第13話 ダイヤモンドダスト、あるいは幻影
翌朝、エイちゃんからの電話で僕は目が覚めた。
部活はオフなのにと思ったら、自主練の誘いだった。
「俺はとにかく、家でじっとしてたくねーんだよ」
電話越しのエイちゃんの声は、浮き足立って聞こえた。
僕は下のベッドで寝ている弟を放って布団から抜け出し、朝ご飯を適当にかき込み、出かける準備をした。
「どこ行くのー? 今日土曜日でしょ」
寝室から夜勤明けのお母さんが目をこすりながら顔を出す。
「自主練!」
バッグを引っつかみ、僕は外に飛び出した。
空気が白くちらちらと輝いていた。
ダイヤモンドダストだ!
久しぶりに見た。ていうか、この冬初だ。
道理で耳がもげそうなほど痛くて寒いと思った。
僕はニット帽を深くかぶり直した。
ダイヤモンドダストはね、触ることができないんだ。
キラキラと輝く氷の粒は、手を伸ばしても絶対にすり抜けてしまう。
きらめきは次の瞬間には消え、かと思うとすぐ隣にまた新しいきらめきが生まれる。
それが幾つも重なって、まるで氷のレースのカーテンのようで、その様子を見つめていると、氷の粒とその先の景色の距離感が分からなくなる。
しまいには自分の立っている場所まであやふやになってきてとても怖いのに、僕はいつまでも眺めていたいと思う。
……でも、生憎ダイヤモンドダストの現れる時間は短い。
校庭に着く頃には、もう太陽が空気を暖め始め、ちらちらと光る氷の粒はどこにも見えなくなっていた。
部室には鍵が掛かっていなくて、ドアを開けると、もうだいぶ暖かくなっていた。
僕より先に来たエイちゃんがストーブを付けていたのだった。
エイちゃんはもうウェアに着替えて準備運動を始めていた。
「おはよう、エイちゃん。ねえ、見た?ダイヤモンドダスト出てたね!」
「マジで。俺全然気付かなかった」
エイちゃんはヘアバンドを上げながら大して興味が無さそうに言った。
僕は少しがっかりした。
でも、冷静になってみればダイヤモンドダストなんてそこまで珍しいものでもない。
……子供じゃあるまいし。
はしゃいでいた自分が恥ずかしくなって、さっさと着替えることにした。
「……オギ。お前、1000mに照準を絞れ」
「へっ?」
唐突なエイちゃんの言葉に、僕は思わず間抜けな声を出してしまった。
エイちゃんは準備運動の手を止め、真っ直ぐに僕を見ていた。
「昨日の滑りを見て、俺は確信した。……お前、本当はスプリンターだろ」
エイちゃんの鋭い視線と言葉が僕に刺さった。
図星だった。
確かに、僕は1500mが得意と言っているけれど、本当は短距離が好きだった。
中学に入る前は、ずっと1000mをメインにやっていた。
でも、シバちゃんが短距離で頭角を現すうちに、僕は自然と、まるで道を譲るみたいに、中距離にシフトした。
誰に何を言われたわけでもないのに。
「……でも、タイム遅いよ」
ボソリと言ってファスナーを上げ、ケースからスケート靴を取り出す。
「それは、1500mをメインにやってきたからだべ」
エイちゃんは詰め寄って、僕の目の前に立った。
靴を履くためにベンチに座ろうとしていた僕は、そのまま立ちすくむしかなかった。
両手に抱えた靴がいつになく重い。
けれど、エイちゃんは構わず言葉を続けた。
「いつまでも自分をごまかしてんじゃねえぞ、オギ。お前、シバに憧れすぎて、あいつと闘うことから逃げてねえか。その靴は何のために履く? 何のために氷に乗る? ……スピードスケーターなら、誰よりも速くなることにこだわれよ」
言葉は鉄の矢のように僕の胸に刺さった。
重く、痛く、冷たく、僕の心臓を捉えて放さなかった。
エイちゃんの言うことは、何もかもが本当だった。
あまりにも決定的で、だからこそ、僕は何も答えられなかった。
その代わり、僕はずっと気になっていたことを口にした。
「……エイちゃんはさ、シバちゃんと滑っていて、怖いと思ったことはないの?」
「怖い? 無いよ。なして?」
エイちゃんは何を馬鹿なことをと言わんばかりに、目を丸くした。
僕は細く息を吐いた。
「……僕は、いつもそう思ってるからさ。僕の方こそ、なして? って聞きたいよ。なして、シバちゃんが怖くないの?」
「だってあいつ、人間だべ。俺やお前と同じ」
一ミリも躊躇無く、エイちゃんは言い放った。
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