できれば一歩、進んでみよう!
王子と別れ、アキは自分の部屋に入った。
石造りの宿なのだが、アキの部屋は白い石の洞窟のようだった。
ざっくり手彫りしたような雰囲気に作ってある。
蝋燭の灯りに照らし出され、真っ直ぐでない手彫りの壁に調度品やアキの影がゆらゆら揺れているのもいいが――。
アキは部屋のあちこちにある蝋燭の灯りを消してみた。
空からのと、下の湖から反射している月明かりで、石の洞窟のような部屋が青白く輝く。
綺麗だな~と開いたままの窓辺に腰掛け、アキはそれを眺めていた。
海は近くないのに、不思議に
……下を見ると、ちょっと怖いが。
この世界で落ちて死んでしまったらどうなるのだろうな、とふと思う。
目が覚めるとか?
と楽観的なことを考えたあとで、ベッドに行ってみた。
ベッドも白い石造りだったが、
ふかふかのマットレスが敷いてある。
気持ちよさそうだな、と横になったが、また何処からともなく、強い磯の香りがした。
何故だ……とアキは起き上がる。
実はあれ、湖じゃなくて、海だとか?
と思ったが、どうもその香りはベッドからしているようだった。
アキは自分が座っているマットレスを叩いてみた。
強い磯の香りがする……。
そのとき、誰かがドアをノックした。
「もう寝たのか」
と王子の声がする。
アキはマットレスに顔を近づけて匂いながら、
「寝ています」
と反射的に答えていた。
「嘘をつけ」
と言いながら、王子は勝手に扉を開けて入ってきた。
「なにか呑まないか」
と言うその手にはワインの入った瓶とガラスの杯が二個あったので。
なにかもなにも、他に選択肢はなさそうだった。
王子はベッドの上に居るアキを見て、
「なんだ。
本当に寝るところだったのか」
と言ってくる。
「いえいえ。
何処からともなく磯の香りがするので気になって」
と言うと、
「ああ。
この町のマットレスは乾かした海藻で作られているらしいからな」
とあっさり謎が判明した。
「なるほど。
そうだったんですか」
海藻のベッドなのか。
結構ふかふかだな、とアキはマットレスの上で軽く腰を浮かしたり座ったりしてみた。
「ほら」
と王子が杯を渡してくる。
「ありがとうございます」
と受け取り、口をつけた。
うん。
これもまたいい香りだ、と思いながら、側に立つ王子とともに、しばらく黙ってワインを呑んだ。
窓から見える美しい夜景。
目の前には王子様。
例えではなく、本物の――。
「いろいろ考えていたのだ」
とアキの横には腰掛けないまま、アキを見下ろし、王子が言った。
「我が国には昔から、いろんな国から人質の姫がやってきていた。
いや、やってきたりやって来なかったりした……」
と王子は何故か言いかえる。
「どういうことなんですか……」
「国を出た姫が父の許まで、たどり着いかないことがよくあったのだ」
「それは、旅が過酷だと言うことですか?」
白い洞穴の壁に反射した青白い光の中。
王子の美しい顔を見上げながら、アキは訊いた。
「いや、迎えに行ったものと消えたり。
自分のところからついてきた従者と消えたりするらしいのだ」
過酷な長旅の中で支え合っている間に、親密な関係になってしまうのだろう。
「まあ、父の後宮にはたくさん女性がいるから。
何人かたどり着いていなくても、父は気にしていない、というか気づいていない。
形の上だけ人質にもらえばいいわけだから、実際は何処かに落ち延びていても構わないわけだし」
……なんか似てるな、王様とこの人、とアキは思った。
王子も嫁をもらわなければ、いろいろと面倒くさいから、千歳を超えている老婆で魔女なアンブリッジローズを嫁をもらおうとしたようだし。
「でも、後宮に多くの女性がいらっしゃるのなら、王子以外にもたくさん王子様がいらっしゃるのですか?」
「いや、姫ばかりで王子の数は少ないのだ」
だから、お前の話も私のところに来たのだ、と王子は言う。
「第一、父は忙し過ぎて後宮にはあまり立ち寄らない。
だから、女性の人数のわりに子どもは少ない」
「では、王子もいずれそんな感じに」
と言うと、いや、と王子は言った。
「私はお前の他には、女性は
大きな湖なので、波のように水面が揺れる。
壁を照らす月明かりもそれに合わせて揺れていた。
その光の中で、真っ直ぐ見つめて、王子に言われ、アキは不覚にもどきりとしてしまった。
だが、王子は淡々と言ってくる。
「言わなかったか。
女にまつわるいろいろが、めんどくさいんだ。
だから今はなんとなくお前と仲良くやりたいと思っている」
なんとなくってなんですか……。
なんという情熱のない愛の語らいだ。
いやいや、幾ら貴方が王子様でも。
それで女がときめいて、はい、貴方と一生添い
だが、ロマンのない王子はさらに言いつのる。
「お前が後継ぎを生まなければ、他の嫁をもらうようにしつこく言われると気がついたのだ。
だから、お前と
さあ、睦まじくなろう!」
「嫌です」
今の言葉で頷く女が居たら、見てみたい。
そうアキは思っていた。
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