第6話 スプリントでは敵わない

 校庭のリンク脇にある防寒小屋が、スケート部とホッケー部の部室代わりになっている。


 先生から呼び出されて時間を食ったのに、ドアを開けたらやっぱり僕は一番乗りだった。

 鼻水が凍りそうなほど寒い。

 ……これじゃあ、外と変わらないよ。


 早速ストーブを付ける。

 カチ、と火が点って灯油の臭いがした。

 僕は荷物だけロッカーに放り込み、手袋を履いたままの手をストーブにかざして温かくなるのを待った。


 ここのところ僕はいつもストーブ係だな。

 何だか気持ちが焦って、気付くと誰よりも早く部室に来ている。

 申し訳程度に暖を取ったらさっさと着替えてアップをして、誰よりも先にリンクに出る。


 才能の無い奴は、練習の量を積むしかない。

 努力は人を裏切らないというけれど、僕にはもう努力しかアテに出来るものが無い。

 ……なんて、こんな言い方は、少し悲観的かもしれないけど。



 先週の日曜日、久々にスポ少の練習に参加したら、芝浦監督にこう言われた。


「雷のフォームは綺麗だぞ。俺はいつもお前のフォームをお手本にしれ、と子供達に言ってるからな」


 フォームが綺麗だからって、一体何だって言うんだろう? 

 僕は他校の監督や選手にもフォームを褒められることが度々あるけれど、はっきり言って全然嬉しくない。

 たとえその相手が芝浦正輝という元オリンピック選手だとしても。


 格好なんてどうでもいい。

 スピードスケーターにとっては、一番速いフォームこそが一番理想のフォームなんだから。


「でも監督、僕はシバちゃんみたいに速くなりたい」

「刀麻みたいに、か……」

 監督は神妙な顔をして首をひねった。


「刀麻はな……あいつは、ちょっと違うんだわ。真似しようと思ってできるもんじゃないよ。……雷さ、お前スケートやってどうなりたいんだ?」

「さっきも言ったでしょ。シバちゃんみたいに速くなりたいよ」

 僕が即答すると、監督は深く溜息をついて、だからさぁ、と頭を掻いた。


「お前、刀麻のことばかり追いかけてると、そのうち自分を見失うぞ。あいつがいなくなったら、どうするべや?」


「いなくなる? なして? シバちゃん、どこかに行っちゃうの?」


「……例えばの話な。それに、一生刀麻とおてて繋いでってわけにもいかないべ」

 監督は俯きがちに言った。


 例えにしてもショックで、僕の胸は嫌な感じにドクドク鳴った。

 だって、スケートを始めてからずっと一緒だったシバちゃんと離れるなんて、想像もつかない。


 僕にとってのスピードスケートは、シバちゃんの後ろ姿。

 あのとてつもなく速い背中に少しでも近付きたくて、夢中で追いかける。

 それが、僕にとってのスケートだ。


 でも、考えてみれば監督の言う通り、ずっと一緒ってはずがないのも当たり前だ。

 そもそも僕はスケート部の無い西陽高校に行こうとしているし、シバちゃんは……


 そうだ、シバちゃんは、どこの高校に行くつもりなんだろう?

 赤檮や北体大附属を蹴ってまで。


 監督はシバちゃんのお父さんだから、当然知っているはずだ。

 聞いてみたい。

 でも、こういうことはちゃんと本人の口から聞かなきゃ。


 どんどん表情が険しくなっていく僕を見て、監督は中腰になり、両肩に手をぽんと置いた。


「雷、そのままでいけ。何も迷うことはないぞ。お前のフォーム、本当にどこもいじるところが無いんだわ。そういう奴はなかなかいないんだぞ。だから、自分を信じろ」


 監督の目は真っ直ぐで、慰めや誤魔化しで言ってるのではないというのは伝わった。

 でも、僕は言葉を返せなかった。

 だって、僕なんか迷ってばかりだ。

 ここのところもう二ヶ月もタイムが伸びていないのに、そう簡単に自分を信じられるわけがない。

 そして、全道大会はあと二週間後に迫っている。


 シバちゃんはまず間違いなく500mで全国に行くだろう。

 エイちゃんも500mか1000mで十分可能性はある。

 

 だけど、僕はこのままじゃダメだ。

 1000mは予選通過すら厳しそうだし、得意なはずの1500mも最近じゃスタミナの配分が分からなくて、滑っていてイライラするだけだ。

 バテると真っ先に脚に来て、コーナーワークが乱れる。

 シバちゃんのように爆発的なロケットスタートも、バックストレートでの加速もできない僕は、コーナリングが唯一の生命線だ。

 とにかくあと二週間、滑りまくってスタミナを付けなきゃ。


 僕はスプリントではシバちゃんとエイちゃんには敵わないんだ。

 だから、せめて中距離の1500mに賭けるしかない。

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