写真に現れた父母

増田朋美

写真に現れた父母

写真に現れた父母

暖かく良い天気であった。こんな日は、のんびりと桜でも眺めに行きたいなと思われても、今年は流行している発疹熱のせいで、桜の花は美しいというより、むなしいという言葉がぴったりであった。

そんな中でも、焼き肉屋ジンギスカアンは、営業を続けていた。お客が減るのではないかと不安であったが、宅配サービスを考えたり、会議室として利用させたりすることによって、難を逃れていた。そういう訳で、人が足りないという悩みはいつもと変わらず、従業員募集の貼り紙が、はがされることはなかった。

その日、一人の女性が、ここで働かせてくれと言ってやってきた。年は、30代くらいの女性で、ちょうど若い人と中年の境界線上にあるくらいの年齢だった。早速店長であるチャガタイが面接を行ったのであるが、どうもこの人、どこかおかしい。言葉遣いや、態度がちょっと子供っぽいのである。

「それでは、うちで働いていただけるにあたって、希望する勤務時間などはありますか?」

と、チャガタイが聞くと、

「なんでもかまいません。空いているわくに入れてくれれば、それでよいです。」

と、彼女は答えた。

「其れじゃあ困りますよ。希望時間を教えてもらわないと、こっちも困るんですよ。」

「そうですね、、、。」

と、彼女は考え込んだ顔をした。そんな事、全く気にかけずに、こっちへ来てしまったようである。

「もう、外にあった貼り紙見なかったんですか?ちゃんと希望したい勤務時間とか、仕事内容とかを明記しろと、ちゃんと書いておいたはずなんですがね。そういうことをしっかり言えるようになってから、来てください。」

チャガタイはちょっとあきれた顔をして、ちゃんと考えてから来てくれよな、と、新しい従業員候補の顔を見ていた。

「ごめんなさい。唯、働きたい気持ちだけはあって、何でもよいから働きたいと思っていたんですけけど、それだけじゃダメなんですか?」

「もう、だめに決まっているじゃないですか。ちゃんと、考えてから来てください。いいですか、この店と雇用契約を結ぶんですから、どのくらい働けるかとか、ちゃんと言ってくださいよ。」

「は、はい、すみません。やる気だけは十分にあるんです。どんなにきつい仕事でも一生懸命やりますから、ここで働かせてもらえないでしょうか!」

いくら言っても、彼女はそれだけを懇願するのだった。チャガタイはウーンと考えこんで、それでは、彼女の素性とか、そういうことを聞いてみようと思った。

「あなた、お名前を小宮山千歳さんと言うそうですが、何処の出身なんですか?」

「はい、水窪町です。浜松の北の方の。」

そうか、もう合併して浜松市の一部になっているが、水窪町という町は、確かにあった。

「JR飯田線の水窪駅の近くに住んでいたんです。」

と、彼女、つまり小宮山千歳さんは、そう言った。

「で、その水窪町出身者が、なんでこの富士市にやってきたんですか?」

チャガタイがそう聞くと、

「え、ええ。ちょっと言えない事情がありまして。」

と、千歳は答えるのみである。

「それじゃあ困りますなあ。そういうところを、ちゃんとはっきりさせてもらわないと、うちの店では、雇えませんね。できるだけ、家で働くのであれば、秘密はなしにしてもらいたいんですが。」

チャガタイがそういうと彼女は、

「すみません。でも、働きたいという気持ちはたくさんありますから、どうかここで働かせてください。」

と、改めて頭を下げるのであった。

確かにこの店では、訳ありというか、事情があって働いている人は多いのだが、みんな雇用契約をするときに、事情をはっきりさせている。そうしておかないと、いざ問題が発生した場合、対処しやすくなるからである。

「お願いします。なんでもしますから、あたしをここで働かせてください。宜しくお願いします。」

「うーんそうだけどねえ。なんでわざわざ水窪町から、ここへ出てきたのか、を、はっきりさせてもらわないと、雇う側の俺たちも、困るんだけどねえ、、、。」

チャガタイは首をひねって考え込んだ。働きたいと一生懸命言っているし、この店には慢性的に人が足りないことも又事実なので、チャガタイは、とりあえず雇ってみることにした。少し仕事に慣れてくれれば、子どもっぽい態度も改まってくれるかなとちょっと期待もして。

