第16話 悪魔の靴

「……芝浦、靴のサイズいくつ?」

「今履いてるのは27.5です。けど、もう28かも。俺、まだ背伸びてるんで」


 高一でまだ背が伸びている。俺もそうだったなと思い出す。

「ちょっと来て」

 俺は芝浦を更衣室へと連れ出した。


 ロッカーの靴を取り出して、ブレードを見る。

 錆は無い。エッジもちゃんとある。


 最後に履いたのは一年半前だが、新調して一ヶ月と経たずに、俺はこの靴を履けなくなった。

 それでも、扉を開けるたびに確認し、定期的に磨いていた。

 良い状態のまま売りに出したくて。

 ……そんなのは、建前だ。


 もう履かない靴を磨く。

 この上なく無意味な行為を贖罪のつもりで続けていたのなら、悲劇の主人公気取りもいいとこだ。

 そんなことをしたって、何も元には戻らない。

 俺の目も、彰の脚も。

 ならば、いっそ。


「これ、28。履いてみて」

 差し出す手がほんの少し震える。


 驚くほど素直に、芝浦は俺の靴を履いてみせた。


「おー、ぴったり。やっぱサイズが合わなくなってたんだ」

 無邪気に喜ぶ芝浦を俺はしばらく見つめていた。


「……芝浦、一つ頼まれてくれないか」

 舞い降りたのは天啓なんかじゃない。

 禁断の果実を勧める堕天使の誘惑。


「眼鏡のことはもういい。その代わり……この靴をもらってほしいんだ」

 俺の言葉を、芝浦は何の曇りも無い表情で受け止める。


「いいんですか。それって、俺が得するだけでしょ」

「俺は俺でもう28.5を履いてるから、それは必要が無いんだよ。でも、どうしても捨てるには忍びなくて」

 俺が言いよどむと、芝浦は何かを察したかのようにふっと笑った。


「じゃあ、先輩が捨てたのを俺が拾ったってことにしましょう。……拾う神あり」 


 鮮烈な光の弧に触れ、目が眩んだ。

 一抹の後ろめたさなど貫いてしまうような、白虹の眼差し。

 氷のプリズムが映し出す虚像は、俺の胸へと結ぶ。

 水面に滴が落ち、波紋が広がる。


 ……どうしてそんな瞳をしているんだ。

 跪く前に全てを赦されたような気になってしまう。


 だから俺は、それ以上何も言えなかった。

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