賭博者とは。若き白明の経験 後半


 次の日、白明は仕事をしていた。

 布団をたたんで傍へ寄せ、座り込んでぷすぷす、ぷすぷす。重ねられたカードを一枚取っては、指示表を見て、その通りに針で穴を開ける。カードは数枚、数十枚どころではなかった。彼はたんたんと続ける。これは、あの賭博者から任せられた仕事だった。彼が使うカードの仕込み。いかさま、ペテンのタネである。ぷすっ、というか細い音が部屋に消える。部屋には白明一人しかいない。……ぷすっ、ぷすっ。内心では、白明は、こんな仕事はよくないことだ、とも思ったのだが、さりとて他にすることもなかった。賭博者には、消えそうな身を救ってもらった恩もある。何も言わず、ありがたくしたがっておくのも、一つの恩返しになるか。ならないにしても、仇とはならないだろう、と、手を動かしながら、白明は粘土をこねるように、ねちねちと考えていた。

 もうすぐで片付くというところで、部屋の扉が開けられた。見ると、そこには老婆が立っている。彼女は、白明の手元の仕事を見ていた。

 どうしたのかと、白明が手を止めて、老婆の様子を窺っていると、彼女は

「もしよかったら、」

 とかすれた声を出した。その言葉はこう続いた。

「裏にある風呂も使って良い」

「ありがとうございます」

 と白明は言う。あの枕のおかげだ。と白明はふと思った。本当のことを言うと、彼は昨日枕を買いに行く前に、賭博者にもらったお金で街の風呂屋へ行って、体をきれいにしてきたのだが、せっかくの老婆からの親切なので、彼は、精一杯の感謝の態度をとった。けれど、それはいつもの白明の、感情のない無表情っぽい感謝となった。

 カードの仕込みをすべて終えると、白明は一度裏にあるという風呂を教えてもらい(その説明をする時、老婆はどこか嬉しそうだった)、彼は風呂へ入って、いくらかゆっくり時間を過ごした。

 もう昼を過ぎていた。白明は服を着直したが、その脂っぽい着心地は最悪だった。もう何日も続けてきているのだ。服を買いに行こう。あいにく、賭博者から受け取った金銭はまだ残っている。そう決めた白明は、老婆に出かけると伝え、扉を開けた。と、向こうからスリの歩いてくるのが見えた。彼は最後にこの宿を見にきたそうだった。出て行く前に宿だけ見ておく。彼がなぜ、そんなセンチメンタルな行動を起こしたかというと、こういうことだった。

「なあ、家に帰った方がいいと思うか?」

 白明が歩いてくるまで、スリは彼を待っていたが、白明が到着したとき、彼はそんなこと言ったのだった。

 白明は軽く首をひねって、

「僕には、なんとも言えないですけれど、帰る場所があるというのは、いいことだと思います」

 と言う。

「そうか……、俺さ、帰ったらさ、会社を継がなきゃなんないんだよ」

 白明は何も答えなかった。

「俺にできると思うか?」

「スリさんは、強い人間だと思いますよ」

 スリは、そうか、とだけ言って、それから何も言わなくなった。

 二人はすぐに別れた。スリは「じゃあな」と言い、白明は何も言わなかった。小さくお辞儀だけをして、町へ向かった。振り返らずに歩いた。スリの行先をあえて見ることはしなかった。

 白いシャツにベージュのカーディガン。それに肌着を何着か購入した。

 宿へ帰ると、新しい宿泊者が二組増えていた。二十代後半の若い夫婦と、顔に黒い布を巻いた人だった。

「初めまして、オカムラです」

 とその夫の方が言った。

「初めまして」

 と白明も答えた。

 夫婦は山の向こうから夜逃げをしてきたと、自らを説明した。この町か、あるいはその先の町あたりで仕事を見つけ、新しく暮らしたいが、今はまだ何も決まっていないし、その上お金も大してないのでここで一泊することになったらしい。

