第7話 夕景の記憶

 学校からリンクまではバスで行く。

 長い後部座席に、わたしとじゅんだけが座っている。

 わたしは運転席側、洵はドア側の、窓際。

 間には色違いのシューズケースが二つ。

 わたしは水色、洵は青。

 

 数分前まで優先席を埋めていた老人たちは、ぽつりぽつりといつの間にか皆降りてしまった。

 見慣れた景色が窓を流れていく。

 カインズ、とりせん、ステーキ宮、つり具上州。

 平屋の店舗、立ち並ぶ看板。

 空き地が鉄条網で囲われている。売物件。

 電話番号がかすれて読み取れない。

 通り過ぎるバス停の表示もそう。風が強くて乾いているから。

 ここは、吹きさらしの町だ。

 資材置き場にトラックが入っていく。コンクリートブロックがむき出しで積まれていた。

 富士スバル、カースポット、IN。高々とした矢印の先には榛名山が見える。連なっているから山々と言った方が正しい。


 バスが大きな動きで交差点を曲がる。

 一瞬強い西日が差してきて、目を細めた。

 そのまま首の動きで、洵を見る。

 黒くて丸い頭。

 ――あなた達は本当に頭の形がきれい。

 小さい頃、ママはよくわたしと洵の頭を撫でていた。

 ――僕に似たのかな。

 パパが洗面所の鏡の前で、角度を調節しながら手鏡を覗き込む。

 その足元で、わたしは洵の、洵はわたしの後頭部を交互に見て、触った。一度も鏡は見なかった。

 わたし達に鏡はいらない。


 ずっと、洵は外を見ている。頬杖をついて、足を組んで。

 三角のてっぺんの膝小僧を凝視する。ズボンの布地がわずかに盛り上がり、しわが寄っているようにも見える。保健室で絆創膏を貼ったんだろう。

 ……転んでごめんね、とは言わない。

 エアコンの風がほのかにカビくさい。

 洵が鼻をすする。


「次は、総合スポーツプラザ前。上毛、心のふるさと、ホテルグランピア前橋はこちらでお降りください」


 心のふるさとって何だよ、といつも思う。

 降車ボタンを押す。光って、ピンポンとなる。

 洵の指先もボタンに掛かっていた。どちらが押したのか。

 光が消える。



 バス停からは少し歩く。

 歩くのは苦手だ。みんな当たり前のように歩いていてすごい。

 三歩先を行く洵も、自然に歩いているのが後ろ姿で分かる。まるで怪我なんて気にもしてないみたいに。

 わたしは、歩き方を考えてしまう。

 足を交代に出すのはいいとして、ふとした瞬間、足の裏から地面への力の掛け方、抜き方、どのタイミングで重心をずらすか、色々巡らせているうちに歩幅が小さくなって、いつの間にか止まっている。

 ここに氷上の連続性は無い。

 進むためには、足一個分。必ず差し出さなければいけない。

 天上からも水底からも、どこからも力を借りては来られない。

 止まれば止まる。

 そんな当たり前のことが、わたしには亀裂のように感じられる。


 ハッと前を見ると、洵がポケットに手を入れたまま振り返ってこちらを見ていた。

 斜めに立つシルエットがやけにひょろりと長く見え、わたしの中に確信が生まれた。

 ……今この瞬間も、洵の背は伸びている。

 黒い影はどんどん細くなり、突然ぷつりと切れて散り散りになる。

 繋ぎ止めようと影を踏んだ。

 つまずいて、また止まる。

 地面には石も溝も無い。あるのは影だけ。

 洵がため息をつくのが聞こえる。それでも、待っている。


 空が薄青くて高い。地上には層が無い。

 汗がにじむ。


「ちんたらしてていいの」

「……よくない」


 思い出し、今度こそわたしはアスファルトを蹴った。

 今日は、雑誌の取材だ。

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