第8話 ルーキー

 榛名学院では、高等部の体育祭はゴールデンウィーク前に済ませてしまう。

 まだ涼しいうちに屋外行事を、という学校側の配慮は正しい。

 だが、それにしても暑い。二十七度って、もう夏じゃないか。悲しきヒートアイランド&フェーン現象。


 グラウンドではももクロの怪盗少女が鳴り響く中、一年生が借り物競走で盛り上がっている。

 借り物競走って、赤の他人から借りなきゃいけない時があるから、コミュ力が無いと厳しい。俺は中高通してずっと避けてきた。

 それに、あの紙にはいつも変なことが書いてあるんだ。「松潤似の先生」とか。


 滲む汗を拭うと、背の高い男子生徒が一人、レーンを外れてこちらに走って来るのが見えた。

 ……本当に、背が高いな。俺くらいあるんじゃないのか。

 近付いて来た顔を見て、俺は思わず立ち上がった。

 その顔を、見間違えるわけがなかった。


「ここ赤城団のテントですよね? 上級生の眼鏡って書いてあったんで、誰か貸してくれませんか」


 彼はテントの前で止まると、手にした紙をヒラリと見せて言った。

 澄み切った目に、堂々とした声。

 一瞥でグラウンドの喧噪が遠ざかり、空気が清涼になる。

 気付くと俺は、座ったまま顔を見合わせているクラスメイト達をかき分けて進んでいた。


「眼鏡、これ使って」

 つんのめりそうな勢いで前に出て、眼鏡を外して差し出した。

 瞬間、視界がぼやけてクラリとした。

 よく見ようとした顔の作りは、陽光をバックに目の前で曖昧にほどける。

 それでも、肩の位置が俺と同じだ、と思う。

 ……背が伸びたんだな、君も。


「ありがとうございます」

 ホッとした声で彼は言うと、眼鏡を受け取るなり駆け出そうとしたが、

「あっ、名前」

 と慌てて振り返った。


「星。星洸一」

 俺の名前には特別な反応も見せず、星先輩、どうも、と軽く片手を挙げ、すぐに走り去ってしまった。


 再び喧噪が辺りを包み、目の前を熱い砂埃が舞った。曲がいつの間にか夏休みの宿題の曲に変わっている。

 黄色くくすんだ視界の中、白い背中が遠ざかるのを見ていた。


 どうして彼がうちの学校にいるんだろう? 

 それに、どうも彼は俺のことを覚えていないようだ。


 まもなく、ゴールのアナウンスが流れてきた。

「トップで入ってきたのは、赤城団! カードには、上級生の眼鏡。3Cの星先輩の眼鏡ですね。クリアです。第三グループ一位は、赤城団です。走者は噂のルーキー、芝浦刀麻君」


 ルーキー? 何の? 編入生じゃね? 見ない顔だったもん。

 ちらほら聞こえる言葉とともに、まばらな拍手が起こる。

 俺は目を瞑り、アナウンスの残響を噛み締めた。


 ……彰。夢じゃなかったよ。

 芝浦刀麻は生きている。彼は、本当にいたんだ。

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