第8話 理由は俺の手の中

「遅くなってごめーん」


 真人まなとの素っ頓狂な声で、俺は現実に引き戻された。


 おう、と言ってトーマは立ち上がった。

 その背の高さに、思わず見上げて驚く。

 全身黒ずくめの立ち姿を前に、壁という単語が脳をぎり、俺は反射的に頭を振った。


「ねえねえ刀麻君、北海道の人ってみんなフィギュアとスピード両方やるの?」

「やんない。てかさ、LINE交換しようぜ。ここ来るのにちょっと迷って不安だった。なんか変な門あるし」


 いいよー、と暢気のんきに真人がスマホを取り出したのも束の間、なぜか俺のスマホが震えた。


「……何勝手に俺までグループに入れてんだよ。消せ」

「いいじゃん。だって僕、男子部員嬉しいんだもん」


 一年スケートボーイズ。

 浮ついたグループ名に舌打ちをする。


 ……そもそも、こいつは本当に入部するつもりなのか。

 女子に比べれば男子の選考基準は甘いとはいえ、榛名のスケート部は古豪こごうの狭き門だ。

 トーマがあの鉄面皮てつめんぴ揃いのお眼鏡にかなうかどうかも分からないというのに、真人は先走りすぎだ。


 すぐにグループを抜けようとしたが、画面上のトーマのアイコンが目にとまり、思わず食い入るように見た。


「……これ、君の知り合い?」

「ああ、それイイ写真だろ。中学のスケート部の奴ら」


 船木ふなき英治えいじ

 全中のスピード部門のMVPじゃないか。

 種目は覚えていないが、合同表彰式で派手な見た目をしていたから記憶に残っている。


「彼と、いつも滑ってたってこと?」

「エイジ? そうだよ。去年まで俺が持ってた道内レコード、そいつに塗り替えられた。たった二ヶ月でさ、信じられる? 一秒だぜ。500mで一秒はでかすぎる」


「……どうして、スピードをやらないんだ?」

 え、とトーマは饒舌じょうぜつな話しぶりを止めた。

 空気がしんと沈む。


「君、相当な実力者だよね。スピードスケートは個人競技だし、伊香保まで足を伸ばせば専用リンクだってある。それとも、まさか……」


 フィギュアの腕は、それ以上だと言うのか。

 そう続けようとした俺に、


「……もう一度、生まれなくちゃいけないからな」

 リンクを横目で見ながら、芯のある声で呟いた。

 それは独り言のように小さな声だったのに、ぞっとするほど鮮明に俺の脳に響いた。


「なんてね。まあ、俺には俺の理由があるってこと」

 そう言ってトーマは屈託なく笑った。


 ……本当に、こいつといると調子が狂う。

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