「それでは、家で働いてもらいましょうか。まあ、まず、なれるために、ウエイトレスの仕事でもしてもらいましょう。」

「よろしくお願いします。」

小宮山千歳の顔がパッと明るくなった。

「それでは、契約のあかしとして、従業員名簿を作りますので、写真を撮らせてもらえないかな?」

「写真、ですか?」

と、チャガタイが言うと、千歳は変な顔をする。

「ええ、従業員名簿を作るのは、うちの店のお約束です。ああ、源氏名とかそういうためではありませんよ。唯、うちの店で働く人たちは、単なる従業員ではなく、家族みたいな関係でいたいから、従業員名簿を作ってほしいと思っているだけだよ。」

「そうですか。そういう事なら、お願いします。あたしは、写真を撮られるのが苦手なので、一寸、変な顔になってしまいますけど。」

「そんな事は、気にしないで結構です。じゃあ、とりますよ、店の玄関前に立って。」

チャガタイは、そう言って、彼女を店の玄関前に立たせた。そして、タブレットを持ってきて、

「行きますよ。はい、チーズ。」

と言って、写真を一枚とる。

「なんだ、苦手と言っておきながら、にこやかに笑っているじゃないか。」

と言うほど、彼女は可愛らしく、きれいな人だった。チャガタイは、店の奥にあるプリンターにその写真を転送して印刷し、彼女にそれを手渡した

「これは、記念に持っておいてください。新しい従業員の方には、こうして写真をお渡ししています。入社した時の気分を、いつまでも忘れないようにするためにね。」

チャガタイは、にこやかに笑って、そういうことを言った。

「まあ、入社式が挙行できないので、その代わりだと思ってください。じゃあ、明日の10時から、来てくださいね。」

「わかりました!有難うございます!」

満面の笑顔で、彼女はそういう。その顔を見るとチャガタイは、どうしても彼女の事を、否定するわけにもいかなかった。本当は、事情を知っておきたかったけれど、彼女は話してくれないので、一寸不安でもあった。


とりあえず、彼女は翌日の朝十時から、しっかり店にやってきた。そして、勤務時間もしっかり守るし、仕事をする態度も真面目にこなす。お客さんに対して、一生懸命はなそうとしているのも、よくわかるのだ。でも。

「なあ、兄ちゃん。」

店を閉店した後、チャガタイは、会議から戻ってきたジョチさんに言った。

「どうしたんですか?何かあったんでしょうか?」

ジョチさんは、とりあえず椅子に座った。チャガタイも椅子に座る。

「其れより、店の売り上げはどうなんです。新しい従業員を雇ったそうですね。それで少しは、効率もよくなったのではありませんか?」

「いや、その新しい従業員の事でちょっとね、、、。」

チャガタイは、頬杖をついて、溜息をついた。

「何ですか。敬一、また何かやらかしたんですか?」

「まあ確かに、彼女は、シッカリ働いてくれるし、勤務に遅刻をすることもない。そこははっきりしている。でも、ミスが多いというかなんというか、ちゃんと注文した客ではない客に料理を渡したり、水が入ったグラスはこぼすし、一寸きついお客さんがいれば、泣き出すしで、真面目なのはいいんだが、ほかに何もないよ。」

と、チャガタイは、小宮山千歳について語った。

「でも、一生懸命やろうとしてくれるんですから、そこを評価しなければだめなんじゃありませんか。仕事は、そのうちに慣れてきますよ。」

「そうなんだけどねえ。一度失敗したら、二度としないように気を付けるのが当たり前じゃないか、でも、彼女は何時までもたってもできない。」

「まあ、それは仕方ありませんね、生まれ持った特徴として、考えたほうがいいと思います。」

「生まれ持った特徴ね。つまり其れは、なんとかという精神の疾患になるのかなあ。」

と、チャガタイは、ジョチさんの話に一つため息をついた。それでは、よく言われている、発達障害というモノにあたるのか。そうなると、ある程度諦める事も必要かなと、チャガタイは思った。でも、あれだけ、ミスをやらかす従業員を、生まれ持った特徴であるから仕方ないと、解釈することは難しいと思った。