「君は、歩いてずっと、何日も移動し続けているのかい!」

 白明の暮らしぶりを聞いて、彼らは驚き、

「そしたら、僕らの乗ってきた車をどうぞ君にあげるよ」

「車ですか?」

「ああ、水色のキャラバンなんだけどね、もう僕らはあの車には乗れないから、ここへ捨てていこうと思っていたんだ。この宿を出て、坂を降りて、左に折れたところにある公園に止めてある」

「でも、車なんて運転したことないので」

「運転くらい誰にだってできるよ。アクセルを踏んでハンドルを回せばいいんだ。せっかくだから使いな」

「はあ」

 こんな調子である。

 もう一人の、顔に布を巻いた男とも女とも分からない人は、白明の布団に包まって寝ている。白明が帰ってきてから、まだ一度も寝返りどころか、身動ぎもせず、置き物のようだった。

 今夜も賭博者はうまくいったようで、夜中に嬉しそうに肩で風を切って帰ってきた。彼は白明を見つけると、また明日も一つだけ仕事を頼めるか、と聞いた。白明はうなずいた。

「いやあ、午前中にそうやって、代わりに些末ごとをしてくれる相方がいると、存分に動き回れるな。とても都合がいいぜ」

 足音を鳴らしながら、彼は布団に入った。そしてすぐに寝てしまう。白明の布団はまだ布の人が入っているので、彼はまた一日目のようにカバンを枕にして寝転んだ。寝心地は良くはなかったが、あまり気にならない白明は、気づいたうちにはもう眠っていたのであった。


 次の日、白明は賭博者から、今度はボードの制作を任された。前にカードに穴を開けたのと合わせて、これで完成らしい。白明には、これはどのように使われるのか、想像すらできないさっぱり様だが、賭博者いわく、これが大切な道具だということだった。

 白明は設計図を見ながら、仕掛けを組み立てたり、目印をつけたりする。その目印が昨日のカードの穴と合致するのだ。そしてこれを賭け事に使う。賭けのゲーム自体はごくシンプルなのだが、そのために、ペテンをしようとすると、それがものすごく複雑になるのだ、と賭博者は語った。

「俺はそれをやるんだ」

 と、彼の町へ歩いて行く背中は大きく見えた。

 白明は、かさかさと紙の音を立てて、作業に熱中した。昨日の布の人は、いまだに寝ていた。

「本当によく寝る人だねえ」

 オカムラ夫妻の妻が言う。夫は仕事を探しに出かけている。「多分見つからないと思います」と白明は説明したのだが、「いやあ、まったくないことはないだろう」と出て行ってしまったのだ。

 占い師も残っていた。彼は今この部屋にはいない。裏の風呂へ入りに行った。

「今日は、仕事はしないのですか」

 と白明が聞くと、占い師は、そうじゃない、と答えた。彼は主に夕方以降のみ働くのだが、昨日だけは特別で、依頼があったので昼から出ていたのだった。

「すっかり雇われたな」

 と風呂から上がってきた占い師は、白明を見て言った。そして、「馬鹿にしているんだぞ」と付け加えた。

 白明は、

「はい、わかっています」

 と答えた。

 ちょうどその時、廊下の向こうから「なんじゃあー」と震えた老婆の声が聞こえたかと思うと、それと同時に、重なった重たい足音が、どさどさと聞こえてきた。

 彼らは廊下を越え、部屋までやってくると、そこに立っていた占い師を腕で押しのけて、

「ルシア・オカムラだな」

 と、彼女を引っ張り上げた。襲撃者は皆、派手なシャツを着た男たちで、眉に固く力が入っている者ばかり。荒々しい口調で、彼女を罵る。彼女は声も何も挙げなかった。ただ唇をかみ、悔しそうな表情をしてみせ、彼らに引っ張られて行った。

 全てが去ってしまうと、部屋には静寂が残った。

「車だろうな」

 と占い師が言った。

 白明が占い師の顔を見上げると、彼は「彼女の居場所がバレた理由だよ」と付け加えた。それで白明も合点がいった。たしか、水色のキャラバンだと言っていた。とても目立つ車だ。

「不用心だったんでしょうかね」

 と白明が言うと、

「いいや、不用心なんてものじゃない。馬鹿だ」

 と占い師は言って、夕方からの荷物の用意をし始めた。

 白明がふと自分の布団の方を見ると、布の人は流石に目を覚ましていて、周りをキョロキョロしていたが、また枕に頭を落とす。布を巻いているが、あたりの様子は見えたのだろうか、白明は疑問に思った。

