第5話 宙吊りのスカウト

 放課後、職員室へ行ったら、濱田先生は面談ブースに僕を連れ込むなり話を切り出した。

「芝浦のことなんだがさ……」


 てっきり自分の志望校について言われるのかと思いきや、シバちゃんのことだったので、僕はちょっと面食らった。


「お前、あいつに最近何かあったか知らないかい?」

「いや、特には……」


 僕が知りたいくらいだよ、と心の中で付け足した。

 濱田先生はブースの外に目を遣り、他の生徒がいないのを確認すると、


「あいつ、赤檮いちい学園のスカウトの話、断ってきたんだよ」

「えっ」


 僕は驚きのあまり大声を出してしまい、先生は咄嗟にしっ、と口に指を当てた。


 日本で一、二を争うスピードスケートの名門赤檮学園のスカウトを、シバちゃんが断った? 

 僕はまだ事態が飲み込めない。

 先生は小声で続けた。


「実はその前にも北体大附属のスカウトが来てたんだが、あそこは苫小牧だべ、だから寮に入るのが嫌だって言ってさ……。したけど、赤檮は芽室だべ? 家からも通えるし、断る理由なんか無いと思うんだが……あいつ、何か悩んでないかい?」

「うーん。確かに、最近少し元気無い気もしますけど……。でも、僕も分かりません」


 北体大附属の話も初耳だった僕は、頭の中がぐるぐるしていた。


 シバちゃん、本当にスカウトの話が来てたんだ。

 そんなこと、匂わせてすらいなかった。

 僕はブースの仕切りのシミをじっと見つめながら、どうして、と思った。


 先生は顎髭を撫でて、ふーむ、と間延びした声を出した。


「そうかい。まあ、あいつ、滑り自体は良くなってるもんなあ。荻島が知らないなら、誰も知らないべな。時間取らせて悪かったわ。どうもな」


 そう言って、先生はもういいぞと言わんばかりに僕の背中をぽんと叩いた。


「じゃあ、失礼します」

 ブースを出ようとすると、


「あっ、荻島。この話、くれぐれも内密にな。特に、船木には言わないでくれ」

 先生は人差し指を唇に当てて見せた。

 僕は小さく息を吐いた。


「……分かりました」


 先生は似合わない下手くそなウインクをして、じゃ、部活でな、と手を振った。


 こういうことがあるたび、自分が先生から信頼されているのか舐められているのか分からなくてモヤモヤする。

 僕のようないかにも優等生って感じの生徒は絶対に口外しないと踏んでるんだから、あーあ、教師って嫌だなあ。

 別に濱田先生のことが嫌いってわけじゃないけれど、何だか胸がささくれ立つ。


 それに濱田先生、スケート部の顧問なのに、シバちゃんやエイちゃんばかり気にして、僕のことはどうでもいいのかよ。

 僕はスケート部の無い西陽高校に行こうとしてるんだぞ。


 ……なんて、頭の中で捲し立ててみても怒りはすぐに宙に浮いて消える。

 だって、僕が先生だとしても、きっと僕のことなんか気にしないと思うから。


 シバちゃんが赤檮の推薦を断ったって聞いたら、エイちゃんは何て思うだろう。

 エイちゃんは夏休みに赤檮の見学に行って、体育科の施設がすごい、屋内400mリンクが隣接していてすごい、とにかく練習環境がすごいと目を輝かせていた。

 あんなに絶賛していたんだもん、絶対赤檮に行きたいだろうな。



 そういや、昔はエイちゃんの方が速かったんだっけ。

 小六の阿寒スプリントの500m決勝では、うちのエースのシバちゃんと隣のスポ少のエースのエイちゃんの一騎打ちで、エイちゃんがシバちゃんに1.57秒も差をつけて優勝した。

 けれど、中学で一緒になって一年もしないうちに、あっという間にシバちゃんがエイちゃんを追い抜いてしまった。

 スポ少時代はフィギュアの練習のために時々陸トレや氷上練習を休んでいたシバちゃんが、中学に入ってからはあまり休まなくなった。


「フィギュアの大会にはもう出ないからいいんだ」

 その言葉を、僕ははっきりと覚えている。


 そうだ、あの時から、シバちゃんは一気に速くなったんだ。

 まるで何かを振り切るみたいに。

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