さよならの7段目

 ふと空を見ると雲の切れ間からわずかに光が降りそそいでいる。

「……天使のはしご」

 天使のはしごと呼ばれるその情景の美しさに思わず目を細めてしまう。微かに漏れ出る光は儚く、しかし眩しくもあった。眼を陽の光で焼かれてしまったとしてもいつまでも見ていたいと思うほどに、それは素晴らしい光景だった。

光が徐々に強くなってくる。

あまりの眩しさに手をかざして遮ろうとしたが、それでも目を開けているのが辛かった。

視界いっぱいに光が溢れる寸前――、

バサバサ。

と、何かが羽ばたく音が聞こえた。なんだろうと思い、少しだけ音の鳴る方へ視線をやってみた。視界の端に微かにではあるが、羽根が見えた。一瞬しか見えなかったけれど、しかしそれだけでも綺麗ということだけははっきりと分かった。その羽根は光芒に照らされて白銀に輝いていたのだ。

光がさらに強くなる。

もう目を開けていられない。

バサバサ。

また何かの羽音が聞こえた。

 音の聞こえる方に顔を向ける。

そこで俺は――見た。

眩しさのあまり己の眼を一瞬疑ってしまったが、けれどしっかりと俺はそれを捉えたのだ。

 死んだはずのじいさんと、見知らぬ少女の姿を。

少女は白い絹の衣を着ていた。そして少女の陽に当たっている肌は真珠のような光沢を放ち、くるりと捻じれている髪が実に可愛らしい。そしてその小さな背には――白銀の翼が生えていた。

 二人は宙を浮いている。

 じいさんは小さな女の子に手を引かれながらはしごのその先――より光が強く輝いているところへと昇っていく。

 眩しさのあまり、そこで俺は目を閉じた。

 その時間もまた一瞬。数秒にもみたない僅かな時。しかしこのわずかがひどくもどかしくあった。

再び俺が目を開けた時には二人の姿はなく、あれほど強かった陽の光も落ち着いて、実に晴れ晴れしいものだった。

 あれは何だったんだろうか。

 二人がいた場所を見つめながら、俺は先ほどの光景を思い浮かべた。

 二人の姿はまさに蝶々喃々。

 仲睦まじく、手を取り合って語らっているように見えた。些か、少女の方が煙たそうにしているようにも見えたが、握った手を離すことをしないあたり、俺の気のせいだろう。なんだかんだで仲が良いのだろう。

 しかし何より印象的だったのはじいさんだった。少女と語り合いながら導かれていくじいさんの表情はほころんでいて――本当に幸せそうだった。

 旅立つことに一切の不安も、未練も憂いもない。これからが楽しみで楽しみでしかたない、そんな在り様だったのだ。

「どうしたんだ?」

 呆気にとられ、俺が急に黙ってしまったので友人が心配そうに様子を窺ってくる。俺は、

「何でもないよ」

 と、少し頬を緩めながら言った。

 そうだ。本当になんでもないのだ。

 ただ、そう。

ただ単に俺は――嬉しいだけなんだよ。

「そっか、何でもないか。それでお前はどうするんだ。じいさんの葬儀、来るのか?」

「ん? あぁ、そうだな……。いや、俺はいいや。喪服なんて着てないし、というか持ってないし。それに――さよならは言わない主義なんだ」

「……そっかぁ、わかった。それじゃあ俺は葬儀に戻るよ」

「ああ、またな」

 そう言って俺は軽く手を上げる。友人も同じように手を上げると、列の波へと戻って行った。これまた器用にすいすいと、大きな身体を揺らしながら。

 一人になった俺は、また空を見上げる。

 あの強い光が雲を蹴散らしてしまったのだろうか。先ほどまであれほど曇っていた空は今ではすっかりと晴れ、透けてしまいそうなほどの青空が顔を見せている。もしかすると、水晶の中から外を見るとこうなのかもしれない。透き通っていて、ピュアで、陽の光が入り込むと中で反射し合ってきらきらと輝く。きっと俺たちを照らすのはそんな光なのだ。

 ゴォーン。ゴォーン。ゴォーン。

 教会の鐘が鳴りだした。鐘の音はこだましているのか、重なり合って聞こえてくる。高く重なり合う音たちはどこか悲しげで、しかし誰かを祝福しているかのように綺麗な音色だった。

 俺は一度止めた歩みを再び戻した。

 一歩。また一歩と。

 地面を踏みしめる確かな感触と靴音を味わいながら。

 そしてぽつりと、

「元気にやんな、じいさん」

 そう呟く俺は、二度と後ろを振り返らなかった。

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天使のはしご Rain坊 @rainbou

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