 仕事が終わったのは、占い師が部屋を出て少ししてから。

 白明はとっくに腹が減っていた。

 そういうわけで、ようやく食事をとりに、町へ出た。

 白明は、昨日行った定食屋へまた足を運んだ。オムライスを食べることに決めていたのだった。

 もうそろそろお金も少なくなってきて、残り四円。白明はきれいになった皿を見る。少しケチャップが線になって残っている。オムライスはとても美味しかった。本当はまたミルクティーを飲みたかった。けれど、節約のため食後の飲み物は我慢する。もう店を出ようと腰を上げたとき、店にチャイムの音が鳴り響いた。

「オメデトウゴザイマス、十万人目ノオ客サマデス」

 何事かと思った。が、ちょうど今店にきた客が、その十万人目のお客様らしい。奥から若い店員が出てきて、戸惑い気味に喜んでいる客をもてなした。白明はそちらを見て驚いた。今入ってきたその客というのは、彼の知ってる、あのゴンサロだった。

 ゴンサロも白明を見つけた様で、誇らしげな顔を見せる。それから彼は白明の正面の席に座った。そして、

「みろよ、これ。無料券もらっちった」

 と、貰ったばかりの券を白明に見せた。

「すごいですね」

「ああ、最近、ずっとこうなんだ」

 ゴンサロは言った。

 彼はメニュー表を睨み、エビフライ定食と、うどんを頼む。そして、それから彼はポケットから一枚の紙を取り出した。

「実は、先日、占いをする男に出会ってよ、そいつから幸運のおふだを買ったんだ。それ以来だ、こうやってラッキーが続くんだよ」

 ゴンサロが出してきたのは、あの占い師が売っている物だった。

「例えば、ここんところずっと女房の機嫌がいい。体調がいいらいいんだ。すると、俺の生活も女房の機嫌に縛られなくなる。小遣いも上がったしよ。それと言うのも、魚がうまいこと高値で売れるんだ。最近ずっとそうだ。それから極め付けはだな、俺の親族に山を持っているのがいたんだと。俺は会ったことはない親戚なんだがな。それが、そのやまを持て余していたらしいんだが、その田舎の山が、開発で使うためにお金に変わったらしいんだ。その手紙と、小切手が来てさ、思わぬ収入だよ。まったく。こんなこと続きなのさ」

 ゴンサロの頼んだメニューがやってきて、彼は威勢よくばくばくと食べた。口から海老の尻尾を出しながら、

「それでな、昨日の夕方に賭けを申し込んだんだ。この町で今流行ってるんだ。ある男がいてな。トランプでね、数引きをするんだが、みんな負けてる。が、今の俺には、勝てる気しかしない」

 ゴンサロは、ゴクリと飲み込む。そしてまた次の一口を頬張った。

 白明はゴンサロの完食を待たずに帰った。

 宿に着くと、賭博者が稼ぎの用意をしていた。白明はすぐさっきあったゴンサロの話を彼にする。と、予想通り、賭博者は、それは俺だ、と答えた。白明は賭博者の手元に、自分の用意した道具があるのを見た。

「僕も、見に行っていいですか」

「まあ、自由にしろ。俺のやってる毎晩の賭けも、噂が広まってきたし、その上、今夜は大きな賭けらしく、今まで以上に町中の奴らが見にくるらしい。退屈はしないかもな」

「ありがとうございます」

 白明にすることはない。彼は部屋の端っこに座り込む。オカムラ夫妻はもちろん、今この部屋には占い師もいなければ、あの布の人もいなくなっていた。一体、あの人は何だったんだろうか。ふと、賭博者にそのことを聞いてみると、

