第13話 前橋FSC
「朝霞先生、こんばんは~」
「ねえ先生! 昨日のショート超やばかった、うち霧崎先輩の五回は見た」
「てか、男子だ! 男子がいるんですけど!」
「ねえねえ先生、その人誰? 彼氏? ついに彼氏?」
「見学の子よ。ねえ、そういうのほんとやめて。信用問題に関わってくる」
お喋りの猛攻を、私は必死に抑える。
初対面の女子達に好奇の目で見つめられ、たちまち刀麻君は居心地が悪くなったようだった。
「……すみません、俺帰ります」
下ろしたリュックを背負い直し、踵を返そうとした。
「待って、これからどうするの?」
「ホテルに戻ります」
「ウソ。伊香保に行く気でしょ。あなた、目がマジだもん。あそこは、今から行っても帰って来れないよ。いくら北海道出身でも、あんな山の上で夜明かしなんかしたら凍死しちゃう」
すると、横から渚ちゃんが
「てか、ロープウェーもう動いてなくない?」
と突っ込んできたので、それもそうね、と返した。
刀麻君は唇を結んで、黙り込んでしまった。
横に逸らされた目は、ガラス越しにリンクの氷面を見ていた。
焼き溶かしてしまいそうな、レーザーの視線。
私は直感で気付いた。
この子、滑りたいんだ。
「……刀麻君。あなた、靴は持ってる?」
「持ってない。本当は持ってきたかったけど、受験のために来ただけだから。そもそも受験決まったの自体が急だったし、バタバタしてて、この一ヶ月間は正直スケートどころじゃなかった」
淡々とした口調に、情念が脈打っているのを感じた。
直感は確信に変わった。
この子は、氷に飢えている。
「貸靴でいいなら、今から私のレッスン中に滑っていいわ」
「ほんとですか? あっ、でも、俺フィギュアのクラブには……」
躊躇いながらも、目がぴかぴかと輝いている。
「今日はちょっと特別な日なのよ。霧崎洵って知ってる?」
ダメ元で訊くと、
「知ってる、前に一度テレビで見たことある」
やけに生き生きと答えた。
「うちの生徒なんだけどね、今エストニアでやってる世界ジュニア選手権に出てるのよ」
刀麻君の目が一瞬ぎらりと鋭く光った。
「……ここって、そんなにすごいクラブなんですか」
「そうよぉ。……と言いたいところだけどね、残念ながら洵君は別格なの」
私の言葉に、一連のやり取りを見ていた女の子たちもうんうんと頷いていた。
「……あいつ群馬の選手だったのか」
ふと独り言のように刀麻君は呟いた。
北海道にまで名を馳せるなんて、洵君も随分有名になったものだ。
去年までは、ファンの間ですら殆ど名を知られていなかったというのに。
「八時頃から彼の演技が始まるから、クラブの皆でテレビで応援するつもりなの。その間リンクはフリーだから、刀麻君使っていいよ」
「ありがとうございます」
白い歯を見せて刀麻君は笑った。老成した瞳が目蓋で隠れる。
笑うと完全に子供だな、と私は思った。
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