第35話 Gift

 部屋で一人、俺は暗闇を見つめていた。


 岩瀬先生の言葉はあまりに現実離れしている。

 だが、俺とトーマに起こったことと、先生の言葉は符合ふごうする。

 その口調や目の色はどこまでも冷静で、積み重ねてきた力強さがある。


 それに、あの不思議な技は何なのだろう。

 まるで、魔法。


 ……もしかしたら、氷上でのことは全部夢なんじゃないか。


 そう思いかけて、自嘲じちょうした。

 足場を疑うなんて、いよいよ俺も焼きが回ったか。

 こうしてベッドに横たわっている今こそ、夢の中で浮遊しているみたいだ。

 生きているという実感が、ここでは薄い。


 宙を見つめる。

 暗闇を、いつの間にか金色の粒子が舞っている。

 ……ついに氷の外まで追ってくるようになったか。

 胸の傷。青痣。足首。

 傷という傷を、モヤは狙う。

 一度正体に気付いた者を、多分こいつらは逃さない。

 俺はその中心に向かって声を投げた。


「……あなたも、銀盤とやらに呪われたんですか」


 声は笑う。

 無邪気と狂気が同時に弾け飛んだ。


「とんでもない。僕は祝福されたのさ。知ってるかい? この世界には二種類の人間がいる。氷に愛される人間と、愛されない人間。愛された人間だけが、ここにたどり着ける」


 ああ、知ってるよ。痛いほどに。


「……きっとそこには、俺の妹もいるんでしょうね」

「それは、君自身の目で確かめるべきだ」


「俺は氷に愛されていないし、愛されたいとも思っていない」

 それは卑下でも強がりでもなく、闇の渦へと投下した本音だった。


 俺にとって、氷とはどこまでも敷く物だ。

 足元。世界の殻。俺のテリトリー。


「……君は不思議だな。少し前まで空っぽだった君の器には、今、二つの座が用意されている。混ざり合うのでも拒絶し合うのでもなく、陰陽の如く同居している。……興味が湧いてきたね。君の手がここに届いたら、何が起こるのか」

 誘惑的に声は艶めく。


 遙か彼方、空の上に浮かぶそこは、人外魔境か神の領域か。

 飛翔のイメージ。

 無いはずの翼が羽ばたく音がする。

 それはきっと、銀色をしている。

 俺の魂は諦めが悪い。


「……ええ。きっと辿り着きますよ」


 そして、その名を白日の下にさらす。


「それにしても、世界の中心の名前を覚えていられるなんて。君は一体どんな手品を使ったんだ?」

「……うるさいのがいるんですよ。とびっきりにワガママで、可愛い奴がね」


 暗闇に微笑み、そっと目蓋まぶたを閉じた。


 スマホの中。

 とっくに使われていない電話番号。

 そこに、メモが残されていた。


 銀盤。


 ちゃんと、美しい名前が与えられていたんだな。

 ……こんな悪戯いたずらをするのは、お前しかいないだろ。

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