「雇われ人じゃないか。あの夫婦をつけてたんだ。それで彼らバレたんだよ」

 と言い、それから彼はすぐに、部屋を出た。

 すぐに始まるわけじゃないから、白明はもう少しゆっくりしていていいらしい。彼は、寝転んで、ぼーっとした。誰もいない部屋で天井を眺めながら、明日にはこの町を出て次のところへ行こうと決めた。次はどんなところに着くのだろうか。この町とは遠く離れたところまで移動したいと思う。オカムラ夫妻が言っていた車があれば、それも可能になる。本当に運転ができるのかは分からないが、明日はその車を探して、それに乗ってみてから細かいことを決めよう。白明はそのうち、うつらうつらした。

 眠る寸前で起き上がる。

 どのくらい経ってから行けばいいのか、まったく見当がつかないので、とりあえず風呂に入って、きれいになってから行くことにした。すると、時間もちょうど良いことだろう。

 増築されたベニヤの古屋。湯はぬるくてとろとろとしていた。白明はお腹に息を吸っては吐き出す。ここ二日で足の痛みもとれた。体を撫でて、労った。あまり疲れさせすぎるのも良くない様である。大丈夫かい、と自分の体に聞いてみる。聞いてみてすぐに、つまらないことをしてしまったと、自分を恥じるのであった。

 風呂から上がると、新しい下着をつけて、早速出かけることにした。

 夜の町は、静かだった。

 白明は賭博者から教わった場所を目指す。

 場所は、川沿いの町民館の屋上だった。町民間は何度か通ったことがあったので、彼は簡単にたどり着けた。それから、開きっぱなしの錠が掛かった門から中に入り、屋上を目指して外につけられた階段を登る。鉄柵だけがある、わびしい屋上だった。川に合わせて吹く、夜風が涼しいところだった。そこには男たちが集まり、黄色い電灯が何本か立てられ、薄明るくなっていた。

 白明は賭博者を見つけた。

 男たちの真ん中に、一人あぐらをかいている男が賭博者だった。

 彼の前に若い男が一人でてきた。そしてその男も座る。

 すると間も無く、二人にカードが配られた。ボードにふせられ、中が見られないカードと、それぞれに手に配られるカードがあった。二人は順番にカードを交換する。それから何枚か選んで、ボードにふせられたカードと合わせて勝負をするのだ。

 二人が勝負をしている間、それまで自由に話していた周りの男たちは、水を打ったように静かになった。この間に話すことは禁止されているらしかった。緊張感が走る。ボードにふせられたカードがめくられて行く。その度に、ざわざわと気配が揺れる。そしてついに、最後のカードがめくられて、なんと若い男が賭博者に勝ったのだった。

 歓声が沸いた。若い男は、みんなに肩や背中を叩かれたり、歓声に打たれたりで、嬉し恥ずかしそうに笑った。そして得た金を大切そうにしまうのだった。

 これが賭博者のやり方だった。勝ったり負けたりを、絶妙な具合でやって、ペテンの疑いから逃れ、最後の最後、その大勝負で勝って儲けるのである。

 そしてついに、その最後の大勝負であった。

 ゴンサロが出てくる。

 周囲はより一層の緊張に包まれた。

「もう、ルールはわかってらぁな」

「ああ。もちろんだ。初めてくれ」

 ゴンサロは揺るぎない自信とともに、大きく座っていた。

 二人にカードが配られた。ゴンサロはフフン、と鼻を鳴らす。賭博者は表情を変えず、ちらとゴンサロの様子を伺うのみだった。ゴンサロは一枚もカードを変えなかった。賭博者は二枚カードを交換する。

 そしてついに勝負。二人が順番に、ボードにふせられたカードをめくる。一枚目、二枚目。そして、ゴンサロが三枚目をめくったとき、何やら不思議な表情をした。それから彼は二枚目や一枚目、それから手札にあるカードを調べ始めた。その間、賭博者は身動きせず、何も口に出さないで、じっとしていた。

 が、ついに、ゴンサロは言った。

「裏返せ。その最後の一枚だ。裏返せ」

 賭博者が裏返す。勝ったのは、賭博者だった。

 そのとき、ゴンサロは立ち上がって、大声に訴えた

「ペテンだ! こいつのやってるのは、ペテンだ!」

 あたりはざわめく。「どう言うことだ」「何があった」と声が上がる。その声に対し、ゴンサロはカードを掲げて、

「カードに穴が空いているんだ。全部だ。全部のカードに穴が空いている。これで、こいつは、どんなカードが、どんな動きをしているのか、分かりながらやっているんだ。、こいつはいかさまだ! 詐欺だ! この町でこいつに負けて馬鹿を見たみんな。決してこいつを決して許すな」