「まあ、ウエイトレスの仕事だけではないでしょう。うちの店で働くのは。厨房で料理を手伝わせるのだって、ほかの従業員の前掛けを作らせるのだって、立派な仕事になりますよ。僕たちは、どの仕事をさせても同じ賃金で働いてもらっているんですからね。どんな小さな仕事でも、生きがいになるような店にするのが敬一の役目ですよ。」

「そうだよなあ。俺はそうするのが役目。うんわかった。じゃあ、彼女には、他の仕事に行ってもらうようにしよう。」

チャガタイは、そういって、自身でうんと頷き返すのだった。やっぱり兄ちゃんにはかなわないな、と、チャガタイは頭をかじった。

翌日。今日も、小宮山千歳が出勤して、いつも通り失敗ばかりの勤務を終えると、チャガタイは彼女に厨房迄来てもらう。

「小宮山さん、明日からウエイトレスではなく、厨房で、調理の手伝いをしてもらえないかな?」

と、なるべく気軽な雰囲気でチャガタイは言った。

「そうですか、、、。あたしは、それだけ必要がなかったんですか。」

彼女は、がっかりした顔つきでそういうことを言った。こういう風に、ちょっとしたことを、重く考えてしまうのも、精神障害である。

「必要ないという訳ではないだよ。ただ、ウエイトレスではなく、調理のほうがいいのではないかと思ってね。」

急いでチャガタイはそういうが、こういう曖昧な言い方は、障害のある人には通じない。

「やっぱり、店長さんは、あたしが必要ないと思っていたんですか。あたし、一生懸命仕事をしていたつもりだったのに。何処へ行っても、あたしは必要とされてないのね。」

店の従業員が、こういう風に情緒不安定になることはよくある事なので、チャガタイは、その対処をするためにも、彼女たちの事情を理解しておかなければと思うのだった。しかし、小宮山千歳の場合は、その事情を聞いていないので、チャガタイは、困ってしまう。とりあえず、この話を聞くと、彼女は過去にも、何か嫌がらせを受けていたようなことがあったという事は分かる。でも、具体的に何があったかを知っておかないと、対処ができない事も確かだ。

「やっぱり、あたしは、どこの世界でも、必要とされていないのね。何をやっても、そういう風になってしまうんだわ。」

彼女はそういわれたことで、深く傷ついていることは確かだ。もうちょっと、彼女の事情を知ることができたら、とチャガタイは思う。彼女が明確にしない限り、それは知ることはできない。

「せっかく、写真まで撮っていただいて、あたしはやっと必要とされたと思いましたのに、これでまた、ポンと放り出されてしまうなんて、あたしはやっぱり、、、。」

と、彼女はそう泣いてしまう。自信を無くしているのも、こういう障害を持っている人の特徴である。彼女は、持っていた鞄の中から、あの時の写真を取り出した。みんな、入社した時の写真なんて、すぐに捨ててしまうモノなのに、彼女は大切に、硬質のカードケースに入れて、シッカリ持ち歩いていた。その、思い出を大切にするところも、特徴なのかも知れなかった。写真をどうしようと思って、出したのかは分からないけど、そのカードケースを見て、彼女の表情が変わる。

「どうしたんだ?」

「これ、、、。」

彼女の、写真を持った手が、がたがたと震えた。丁度このとき、ジョチさんが、仕事を終えて帰ってきた。彼女がポトリと落とした写真を、ジョチさんが拾い上げる。

「何ですかこれは。この店に雇われたときの、記念写真ですか。」

と、ジョチさんは、カードケースを持って言った。確かに、店の玄関前に立っている、小宮山千歳の姿が写っている。しかし、彼女の両脇に、彼女に何となく雰囲気の似た老年の男女が写っているのが、はっきりと見えた。

「なんでも親子で、記念写真を撮るというのは、異例の事ですね。」

「ちょっと待ってくれ。彼女を撮影した時は、彼女一人で、二人の人物がいたという事は、ないんだけどなあ。」

と、チャガタイが言った。

「でも、この写真には、まぎれもなく三人の人物が写っておられますが?」

ジョチさんがチャガタイに写真を渡すと、確かに、写真には三人の人物が写っている。

「この写真の二人の老人に見覚えはございますか?」

ジョチさんが聞くと、千歳は、

「はい、私の父と母です。」

と、言った。

「でも、十年以上前に二人ともなくなっていて、もうこの世にはいないはずなんですが、、、。」

つまるところ、心霊写真なのだろうか!

