ほら行けっ!


「ほら行けっ」

 岩戸が開いた瞬間、アキたちはイラークに背を押された。


 アキと王子は洞穴内部に上手く転がり込めたが、すぐに閉まった岩戸にイノシシの脚が引っかかっていた。


 ひーっ、これを持っていかないとっ、と思いながら、アキは王子とともに必死で岩戸に挟まったイノシシを引っ張る。


「アキ」

「はいっ」


「なんか嬉しいな」

 イノシシを引っ張りながら王子が笑顔で言ってくる。


「なにがですかっ」


「いや、二人で息を合わせて、なにかをすることがだっ」


 いや、初めての共同作業はケーキ入刀くらいにしておきたいんだが、と思いながら、強く引っ張った瞬間、扉を抜けたイノシシが自分めがめて飛んできた。


 弾みで転がったアキの上に、イノシシが乗る。


 その躍動感あふれる顔が鼻先に来て、アキはひーっと悲鳴を上げた。


「大丈夫かっ、アキッ」

と王子がすぐにイノシシを退けてくれる。


「あっ、ありがとうございます」

と差し出された手を取りながら、アキはちょっと微笑んだ。


「……どうした?」

と自分を見つめるアキに王子が問うてくる。


「いえいえ。

 こういうときにアキって呼ばれると、なんだかどきりとしちゃうなと思って」

と笑うと、


「……今、誰もいないからな。

 お前を本来の名前で呼んでもいいだろう」

と王子は照れて言うが。


 ……いや、私の名前はアキノだと判明したんですけどね。


 ミミズののたくったような「ノ」の字によって。


 何故かお母さんに信頼されているらしいイラーク様はお母さんから聞いて知っていたようなんだが……。


 しかし、今更、お前はアキノだとか言われても、長年、自分はアキだと思って生きてきたんで、もう、どうでもいいというか。


 そもそも、蔵の中の花嫁のれんをくぐったら異世界に出て。


 王子の偽花嫁となり、躍動感あふれるイノシシを背負って、神様に会いに秘密の地下通路を下っている今。


 実は、自分の名前にもう一字ついていた、なんてこと、本当にどうでもいいな……。


 などと思いながら、アキはイノシシ抱えた王子と洞穴の中を進んだ。


 洞穴の壁は岩戸の外側より白く、水分を少し多く含んだ感じだった。


 地下へと緩やかに下っていく坂道は、まるで黄泉比良坂よもつひらさかだ。


 あの世にでもつづいていそうに見える。


「……お母さん、生贄となって、此処をひとり下っていったんですよね」


 どんなに心細かったろうと思いながら、少し涙ぐんで言ってみたのだが。


「いや」

と王子は言う。


「お前の母親だろ?」

と。


 ……私の母親だとなんなのですか。


 確かに、哀れ生贄となった物悲しげな美女というイメージは湧きませんが……と思うアキに王子が訊いてきた。


「ところで、地下にいるのはお前の父親なのかな?

 生贄となったあと、その地下にいるものの子どもを身ごもり。


 子どもだけでも明るい世界へと思って、あちらの世界に逃したのだろうか」


「……わかりません」

とアキは言う。


 地下にいるのが何者なのかもわからない。


 それは、ショウシャマンだと教わっていた、いつもすれ違っていた父なのか。


 あるいは、そんな人は最初からいなかったのか。


「普通の家庭だと思って育ってきたんですけどね。

 今は共働きのおうちも、お父さんが海外を飛び回ってるおうちも多いから」


 母親は異世界の姫で、父親はなんだか得体の知れないものだとは思わなかった。


 ……得体の知れないものか。


「どうした?」


「いえ、父のイメージが定まらなくて。

 岩肌に張り付いてる黄色い塊みたいになったり」


「粘菌だろ」


「怪しくうねうねした、トゲ付きのイバラみたいになったり」


「植物だろ」


「地下の洞穴に差し込む光の中できらりと光る水晶みたいになったり」


「鉱物だろ」


「物陰から現れるリスの着ぐるみを着た何者かだったり」


「……それが一番怖いぞ」


 中になにが入ってるかわからないじゃないか、と王子とくだらない話をしているうちに、アキたちは、だだっ広い空間に出た。


 まるでドームのような場所だが。


 天井は高く、かすみがかかってる。


 ところどころ水たまりのように地下水がたまっていて、トゲのある謎の緑の植物がその近くで、うねうねしている。


 フリーズドライにより軽くなっているとはいえ、イノシシを抱えて歩いていた王子は疲れ果てていたのだろう。


 うねうねする植物に向かい、王子は言った。


「娘さんをください」


「……私の妄想に引きずられてますね。

 それ、ただのツル性植物だと思いますよ」


 そんな王子を引きずり少し進むと、天井部分の岩肌に亀裂が入っているのか、月の光が差し込んでいた。


 その光を透過させた美しい水晶の塊がある。


「娘さんをください」


「……それ、ただの鉱物だと思いますよ。

 水晶じゃないですか?


 水晶好きの女神様にあげてはどうですか?」


 だが、そんなことを言いながらも、何度も娘さんをくださいと真摯に挨拶してくれる王子がちょっと嬉しかった。


 相手がどう見ても自分の父親ではないとしても――。


「娘さんを……」


 次に現れた岩の柱のようなものに王子が言ったとき、

「やらんぞ」

とその柱の陰から男の声がした。


 リスの着ぐるみではないものが現れる。




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