 それから暴動となった。男たちは、賭博者を吊し上げ、暴行を振るう。彼の衣服や、荷物を奪い、そこにある金まで奪った。

「盗み取った金だ、盗み取られたとて、文句は言えないだろ」

 ついに賭博者は鉄柵のところまで追い詰められ、町の男たちに押さえつけられ、あわや下へ投げ飛ばされそうになった。

 が、彼らはそうはしなかった。

「二度とこの町へくるな」

 そう強く言って、賭博者を話すと、彼らはいきりたったまま帰っていった。後にはくたくたになった賭博者と、白明だけが残った。

 二人は宿までの帰り道を、長いあいだ無言で歩いた。

 先に口を開いたのは白明だった。自分の開けた穴である。そのやり方がまずかったせいでバレたのだと、彼は考え込んでいた。

「すいませんでした」

 しかし、賭博者はその謝罪を受け取らなかった。

「いや、いいよ、しょうがない。俺は決してお前を責めないさ」

 と言う。

「すみません」

「いいんだって、本当に責めてるわけじゃねえぞ。お前は何も悪くねえ。本当だ。これは、仕事を他人に任せた俺の負けなんだ。賭けの勝負という世界を一日だって甘く見た俺の負けだ。そこまで徹底して俺は俺の仕事を職人的にしっかりやり遂げるべきだった。むしろ、俺から謝らせてくれ、すまんかった。見苦しかったろ」

白明は何も答えなかった。

「俺はもうこの町にはいられない。だから出ていくが、お前は?」

「僕も、もうせっかくなんで次のところへ」

「そうか」

 次の朝、白明は深く感謝を言って賭博者を見送った。賭博者は、白明の宿泊代を払ってくれたうえ、さらには仕込みをした分の給料と言ってお金も渡してくれ他のだった。白明は、最初は断ったのだが、それをまた叱られ受けとることになった。「もう会うこともないんだから、もらってくれてもいいだろう」と賭博者は言った。賭博者は顔を隠し、そそくさと、早足に去っていった。別れの挨拶はなかった。

 白明は、公園に向かった。車を求めてである。その途中、見つけた有平糖を購入し、口に放り込む。べたべたと歯にくっついた。それを舐め切る前に、公園を見つけた。

 車もそこにあったのだが、派手な服を着た(前にオカムラ夫妻を連れて行った人たちにいたような)男が、しがみついていた。両手で、何かを掴んで、体全体で引っ張っているようだ。白明が見ていると、

「あ? なんだ?」

 と男が白明に気づいた。

「その車を、もし良ければいただきたいんですが」

「ああ、まあいい。くれてやる。この、G P Sが外れたらな」

 と男が言うと同時に、べコンと安い金属の音がして、男は地面に飛ばされた。G P S

が外れたらしい。

「じゃあな」

 男は、小さな部品を手で弄びながら去っていった。

 公園はある程度広く、そして今は誰もいないので、少しここで動かす練習をしてみようと、白明は車に乗り込んだ。キーは差しっぱなしだった。回してエンジンをつける。それから、隣についている、何やらのレバーをいくらか引いたり押したりしてみて、ついに彼はアクセルを踏んで車を前進させることに成功した。ハンドルも回してみて、どうやらうまくいきそうである。

 そう感じた白明は、車を公園の外へ出し、道路を走ってみた。

 案外できるものだと思った。

 いくらか走って、町を出たころ、後ろでごそごそと音がした。振り返ってみて見ると、あの布の人だった。起き上がると同時に黒い布が頭からずり落ち、顔が現れた。女の人だった。彼女は寝ぼけた声で、

「どこへ行くの」

 と聞いた。

「わかりませんが、とりあえず遠く」

 そう答えると、また女の人は「うん」と言って、寝転んだ。

 白明は再び運転に集中した。

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白明シリーズ 戸 琴子 @kinoko4kirai

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