「昨日まで、一人で写っていたのに、今日になって、いきなり三人になるなんて、あり得る話だろうか?」

チャガタイが腕組をしながら言った。

「物理的には不可能ではありますが、故人がかかわっているとなると、あり得る可能性もあります。」

と、ジョチさんは言った。

「兄ちゃんは、幽霊の存在を信じるのか?」

「信じるとか信じないの問題ではなく、人間が科学で証明できないことは、いくらでもありますよ。一度や二度、こういうことがあってもいいんじゃありませんか。」

チャガタイは、兄にこんな一面があったのか、と、兄をぽかんとした顔で見た。

「だけど、お父さんとお母さんが、写真に出てくるとは、いったい何をしに出てきたんでしょうか。」

千歳は、そこがわからないという顔をした。

「そうですね、それは僕にもよくわかりません。こういう場合は、宗教家の方に見てもらうのが一番でしょう。お寺の庵主様に会って、見てもらうといいかもしれませんね。」

ジョチさんの言う通りだと、千歳は思った。ただ、どこに寺があるのか知らなかったので、道を教えてくれと言うと、ジョチさんは、小園さんに運転してもらいましょう、と言った。もう夜で真っ暗だったけれど、小園さんは、車を出してくれた。

寺へ行くと、庵主様は、すぐに写真を見てくれた。

「確かに合成写真のようにも見えないし、間違いなくお父様とお母様が、なにか言いたくて出てきたんですね。」

庵主様は、感慨深く言った。

「では、こういう風に、故人が写真に現れることもあると?」

と、ジョチさんが聞くと、

「ええ、仏教では、死ぬという事は、人間は完全に消えてなくなるという解釈はしません。肉体は確かに火葬場で焼かれてしまいますが、皆さんの記憶の中では、人間を忘れてしまう事はなかなかないでしょう。つまり、魂は地上に残ると考えるのが仏教です。ですから、生きている人に、さまざまな形で語り掛けてくることはいくらでもあるんですよ。」

と、庵主様はにこやかに答えた。

「じゃあ、なぜ、父と母は、私の写真に現れたんでしょうか?」

千歳が、庵主様にそう聞くと、

「きっと何か、お父様とお母様にとって悲しいことがあったのではないでしょうか。具体的な形で、メッセージが現れるというのは、きっとよくないことがあった時でしょうから。」

庵主様がそういうので、ジョチさんも、千歳も黙ってしまった。

「そうですか。それでは、水窪へ行った方がよろしいですね。水窪で何か不吉なことがあったのかもしれない。」

と、ジョチさんが言った。

「都合のいい日を決めて、水窪に行ってみましょうか。」

ところが、千歳は、水窪に行こうという気持ちにはなれなかった。そんなところ、行きたくもない。だって、誰も私のこと、、、。そんな思いが頭をよぎってしまう。

「きっと何かあったんですよ。そうでなければ、写真に登場することはありませんもの。」

「お父さんとおかあさんの、あなたへのメッセージかもしれない。行ってみてごらんなさい。その時は嫌だったかも知れないけれど、もしかしたら、事情がかわったのかも知れないわよ。」

ジョチさんや庵主様にいわれて、千歳はしかたなく行ってみることにした。


次の日。ジョチさんと千歳は、新幹線で豊橋駅に行き、そこから飯田線に乗り換えるため、飯田線乗り場に行く。飯田線は駅数が多い上に、電車のスピードも遅いというから、早くいけるように、特急伊那路に乗車した。特急のくせに、随分のろくて、乗っている乗客もちらほらとしかいない、本当に田舎電車という言葉がぴったりだ。千歳は、この田舎電車が嫌いだった。

伊那路に乗っても、水窪駅に到着するのには、一時間以上かかった。新幹線みたいに、すごいスピードで走ってくれたらいいのになと思うのだが、どうもそれは無理なようだ。終点の辰野駅までは、およそ六時間かかってしまうという。気が遠くなるような電車だ。

