第9話 眼鏡、真っ二つの

 少しして、なぜか女の子と一緒に芝浦は戻ってきた。

 首には折り紙のメダルが提げられている。


「星先輩、ありがとうございました」

「……久しぶりだね、芝浦」

 俺が言うと、芝浦は目を見開いて少しの間沈黙した。


「野辺山で一緒だったよ。覚えてない?」

 芝浦の体がピクリと震えた気がした。


「すみません、覚えてないです」 

「本当に? 俺、同じ部屋だったよ。寒河江彰と、三人でさ」

 芝浦は小さく首を振った。


「……俺、あの合宿のこと殆ど覚えてないんです」

 俯いた顔の表情は読めないが、嘘を言っている声色でも無い。


 とりあえず眼鏡を返してもらおうと思ったら、女の子が完全に引いた口調で呟いた。

「……ちょっと、とーま、それ」

 えっ、と芝浦が言うのと、あっ、と俺が言ったのは同時だった。


 芝浦の手の中で、俺の眼鏡がパキリと折れていた。


「もう、何やってるの! 信じらんない! 」

 女の子が芝浦の背中を叩く。

 俺も、信じらんない。


「だって俺眼鏡なんて持ったことねーもん」

「だからこそ丁寧に扱うもんでしょや」

 でしょや。聞き慣れない語尾だな、と思う。


「先輩、すみません……その、眼鏡、こうなっちゃって……」

 あ、うん、と言う俺。

 ブリッジで見事に真っ二つになっている絵ヅラがショックで、なかなか二の句が継げない。


「えっと……大丈夫、とりあえず、予備がロッカーにあるから」

 ゾフの安物だけど。ちなみに壊されたのは眼鏡市場のいいやつだ。

 でも、備えていて良かった。この視界のまま騎馬戦をやるなんて、考えただけでぞっとする。


「あの、もちろん弁償します。……委員長、ペン貸して」

 委員長と呼ばれた子は無言でペンを突き出す。

 芝浦はメダルに走り書きをすると、俺に渡した。


「それ、俺の携帯とLINEのIDです。登録しといてください」


 siva_on_the_ice。

 ミミズみたいに繋がっている文字に目を凝らす。


「……これ、記号アンダーバー? 」

 芝浦は頷くと、真っ直ぐに俺の目を見て言った。

「コンタクト、しないんですか」


 光が、飛び込んできた。射抜かれたかのように瞳がロックされる。


 ……顔を見間違えるはずがないなんて、嘘だ。

 実のところ俺は芝浦の顔なんか殆ど覚えていない。

 ただ唯一はっきり覚えているのは、目だ。

 この目。真っ直ぐに陽光を反射する、氷晶の虹彩。


「とーまってば、眼鏡壊しといてそういうこと言う? 」

「や、単純に疑問に思っただけだよ。だってさ……コンタクトならちゃんと滑れるでしょ、フィギュアスケート」


 芝浦はふっと笑って再び俺に視線を投げると、

「じゃあ、後はリンクで」

 そう言って、背を向けた。


「そっちじゃないよとーま!」

 裾を引っ張られて芝浦の足が止まる。

「そっちは妙義のテント。赤城の一年はあっち」

「てかさ、なして山の名前が団名なの?」

「なんか群馬の伝統らしいよ、びびるよね」

「俺まさに今びびってる、なまら独特だな」

「そだねー」


 そだねー、ってリアルに言うの初めて聞いたなと思う。

 芝浦と同じく北海道に縁のある子なんだろう。


 野辺山での芝浦は、あまり人に心を許さない印象だった。

 同室の俺や彰でさえ、五日間過ごしても心のドアノブにすら手を掛けられなかった気がする。


 でも、今ああやって自然に笑う芝浦は心を開いているのが明らかで、俺はホッとした。


 とりあえず、眼鏡を取りに行かなければ。

 校舎に足を向けようとして、ふと手元のメダルに視線を落とした。


 そういえば、LINEのID検索って、未成年はできなかった気が。

 まあいい、どのみち後でリンクで会えるんだ。

 そこで俺はハッと気付いた。


 ……リンクで霧崎と殴り合ったのって、芝浦じゃないのか。

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