったの」

 呟きながらわたしは震えていた。

 視線の先にはスケート靴。ちゃんと足首がある。

 ジャージのポケットに両手を突っ込んだまま、少年は首を傾げる。


「もしかして、ぼくたちどこかで会ったことある?」

「覚えてないの?」

「うん、ごめん……」

 要領を得ない顔で少年は言った。知らないフリとかではなさそうだった。

 駅のホームで戯れながら渡る白線。あれは夢と現実の接線だったのだろうか。あるいは世界の表と裏。


「君、名前は?」

 ふと思いついたように少年は口を開いた。

「汐音」

 ほとんど吐息のかすれ声でわたしは答えた。

 シオン、と少年はわたしの響きをなぞる。

 そして右手が差し出された。

「ぼくは刀麻」

「トーマ?」

 手を取った途端強く引き寄せられ、自然と立ち上がる格好になった。

 わたしの目を覗き込むように顔を寄せる。

 何も映らない、真っ黒な瞳。


 その闇の底が、繋がっていると分かった。

 沈み込んでいく。果てしなく太古のスピードで。

 消えてない。止まってもいない。

 凍っているだけ。ちゃんと流れている。

 わたしの氷のテクトニクス。


、シオン。仲良くしてね」

 甘く高らかな、濁りを知らない声。

 どこよりも胸が痛い。

 この声を記憶から消すことはできない。

 叫び出したい衝動に駆られた。


 洵。もうここにはいないと分かっているのに。

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