第47話 フロンティア

 氷に上がる。


 一歩踏み出した途端、全方向から視線が張り付いた。

 発奮したスケーター。探りを入れる保護者。観察する指導者。吟味するスタッフ。

 視線の糸がわたしの一挙手一投足に連動し、束になって巻き付いた。

 皮膚が硬化する。

 ……こんなことは今まで無かった。

 全日本ノービス。バヴァリアンオープン。クープドプランタン。

 大きな大会の大きな会場で、360度観客から見下ろされても平気だった。

 なのに、今はもう身動きが取れなくなりそうだ。

 バックとフォア。何度切り替えても視線を振り切れない。

 筋肉は硬くなり、関節はきしむのに、内臓だけが柔らかくうごめいていた。


 ――フィギュアスケートは見られて成り立つスポーツだから。


 ……わたしは、やっぱり美優先生が嫌い。

 そんな視点から洵を見出した先生を、はっきり言って殺したい。


 視線は糸状の粘液だ。やがて透明なまゆになり、わたしを閉じ込める。

 苦しい。

 絶対に、この靴のせいだ。

 今、洵の世界を生きていると分かる。

 息をするだけでこんなにも苦しいのに、どうして滑るのをやめられないの?

 どうして氷をあきらめられないの?

 

 目を閉じ、呼びかけても、何も答えてはくれない。

 退路も逃げ場も無かった。

 今、ここ、わたし。端的にそうでしかありえない場所。

 それが氷上。


 ……わたしは、わたし自身に問わなければならない。

 この靴はわたしの靴なのかではなく、この靴がわたしの靴でいいのかということを。

 このままだと洵は永遠に氷上から消える。

 輪郭ごと乗っ取った世界を滑り続ける覚悟がわたしにあるか。

 天空でも水底でもない。深くも高くも遠くもない。光は落ちてこない。

 ただ一ミリのエッジの上。

 滑落かつらくと隣り合わせの、最前線。



 突然、目の前に黒い影が現れた。

 目蓋まぶたを閉じていたはずなのに、確かにそれは網膜に像を結んだ。


 見開き、凍り付く。

 すごいスピードで迫ってくる。

 避けられない。

 急ブレーキをかける。


 ……だめ。ぶつかる。

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