第22話 トロントの夜

「あれに対抗する音楽を、お前は見つけなきゃいけない。期限は一週間。そこを過ぎたら、俺が決める」


 暗い天井を見つめながら、俺は岩瀬先生の言葉を思い出していた。


 一つ、思い当たるものがあった。

 思い当たるというより、引っかかるもの。


 去年の夏、トロントでのスケート合宿。

 ホームステイ先の家は両親が留守がちで、大学生の息子の悪友のたまり場になっていた。

 出入りするチンピラに好奇の目で舐め回されるのが不快だった。

 向こうに住んでる寒河江さがえあきらに「俺の家に来る?」と同情された。

 行かなかったが。


 最終日、疲れていた俺は早く眠りたかったのだが、件のホストブラザーに、上で映画を見てるからお前も来いよ、と誘われた。

 ニヤつきの消えた真顔に妙な迫力を感じ、言われるがまま二階へ上がった。

 扉を開けると既に映画は始まっていて、薄闇の中、画面に照らされた五人の顔が一斉に振り返って俺を見た。


 俺はなぜかテレビの真ん前に案内された。

 テーブルの上には、酒瓶。

 筋肉質の白人とヒスパニックの男に挟まれ、これはいざとなったら逃げられないかもな、と伏し目で退路を探していた。


 だが、彼らは真剣にその映画を見ていた。

 俺の存在など特段気にも留めず、魅せられていると言っていいほど画面に見入っていた。

 きっともう何度も見ているのだろう。

 時々ワンカットで入るサブリミナルを指差しては、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 さながら少年達の秘密基地。

 そこへ特等席で迎え入れてくれたというのは、彼らなりのフェアウェルの形だったのかもしれない。


 生憎あの時の俺は眠気と闘うのに必死で、内容は頭に入ってこなかった。

 せめて字幕が欲しかった。

 朦朧もうろうとした意識に深く沈み込むような音楽が、やけに心に残っている。

 不穏なノイズ。

 タフなビート。

 ストイックなミニマルミュージック。


 あの映画の名前は何だっけ。


 最後、ブラッド・ピットが消えた。

 なぜ消えたんだ? 


 主人公の、エドワード・ノートン。

 彼は本当は誰と殴り合っていたんだ?

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