第20話 ジレンマ

 暗い部室で一人、俺は椅子に沈み込んでいた。


 彰が、スケートを続けている。

 ……そのことは、純粋に嬉しい。

 できることなら、その喜びだけを噛み締めていたい。


 だが、スケート靴を履いた彰のイメージには、すぐさま「次会う時は氷上」という言葉が上書きされる。

 それは壮大なプレッシャーとなって、選択を突き付ける。


 さあ、枷は外された。

 自由になったその足で、闘うのか、逃げるのか。


 よし、と素直に復帰を決められたらどんなにいいだろう。


 だが、この眼鏡。外して手に取る。

 目に映る全ての物の輪郭がほどけ、曖昧になる。

 ……こんな物、あってもなくても、スケートはできない。


 だが、コンタクトレンズ。

 昔の記憶がフラッシュバックする。

 自らの涙で溺死しそうになるあの感覚、あの景色。


 あの時俺は、ごぼごぼと溢れる涙の向こうに、何か一つでも確かな物を見たか?

 輪郭を沸き立たせ、みずみずしく存在する世界の片鱗、欠片。

 何でもいい。

 視界をかすめたら最後捕まえて、何もかも見てやらなきゃ気が済まないと思えるような何か。


 ……そんなものは、多分無かったんだ。


 俺は、俺を包み込む膜に手を伸ばす。あるいはコップ。

 この期に及んで中身のコントロールを企む器め。

 お前の正体を当ててやろう。

 忌々しくも愛おしい、その名前は臆病。


 だが本当のところ、俺は何が怖いんだ。


 空を掴んだ五本の指を、開いては閉じてを繰り返す。


 どれくらい長くそうしていたのか、ガチャリとドアが開いて、差し込んできた廊下の蛍光灯の眩しさに、思わず目を細めた。


「帰ろうぜ、洸一」

 てか、暗っ。電気くらい付けろよ。お前幽霊みたいだぞ。

 そう言って晴彦はぱちん、とスイッチを押した。

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