第14話 神殺しのプロトコル

「はっきり言うぜ。お前は、シバを神格化してる」

 エイちゃんは鋭い目で僕を見つめ、一息に言った。


 神格化。

 聞き慣れないその単語に、神の一文字が入っていることに気付く。

 すぐさま、氷神という言葉を思い起こした。

 シバちゃんのあだ名。


「確かにシバは速い。ちびりそうなくらいにな。……したけど、オギだってイイもん持ってるべ」


 急に僕の話になったので、動揺で肩が震える。


「俺、初めてお前の滑りを見た時のこと、今でも覚えてるよ。こんなに無駄の無いフォームで滑る人間がいるのかって、びびった。……俺が怖いと思ったのはさ、シバじゃなくオギの方だよ。俺は生まれて初めて、同い年の奴を怖いと思った」


 エイちゃんの瞳は潤んだように光っていた。

 ナイフのような鋭さは鳴りを潜めている。

 しばらく沈黙が場を支配した。

 

「……僕は、そんなにたいした奴じゃないよ」

 いつの間にか、ぽつりと僕はこぼしていた。

 呼び水のように、言葉が溢れ出す。


「それに、フォームの話はもう聞き飽きてるんだ。だってさ、僕、結果が出せてないでしょ。シバちゃんとの対等な勝負なんて、僕には無理。できないよ」


 そうだ。

 どうせ、僕には無理なんだ。

 できるわけがない。

 自分が一番分かっていることを、人に言わなきゃならないのがつらい。


 再び、沈黙が流れた。


「……これは、昔スポ少の監督が言ってたことなんだけどさ」

 低い声でエイちゃんは前置きした。


「スケートで大切なことは二つあるって。一つは、正しいフォームを身につけること。そして、もう一つは、そのフォームを維持すること」

 言いながら、エイちゃんは人差し指と中指を立てた。


「俺は、正確にオギのことを評価できる。だって俺は三年間見てきたからな。どんなにスランプに陥っても、正確で地道な練習を積み上げてきたお前を。その結果、お前は三年間フォームを崩さなかった。背が伸びて筋肉がついて……日々体格が変わっていく中、腕の角度や腰の高さを絶えず精密に調整してくのは、並大抵のことではなかったはずだぜ」


 強固な瞳で真っ直ぐに僕を見ながら、エイちゃんは言った。

 僕はその言葉を聞きながら、目の前を塞いでいた分厚い固い壁が、一気に氷解していく気がした。


 もしかしたら、と思った。


 もしかしたら、僕のことを一番見捨てていたのは、僕自身なのかもしれない。

 僕のことを一番諦めていたのも、僕のことを一番見ないふりしていたのも、僕自身なのかもしれない。

 シバちゃんへの憧れを、隠れ蓑にして。


「……お前、シバとのタイム差何秒だ?」

「五秒……正確には、4.72」

 ハッ、とエイちゃんは笑い飛ばした。


「1000mで四秒台なんて誤差みたいなモンだべ。……いや、単純計算で500mなら2.36か。ちょうど俺とシバの500mの差と同じくらいじゃねーか、決めた」

 エイちゃんは僕の肩に手をかけた。


「俺は500mに照準を絞る。あいつの一番得意な距離で、あいつを墜とす。だから、オギ、お前は1000mに照準を絞れ。4.72秒。それがお前とシバの差だ。それ以外に壁は存在しない。縮められるだろ」

「うん、できる。できると思う」

 

 僕は腕の中のスケート靴を強く抱きしめた。

 ずっしりと重く、体温で温まった僕の靴。


 エイちゃんは着火してもう消せないというような燃える瞳をしていた。

 きっと僕の瞳にも炎が宿っていたと思う。


 早く氷上へ行こう。

 この炎が消えないうちに。


「でも、なしてエイちゃんまで?」

「……なしても、だよ。俺は俺で、やると決めたんだ」


 エイちゃんの言葉は答えになってないけれど、それで良かった。


「なして」なんていうのは、ひどく無粋な質問なんだ。


 だって、僕らはスピードスケーターだから。

 たとえ相手が神様であっても、誰よりも速くあろうとする生き物だ。


 そうだ。

 僕はずっと、そうあるべきだったんだ。

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