山ばっかりの風景を眺めて、水窪駅に着いた。なぜか特急が止まるという駅なのに、無人駅だった。

駅員はいなくて、運転手が切符を回収していた。

水窪駅で電車を降りると、とりあえず駅の周りにある、観光客用の小さな土産物店に行って、例の写真を見せて見る。

「ああ、これは確かに小宮山千歳ちゃんのお父ちゃんとお母ちゃんじゃないか。」

「確か、十年くらい前に亡くなって、、、。」

と、土産物屋の人たちはそういう事を言った。でも、その態度はなんだかよそよそしい態度で、千歳を見つめている。

「でも、この写真は今の千歳ちゃんじゃないか。」

ちょっと親切そうなおじさんが、千歳の顔と、写真を比べてそういうことを言った。

「ええ、数日前に、ある焼き肉屋さんで、働くことになって、記念に写真を撮ってもらったんです。」

と、千歳が言うと、お店の人たちは、そんな時期になって、なんでお父ちゃんとお母ちゃんが、写っているんだろう、と首を傾げた。

「あの、最近、この地域で不吉なことや、困ったこと等は起こりませんでしたでしょうか?

と、ジョチさんが聞いた。

「まあ、確かに、昨年、すごい大嵐が起きたという事は確かですが、それ以外、この田舎では、何も起きておりません。」

さっきのおじさんがそう答えるが、

「困ったことと言えば、若い奴がこの町を嫌って、逃げてしまう事でしょうか。もう、ここには年寄りばかりで、若い人は誰もいません。」

と、土産物屋の店主がそういうことを言った。

「とりあえず、お父ちゃんとお母ちゃんが出てきたってことは、よっぽど何か大事なことがあるという事だろうよ。ちょっと、お寺に行ってみて、お父ちゃんやお母ちゃんに謝ってみたら?」

たまたま支払をしていた、おじいさんがそう話した。お寺に行くのはちょっと、と千歳は思ったが、周りのおじさんたちは、そうだ、そうだ、そうしよう、そのほうがいいと、言い張っている。ジョチさんが、わかりましたといい、その寺の場所を聞くと、ここから歩いて五分程度のところだといった。水窪は過疎地域なので、駅の周りにしか、商店や文化施設などがない。逆をいうと、そこを除くとほとんどすべて、森ばかりの町なのだ。

とりあえず、二人は、土産物屋に居た人たちにお礼を言って、その寺に向かった。寺と言っても、富士の寺のように檀家が多いわけではないから、極端に敷地は狭かった。本堂は何とか再建されているようであるが、ところどころ、石垣が崩れているところがあった。二人は、墓地のある所に向かった。千歳の両親が埋葬されている墓は、その墓地の一番奥にあった。

ところが、両親が埋葬されている墓は、墓を支える石垣が崩れており、墓石が倒れていた。備えてある花もなく、お参りに来てくれる人もいないのか、お線香が立っている気配もない。

「そう言えば、さっきの方が仰っていたあの台風ですけどね、幸い、富士市の方は、さほど被害がひどくなかったんですけど、浜松のあたりは被害が甚大だったと聞きます。きっと、お父様とお母様は、お墓がこんなひどい状態になっているので、これを直してもらいたくて、写真に出てきたのではないですか。」

と、ジョチさんが言った。確かに、それを願っているのだと、千歳も思った。

「千歳さん、この町で一番優秀な石工を探しましょう。墓石の修繕は、専門家でないとできないですから。」

「石工?」

「ええ、石を加工する会社ですよ。先ほどのお店の店長さんに聞いてみるなりして、墓石を修繕してくれる、石工を探すんです。」

確かに、有名な石工は知っている。でも、その人は、私が一番嫌だと思った人だ。その人に会いに行くなんて、なんという最悪のシナリオだろうか!

