第4話 氷上のディスタンス

「荻島。放課後、部活の前に職員室来てくれ」


 片付けをしていたら濱田先生に呼ばれて、ドキッとした。

 進路調査票を見られたのかもしれない。

 

 担任にせっつかれて提出した進路調査票の第一志望には、帯広西陽高校と書いた。

 西陽にはスケート部が無い。

 それを承知で僕は第一志望に決めた。


 もちろん、部が無くたって個人で大会に出場できるけれど、今の僕にはそんな気も薄い。

 不器用な僕にはスケートと勉強の両立が難しい。

 今だってまさにそのことを痛感している。


 スケート部は、三年生でも年明けの北海道大会まで活動する。


 その後で受験勉強に本腰を入れても遅すぎるから、僕は夏からコツコツと勉強してるけど、流石に大会二週間前ともなってくると勉強には身が入らない。

 追い込み練習の後じゃ机に向かう体力も残っていない。

 直近の模試では判定はB。まだ安全圏じゃない。

 西陽高校はサイエンススクールに指定されていて毎年人気が高い。


 僕は何となく、大学に行きたいと思っている。

 大学に行って何をしたいかは分からないけれど、一度この帯広を、いや北海道をも出て、別の世界を見てみたい。

 そういう気持ちが僕の中に芽生えているんだ。


 倉庫の前ではエイちゃん達が、雪合戦だかレスリングだか分からない乱戦を繰り広げていた。


「オギ! 俺に加勢しれ」

「やだよ。それより片付け手伝って」

「そんなのホッケー部に任せときゃいいべや。あいつら、仕舞う場所が違うとかいちいちうるせーもん」


 エイちゃんは頭に雪玉を食らい、不意打ちやめれや、と叫んで相手を追っかけて行ってしまった。

 やれやれ。


 片付けに戻ろうとすると、向こうからシバちゃんが防具のカゴを抱えて来るのが見えた。


「あっ、シバちゃん、僕持つよ」

「なんも、これで最後だから」


 シバちゃんはコートの裾をはためかせて倉庫へ歩いていった。

 雪とのコントラストで、黒いコートのシバちゃんの背中はいつもより大きく見える。

 その背中が遠ざかるのを見つめながら、僕の悩みはスケールが小さい、と思った。


 シバちゃんは先週の記録会で500mの道内新記録を樹立したばかりだ。

 年明けの全道でも上位に入って、間違いなく今年も全国に行くだろう。

 きっとあちこちの強豪校からスカウトが来る。


 そのせいなのかどうなのか、最近のシバちゃんはどこか張り詰めている。

 教室でも部活でも、ふと気付くと、唇を堅く結び眉根を寄せて、険しい目で遠くを見つめている。

 それでも話し掛ければ、何でもないと言わんばかりに、いつものニッとした笑顔で「なした?」と応えてくれる。

 だから尚更、僕は寄せ付けられていないと感じてしまう。


 シバちゃん、今、何を考えていたの? 

 ……そう訊けたらいいのに。

 どうして訊けないんだろう。


 思い返せば、昔からシバちゃんはあまり自分のことを話さなかった。

 話すことといえば、スケートのことばかり。

 でも僕はそれに満足していたんだ。

 だって、シバちゃんとスケートを滑ってスケートについて語って、いつでもどこでもスケートスケートって、それが本当に楽しかったから。


 けど、僕はそれを当たり前に思いすぎていたのかもしれない。

 シバちゃんが何を感じ、どんなことで悩み、どういう気持ちを抱いているのか、今の僕には分からない。


 これって要するに僕は、シバちゃんがどんな人間かを全然知らないってことになるんじゃないだろうか。

 だとしたら、僕たちは元々近くにいたんじゃなくて、本当はすごく遠くて、その距離にやっと僕が気付いた。

 そういうことに、なるんじゃないだろうか。

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