第22話 Hearts / Wires

 去年も選ばれていた。夏の全国新人強化合宿。


 前日までは行く気満々だった。

 でも、出発当日の朝急に嫌気が差し、新幹線に乗り換える直前、ママがトイレに行った隙にわたしは逃げ出した。

 ポケットのSuicaには三千円が入っていた。行けるところまで行こうと思った。

 そのまま高崎線に乗った。

 窓の向こう、乾いた景色が流れていくのをひたすら見ていた。


 上尾あげお

 何度も行ったことのある埼玉アイスアリーナの最寄りで、突然気付いた。

 シューズバッグを、わたしは背負ったままだった。

 リュックも携帯もママに預けてきたというのに。

 気付いた途端、急にずしりと背中が重くなった。


 結局、上尾では降り損ねた。

 遠ざかれば遠ざかるほど、背中のスケート靴は重くなっていった。

 大宮が限界だった。


 降りて、ベンチに座り込んだら、新幹線の表示が目に飛び込んできて、今から長野に向かえば合宿に間に合うかもしれない、と思った。

 ずるずると歩き、券売機が分からず、

 ——切符を買いたいんです、新幹線の。

 駅員に言うと、わたしのSuicaの残額を調べて、

 ——お母さんは?

 眼鏡をくい、と上げた。わたしが黙り込むと、

 ——どこから来たの? ひょっとして迷子?

 走り出そうと背を向けたら腕をつかまれて、

 ——もしかして君、家出じゃないの?

 そのまま半ば引き摺られるように、駅長室へ連れて行かれた。

 すぐに警察に連絡が行った。

 ――十歳前後の女児。捜索願が出ていないか。

 ――出てますね。さっき出たばかりです。


「……君、前橋から来たでしょ。お母さん心配してるよ」

 わたしは答えない。下を向き、固まっていた。

 スケート靴が背中から肉体を侵食し、石化させていた。

 呼吸は浅く、声が出なかった。


 受話器の向こうで、ママが涙まじりの声で怒っていた。

「汐音! 心配したのよ。先生も、連盟の方々も、もう大変な騒ぎになってるのよ。合宿行きたくないならそう言えばいいじゃない。聞いてるの? 何か言いなさい! どうして黙ってるの」


 怒鳴っていても、ママの声は遠かった。まるで水中で聞いているみたいに。

 どんどん遠くなって、ついには無音に沈む。鉄の塊と共に、底へ。


「……貸して」

 小さく、洵の声がした。

 

 その瞬間、石化が解けた。

 軽くなった身体はふわりと浮いて、そのまま風に乗り、線をたどった。

 気付いたら、わたしはママの白く滑らかな手から受話器を受け取っていた。


 洵の声で、わたしは言った。

 ——汐音。お前、どこにいるんだよ。


 少しの沈黙の後、わたしの耳にわたしの声がするりと届いた。


 ――洵。そうだよ。わたし。

 わたしは、ここにいるよ。

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