第7話 これってデートじゃん
とーまと再会して、冬眠から目覚めたはずの私の頭の中の鍵盤。
でも、楽譜上の音楽は相変わらずうまく流れていかない。
随所でせき止められ、不純物が澱となって淀む。
「どうして直したとこから悪くなるの? 里紗ちゃん、この曲の行く末ちゃんと見据えてる? その場しのぎで誤魔化したって、聞き手はすぐ分かるよ。魂が入ってないって」
先生。フランケンシュタインに魂はどうやって入れるんですか。
頭の中で屁理屈をこねたって、目の前の楽譜はかちこちに固まって、ぎこちないまま。
だから私はその夜、とーまとの電話で、つい弱音を吐いてしまった。
「委員長も大変なんだね。俺も今結構追い詰められてる。なんかさ、俺のエッジは浅いんだって。それで、三年の先輩と一対一でコンパルソリー叩き込まれてるよ」
「コンパルソリー?」
「エッジで図形を描くやつ。ジャンプもスピンも無い。音楽も無い。なまら退屈」
「基礎練みたいな感じ?」
「そうそう。だからつまんない。俺と委員長、入れ替われたらいいのに。俺が目茶苦茶に鍵盤叩いて、その怖い先生をびびらせたら少しは胸がすくでしょ」
ふいに出てきた鍵盤という単語に、私は動揺した。
訊いてみたい衝動に駆られる。
とーま、あの約束を覚えているの。
私達の頭の中の、鍵盤と氷。
でも、確かめる怖さの方が上回るから、情けなく笑ってやり過ごす。
「……そういえば私、もう長いことスケートなんてやってないなあ。私もスケートやりたいかも」
真っ白な氷の上に立てば、この臆病さも変わるんだろうか。
半ば投げやりな気持ちで言ったはずが、
「いいよ。やろう。いつ行く?」
話の流れで、私達は次の日曜日、スケートに行くことになってしまった。
はるなリンクはスケート部しか使えないし、群馬には他に通年リンクは無い。
だから上尾の埼玉アイスアリーナまで行こうって。
電話を切って、私はベッドに倒れ込んだ。
……これって、デートじゃん!
やばいやばい。何着てこう。
がばっと起き上がり、クローゼットを漁って、自分がワンピースとスカートしか持ってないことに愕然とする。
引き出しの奥からどうにかデニムを一本見つけてほっとした。
けど、嗅いだら何だか埃っぽい。やだー。
引っ掴んでリビングに行き、ソファーで本を読んでいるお母さんに言う。
「お母さん、これ洗っておいて」
「……里紗。あなた、コンクールの曲は順調なの」
お母さんは本に視線を落としたまま言う。
私が黙り込むと、深い溜息をついた。
「去年みたいに予選落ちなら、もうピアノ一本に絞った方がいいかもしれない、ってお母さん思ってるのよ。レッスン料だって馬鹿にならないし」
お金のことを言われると両手を挙げて降参するしかない。
だから私は話題を微妙に逸らす。
「……お母さんは、私が作る曲に興味無いの」
「あるに決まってるでしょ。だから順調なのって訊いたんじゃない。それなのにあなた黙り込んで」
そうじゃなくて、どんな曲かとか、何がテーマなのかとか、作りながら何を考えているかとか。
そういう話だよ。
でも、お母さんは私の結果にしか興味が無い。
今だって、顔も見ずに言葉だけ放り投げてくる。
私は後ろ手にドアを閉めて、洗濯機にジーンズを放り込んだ。
これくらい自分で洗えるもん。
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