第13話 フィギュアスケーターの条件

「第一発見者が俺でよかったな。星先生だったら、まず間違いなくお前ら謹慎だよ。神聖なリンクで何やってるのかって」


「……別に報告してくれても構いません」

 いつになく反抗的な俺の態度に、岩瀬先生は柱に寄り掛かって溜息をついた。


「しないよ、いちいち。子供の喧嘩だろう。別に続けてもいいよ、俺はここで見てるから。……もっとも、そっちの彼はそのつもりなさそうだが」


「俺はもういいです。プラマイゼロだし」

「何がプラマイゼロだ、それじゃこっちの気が済まないんだよ」

 苛立ちは収まらない。

 きんきんと自分の声が響くのがまた不快だ。


「それなら、後は試合に持ち越そうぜ。……俺、今日はもう帰るわ」

 そう言って、トーマはきびすを返してリンクを出ようとした。

 その肩に噛みつくように俺は声を投げた。


「俺は今季からシニアに上がるんだ。それにな、お前のやってるのはフィギュアスケートじゃない。お前がフィギュアスケーターだなんて、俺は認めない」


 振り向いたトーマの目が、研ぎ澄まされた刃物のように鋭く光っていた。

 挑発してきた時よりも、殴った時よりもぎらりと強く。


「……じゃあ、なってやるよ。俺は、フィギュアスケーターになる」


 固い意志を込めて、トーマは言った。

 その声は、鏡にこだまして、何倍にも増幅されて俺の耳に届いた。


 リンクを降りる時、トーマが氷の欠片につまずいたのを、俺は見た。

 それは、初めて見た、氷上でバランスを崩したトーマの姿だった。


「おっかしいな、やっぱこの靴、もう合わないのかな」

 呟いた黒い背中に、金色の粒子がチラついたように見えた。

 目を凝らそうとした時には、もう消えていた。



 ドアが閉まり、トーマの影が消えると同時に、岩瀬先生が口を開いた。

「お前が人を殴るなんて驚きだ」

「……すみません」


「いや、ちょっと感動してる。それより、シニアに上がるって言ったな。本気か? エストニアの楽屋裏で白河と話してたのを聞いたぞ。確か、クワドなんか考えたこともないとか言ってたが」

 言葉を返せず、俺は黙り込む。


「まずは、クワドだな。一本でいい。早速プログラムに入れよう。当分シニアはお預けだ。今季は、存分にアイツとやり合ってこい」


 一本でいい? 

 ……軽々しく言ってくれる。

 だからクワドジャンパーは嫌なんだ。

 四回転は人間業じゃない。

 世界中が、俺達フィギュアスケーターを生けにえにして、祭壇に捧げているみたいだ。


「……随分お気に入りみたいですね、芝浦刀麻が」

「冗談じゃない。一番嫌いなタイプだよ。直感で分かる。……あいつは、達也にそっくりだ」

 あくまで涼しい顔で、岩瀬先生は呟いた。

 俺は思わず真人と顔を見合わせた。


 達也って、溝口みぞぐちさんのことか? 


 ソチ五輪金メダリスト。

 入江いりえ瑞紀みずきと並ぶ、日本フィギュアスケート界の至宝。

 どちらも、五輪で金メダルを取ると、消えるように引退した。

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