第13話 栞

汐音しおん

 放課後、昇降口で彩香あやかに呼び止められた。待ち伏せしていたように、下駄箱の陰から急にずいっと出てきた。

 去年まで同じクラスだった彩香に、わたしは徹底的に嫌われていた。

 彩香からすれば、わたしは「アタマがおかしい」らしい。

 ――スケートしかできない宇宙人。

 直接そう言われたこともある。

 みんな黙ってるだけで本当はそう思ってるんだからね。少しは地球に馴染もうとしたら?


 なぜ今更声を掛けてくるのかと思いきや、彩香は後ろに日本人形みたいな女の子を連れていた。つやつやの黒髪が肩口で切り揃えられている。

 あっ、とわたしは気付いた。バスケの時、洵に駆け寄ってきた子だった。

 ほらシオリ、と促されても、突っ立ったままわたしを見つめている。

 透けるほど薄い肌に、黒いビー玉が埋め込まれているような瞳。ものすごく痩せていた。黒無地のワンピースの裾からは細い脚がのぞき、ぶかぶかの布地が吹き込む風と遊んでいた。わたしは二年前に死んだおばあちゃんのことを思い出した。お葬式の時、わたしはちょうどこんなワンピースを着たと思う。


「何?」

 やっとわたしはそれだけ言った。

「……これ」

 シオリと呼ばれた子は声を震わせて、後ろ手に持っていた手紙を差し出した。

「ジュンくんに、渡してほしいの」

 青い封筒。

 印刷されたように丁寧な字で、霧崎きりさきじゅんくんへ。


 ほとんど反射的にわたしは取り上げていた。シオリはびくりと硬直したが、無視して裏返す。赤いハートのシールで封がしてあった。

 差出人の名前は無い。ため息をつく。

「だめじゃん、ラブレターには名前を書かないと。それとも中には書いてあるの?」

 かりかりとシールに爪を立てると、

「やめなよ、あんたってマジで何考えてんの?」

 彩香が割って入ろうとしたので肘で制した。

 シオリは血色も表情も無い顔でわたしを見つめている。まるで動じない様子に、わたしは爪の動きを加速させた。

「ねえ、ほんとに開けられちゃうよ! この子アタマおかしいんだって」

「別にいい。開けてもわたしの気持ちが変わるわけじゃないから」

 黒い瞳で真っ直ぐわたしを見据える。

 へえ、とわたしは手を止めた。今までの子たちとは肝の据わり方が違う。

 手紙を裏返し、また戻す。霧崎洵くんへ。文字がひらりと浮き上がっては消える。

 この素性の知れない女の子が、わたしは面白くなってきた。


「シオリ、だっけ」

 わたしは向き直った。

「洵のどこが好き? 教えてよ」

 歴代の、洵に告白してきた子たちをわたしは思い浮かべていた。

 かっこいい。優しい。勉強ができる。スポーツが上手。足が速い。

 彼女たちがもっともらしく挙げる理由。

 シオリはしばらく青白い顔をうつむけていたが、やがてきっぱりと顔を上げ、

「スケートをしてるところ」

 凛と答えた。カナリヤのようにか細い、しかし心を疑わない声。

 わたしは息を呑んだ。

「……見たことあるの?」

 かくん、とシオリはうなずく。

「四月に、アルソックアリーナでやってた試合」

 スプリングカップか。思わずわたしは舌打ちした。

 フリップとトウ以外全部すっ転んで下から二番目だったのに。

 冷たい血が駆け巡る。


「ねえ、シオリ」

 わたしは一歩距離を詰めた。シオリは後ずさるが、すぐ後ろは靴箱。背中が靴箱に付くのを見計らって、細い顎に人差し指を掛けてくいと上げた。

「よく見て」

 瞳を真っ直ぐ見据える。

「わたし、洵にそっくりでしょ。わたしを好きになれば?」

 ちらりとシオリの目に光が差した。

 ビー玉だと思っていた瞳は、黒い鏡だった。わたしが映っている。

 確かにわたしは洵に似ていた。向こうから見つめてくるわたしは、洵に見える。

 ずいぶん長いこと、わたしたちは見つめ合っていた。

 シオリは瞬きをしない。


 ぴんぽんぱんぽーん。三時より学級委員会を始めます。六年生の学級委員は、視聴覚室に集合してください。

 ……洵が、呼び出されている。


「膝、大丈夫だった?」

「は?」

「あの時転んだの、痛かったでしょう」

 目の前で、唇の両端が赤く吊り上がり、ぐらりと視界が揺れた。

 たちまち右膝に鈍痛が蘇る。

 その隙に、シオリはわたしの胸をとんと押した。

 わたしはよろめき、どすんと尻もちをついた。

 シオリのスカートが自律したように波打ち、影と肉体の境界線を隠した。

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