「ほら早く。早くしないと、帰りの電車がなくなってしまいますよ。この辺りは、電車の本数が少ないんですから。」

ジョチさんにそういわれて、千歳は、嫌なことは早く済ませようと思い、その石工さんが住んでいるところへ行ってみた。道はすぐにわかった。どうせにぎやかなところは、駅の周辺しかないから。それ以外の場所は、全部森ばかりだから。

千歳たちが到着したのは、長谷川石材という店だった。いつも、大量の墓石が置いてある、ちょっと不気味な場所だった。ジョチさんに促されて、千歳は、中で作業をしている、長谷川石材のおじさんに声をかける。

「あの、すみません。」

彼女が声をかけると、おじさんは何だという顔をして振り向いた。もともとこのおじさんは、職人気質の気難しいところがある人だが、千歳はそういうところからもう苦手なところがある人だった。

ところが、おじさんは、千歳を見てにこやかに笑っていた。

「すみません、、、あの、、、母の、、、。」

どうしても先が言えない。でも、それでは、いけないのだが、、、。

千歳は、あの時の事を覚えている。この町を出るのだったら、もっと、財を成すような、大人になって帰ってこいと言われたことだ。この町の人は、ちょっとでも、仕事ができないとか、能力的に劣っている人に遭遇すると、徹底的に排除してしまおうという習慣があった。それは、過疎地域だし、こんな山の中だから、みんなお金持ちではなかったことが原因なのかも知れないが、発達障害がある人というのに、慣れていないという事が、一番なのかもしれなかった。その彼女を排除しようとした、中心的な人物が、今目の前に居る長谷川石材のおじさんだった。働かざるもの食うべからずとよく口にして、回覧板を届けたり、なにか用事があっていくたびに、嫌味をいっていたのだった。一人の人に嫌味をいわれると、ほかの人もそういっているうに見えてしまうのである。千歳は、周りの人すべてが自分の悪口を言っていると思う様になった。それを、隣近所の人に、当たり散らすことも多くなった。ときには、何も根拠のないものを怒鳴りつけて、隣近所の人を怒らせたこともたくさんあった。そのたびに、父と母が謝罪に言ってくれて、かろうじて、近所付き合いを頼んだ。しでかした本人である千歳と言えば、一度も謝罪はせず、少し精神が落ち着いたのを見計らって、家を出て行ってしまったのである。残った父母はどうしたのだろう。そんな事を考える余裕すらなかったが、

墓石のあの有様を見て、彼女の両親はどんな扱い方をされたか、よくわかるような気がした。

「あの、、、父母の、、、。」

先が言えないのは困ってしまう。ジョチさんがしっかり言いなさいというのも聞こえてきた。もう、こうなったらやけくそだ。もう覚悟を決めて、こういうことを言った。

「父母の墓石が壊れてしまっていたので、もう一回作り直してください!あたしのせいで本当に、ひどいことをしてしまったのは、申し訳ありません!」

そう言って、彼女は地面に伏せて手をついた。

「わかりました。」

と、長谷川さんはにこやかに笑った。

「おつくりいたしましょう。どのくらいの大きさにしたらいいのかとか、詳細を教えてください。」

もう許してる。

千歳は、長谷川さんに対してそういうことを思った。長谷川さんの穏やかな顔を見てそう思った。

許すとは、こういう気持ちの事だろうか。こんなに辛い事だろうか。お父さんとお母さんは、この人を許してやってくれという意味で、写真に現れてきたのかもしれない。

「お願いします。サイズはお寺にあるサイズで。」

急いで彼女は、涙をこらえながらそういうことを言った。

「それでは、まず、菩提寺にある墓石の状態から、調べてみたほうがいいかなと思いますね。」

やっと理事長さんもそう言ってくれたか。それでは、本格的に、父や母の眠っている墓石の修理を開始しよう、と、千歳は思った。

そして、さんざん、迷惑をかけて来た、町の人たちにも謝ろう、と。一度に全部の事は出来ないから、

先ず、この長谷川さんと和解して、次は隣の佐藤さん、その次は向かいの田中さんと、一人ひとりに謝罪して歩こう。

だって、私は、一人で生きているのではない。

街の人たちに囲まれて、生きてきたのだから。

先ほど、庵主様は、人間は消えてなくなるという事はないといった。きっと父と母も、消えてなくなることはなく、しずかに見守ってくれたことだろう。それでは、今の私をきっと見ていてくれただろうか。これからも、生きていく。

千歳はそう思った。







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写真に現れた父母 増田朋美 @masubuchi4996

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