第21話 高駒アンダーパス

 

 緑の細いクロスバイク。

 テープでぐるぐる巻かれたハンドルの根元を晴彦は押す。


 まだ新しいノースフェイスの四角いリュックが背中で揺れている。

 梅雨入り前の乾いた風がシャツの隙間に滑り込む。忙しなく行き来する車道の向こう、オレンジの夕陽がずっと眩しい。

 晴彦の茶髪が西日に透けて金色に見える。


「芝浦はマジで要注意だぜ。あいつ、帰り際アイスホッケー部に長いこと捕まってたからな。なんか上尾のリンクで女の子とデートしてるとこホッケー部のヤツが目撃してて、あいつずっとホッケーの靴で滑ってたらしい。やばくね? 競技乗り換える気かも」


「……芝浦は、大丈夫だよ」

 俺はくすりと笑う。


 もうじきあいつは、氷上でも動きたいようには動けなくなる。

 その時初めて、エッジワークという言語の本当の価値を知る。

 一人の人間として、氷と対峙するということ。

 それが、フィギュアスケートだから。

 あいつはきっと手放さない。


 高架下のアンダーパスで、ふいに晴彦が歩幅を緩め、ぽつりと言った。

「なあ、洸一。さっき部室で霧崎と何話してた?」


 ごお、と通り過ぎる車が空気を震わせる。

 一瞬、足を止める。

 高架を通る新幹線の音が重なった。

 また歩き出す。


 彰が。

 そう言いかけて、テーピングを巻いた足でスケート靴を履く彰のイメージが覆い被さり、俺は一度唾を飲んだ。


「……寒河江彰が、トロントの合宿にいたって」

 晴彦は少し目を見開いた。そして少しの沈黙の後、

「よかったじゃん。あいつ、スケートやめてなかったんだな」

 ふっと口元を緩めた。


「トロントってことはやっぱクリケットかな」

「霧崎と同じなら多分そう」

「すげえな、てか去年滋賀ちゃんも行ってなかった?」

「あれは確かロス、アメリカ」

 

 いつの間にかもう駅前に足を踏み入れている。

「どっか寄ってく?」

 晴彦が足を止める。

 いいや、と俺は首を振る。

 それよりもう少し歩きたい。歩きながら、晴彦と話したい。

 そんな気分だった。川の方まで。

 そうしてまた歩き出した。


 街はもうすっかり夕暮れで、街灯が淡く点り始めている。

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