第6話 透視

 突然、わたしは体育館にいた。


 床の木の模様。

 ダムダム、キュッキュッという音で、バスケだと気付く。

 コートのド真ん中。

 試合中だ。

 帽子の色は? 確認しようとしたら、


霧崎きりさき!」


 大声とともにボールが飛んできて、わたしは反射的に目を瞑り、首をすくめた。

 びゅん、と空を切る鋭い音がした。ボールを見ることも、避けることもできなかった。

 どうやら後ろの誰かがキャッチしたらしい。

 試合は中断しない。


「おい! ちゃんと捕れよ!」


 ごめん、と言おうとしたら、声が出ない。

 痰が絡んでいるみたいに、声の玉が喉に留まったまま。

 ぞっとした。こんなの今まで無かった。

 とっさに思い出す。

 

 今朝。洗面所ですれ違った時、じゅんが喉元に手を当てて、ンンッと何度かやっていた。

 ……風邪?

 でも、喉は痛くないし、どこもだるくない。


 パスを出してきたのは、大島くんだった。全然喋ったことないけど、足が速くて目立つから知っている。

 大島くんの帽子は、赤。

 ってことは、洵も今、赤チームだ。


「ぼーっとしてんな! ソッコー!」

 すかさず、わたしにはマークが二人張り付く。

 そんな心配いらないのに。


 だって、今の洵は、洵じゃない。

 わたしだ。


 パスが投げ込まれると同時に走り出そうとしたら、床につんのめって、今度は派手に転んでしまった。

 誰かがボールを外に出した。

 ピピッと笛が鳴り、試合は中断された。


「どうしたんだよ、お前ヘンだぞ」

「ジュンくん、大丈夫? さっきの当たったんじゃない?」


 すかさず一人の女子が駆け寄ってくる。

 ……洵くん?

 その呼び方に違和感を覚えた。

 六年生になった途端、男子も女子もいつの間にか名字で呼び合うようになっていた。余計なからかいから身を守るため、そして網の目をすり抜ける好意を監視するため。

 肩で切り揃えたつややかな黒髪をかき上げ、形のいい耳があらわになる。

 知らない子だった。

「ほら、血が出てる」

 そして躊躇ちゅうちょ無く洵であるわたしのひざに手を伸ばす。その白い肌の滑らかさと湿度を完ぺきに予想できた。

 わたしは思いきり手を払った。

 立ち上がり、膝にジワリと鈍痛が走る。


 痛い。


 そう思った瞬間、わたしは理科室に戻っていた。

 お尻は椅子の上。

 目の前には、カゴの中のさなぎ。

 さらさら、かりかり。みんなが鉛筆を走らせている。

 机の下、膝に手をやる。もちろん傷は無い。

 けど、じんじんと燃えるようで、確かに痛かった。


「霧崎さん、そろそろ描き始めないと」


 いつの間にか加藤先生がわたしの真後ろにいた。

 すみません、と鉛筆を持ち上げようとしたら、手が滑ってからからと床に転がった。

 身体が追い付かない。

 他人事のように、目だけ追っていた。


汐音しおん、またぼーっとしてたの」

 可憐かれんがくすりと笑って、鉛筆を拾う。


 ……うん、ぼーっとしてた。


 わたしは小さく頷いて受け取ると、ノートに目を落とした。

 紙は白いままだ。


 絵は得意でしょ。

 少しでも、描いてくれたらよかったのに。


 入れ替わりは、いつだって突然だ。

 わたし達はそれをコントロールできない。


 ねえ、洵。

 カゴの中のさなぎを見て、どう思った?

 

 わたしは。

 わたしなら。


 それを、潰してみたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る