待て


 這いつくばって崖下を覗いていた王子は起き上がり、空を見て言ってくる。


「急いで戻らねば、俺が戻らないと言って、うちの国がアンブリッジローズ様の国に攻め入ってしまうかもしれないと思っていたが。


 これでは私も帰れないが、向こうからも攻め込んでは来られないな」


「しばらく、ゆっくりできますね」

と言うラロックと、はははは、と笑っている。


「待て」

と思わず、アキは言ってしまっていた。


「そうじゃないでしょう。

 これ、困った事態なんじゃないんですか?」


「そうかもしれないが、だからと言って、我々になにもできはしないだろう。

 要求されてもないのに、生贄を投げ入れるのもなんだし」


 いや……要求されても投げ入れないでください、と思っていると、王子はまだ日の落ちていない天を見上げて言ってきた。


「だがそうだな。

 鳥なら飛ぶ。


 伝書鳩でも城に向かって飛ばすか」


 アキがホッとし、

「伝書鳩を飼ってらっしゃったのですね」

と言うと、


「うむ。

 城にたくさんいる」

と言い出した。


 ……ぶっとばしましょうか、王子。


 やはり王子だけのことはあり、浮世離れしていて呑気だ。


「まあ、今から鳩を飼い慣らそうとか言い出すよりマシなんじゃないですか?」

と王子のそんな言動に慣れているラロックが笑って言ってくる。


 そこでありがたがれと言われても困るが、と思ったとき、馬に乗った一団がやってきた。


 アントンと兵士たちだ。


「遅れてすまない。

 ちょっと文献を調べ直していたので。


 ほう。

 これは大層な地割れだな」

と端に立って、アントンは地の底までつづくかのような亀裂を覗き込む。


「……アントン様、あまり端に立たないでください。

 なんとなく、つん、とやりたくなるではないですか」

と肩をつつくフリをすると、


「相変わらず、恐ろしい女だな。

 まあ、愛するお前に殺されるのなら構わないが。


 今、此処から落とされるのはなんか違うな。


 どうせなら、めくるめく愛憎劇の果てに、お前に殺されたい」

と言ってきた。


「で、まあ、それはともかく」

と自分で言っておいて、愛憎劇を軽く流したアントンが語り始める。


「実はうちの料理長の先祖が、昔、この崖下に料理を届けたことがあると聞いたのだ」


「えっ? 出前?」


「出前とはなんだ」

と言われながらもアントンに説明すると、


「うーむ。

 まあ、そんなものかな。


 崖下に料理を持ってくるよう言われたことがあるそうだ。


 何度か持っていき、代金をもらって帰ったらしい。


 また呼び出しがあるかもと怯えていたが、その料理長が生存している間はその後、なかったようだ」


「下まで持っていった?

 どうやってです?」


 そこだ、とアキの言葉に、アントンが頷く。


「下まで行ける場所と呪文があるらしいのだ。

 迂闊にそれを教えたら死に至ると言われたらしいが。


 自分が死んだあと、地下の何者かにまた料理を要求されて、成し遂げられなかったら、なにが起こるかわからない。


 それで、地下の者に言って、自分がこれと見込んだ相手、ひとりにだけ、その方法を教えられることになったらしい。


 で……、


 此処からが問題なのだが、実は、うちの料理長はその方法を知らんのだ。


 何代か前までは伝わっていたらしいのだが」


 見込まれなかったわけですね。


 まあ、料理をしない子孫しかいない代があったのかもしれないし。


 ご先祖様の誰かが自分の子ども以外の、これと思った人物に教えたのかもしれないし。


「うっかり教える前に亡くなったのかもしれないし……


 とかですかね?」


「うむ。

 今、そこのところを調べさせておるのだ。


 しばし待て」

と言われ、4人で崖下を見つめる。


 鳥がぴょろろろろろとか言いながら、頭の上を飛んでいった。


「あのー、どのくらい待ったらいいですかね?」

とアキは訊いた。


「さあ」

とアントンは言う。


「……伝書鳩貸してもらえますか?」


「私の許から、うちの城に向かってしか飛ばないがいいか?」

と言われ、また、4人で黙って、崖の下を見つめた。




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