第9話「循環するエネルギー」

 暖かな空気をまとって柚香は帰途についた。

 スキップするほどではないにしても心が弾んでる、心が軽い。つい鼻歌を歌い出しそうになって辺りを見てひとりでくすりと笑う。


 沙樹との楽しい会話やフィリシアとの話の余韻に浸って、あの喫茶店にまた近々足を向けよう・・・そう思いながら見上げた空に一番星が光っていた。


「ん?」


 アパートの柚香の部屋に明かりが灯っている。


「・・・あっ、もしかして!」


 柚香は慌てた。

 きっと母が来ているに違いないとそう思ったからだ。日頃からアパートに来る時には前もって必ず連絡をするように母には念を押していた。


「嫌だ、大変! どうしよう!」


 子供の頃の苦い思い出が脳裏をよぎる。


(捨てられてたらどうしよう! レジン関連の材料も作品もそのままだ!)


 今まで何度好きな物を母に捨てられてきただろう。

 一人暮らしを始めて好きな時間に好きなことが出来る喜び、好きな物に囲まれて暮らせる幸せに浸ってきた。それなのに、また捨てられてしまっていたらと思うと心が乱れた。


 飾ってあったレジン作品、いつでも作りたいときにすぐ作業に取りかかれるようにと机の上にセットしてある材料を入れたケース。


 ずっと上手くやってこれた、母のやってくる前に趣味に関する物は片づけてやり過ごしてきた。そうやって今まで回避してきたのに・・・・・・。


「あのガラクタ捨てたから」


 忘れられない昔の台詞が頭の中でリピートする。




 勢いよくドアを開けた柚香に声がかかる。


「柚香、お帰りなさい」


 気の抜けるほど穏やかな母の声に迎えられて、柚香はやや肩すかしを食らった気がした。


「た・・・ただいま」


 靴を脱ぎながら目は奥の部屋へと向ける。


「夕ご飯出来てるわよ、手を洗ってきなさい」


 普段と変わらぬ穏やかな母の声がかえって不気味だった。


「う、うん。鞄・・・置いて着替えてから・・・」

「さっさと着替えて、冷めちゃうから」


 柚香は落ち着いた風を装いながらざわつく心で隣の部屋へと入る。飾ってある物も机の物も変わらずそこにあった。


「いつ来たの?」

「2時頃かしら」

「ふ・・・ふーん」


 母の顔を盗み見ながら柚香は着替える。

 部屋が少し片づいているところを見ると母の手が入ったことは間違いない。見ているだろう趣味事の件を何も言わない事が怖く思えた。


 席に着けばきっと何か言ってくるに違いないと腹をくくって、柚香は机の引き出しに手を伸ばす。

 着替え終わって戻るとテーブルの上には柚香の好物が並んでいて、すでに母が座って待っていた。


「レジンとか言う物、まだやってたのね」


 ドキリとした。

 黙って座る柚香のお尻が椅子に触れるより一瞬早く母の口が開く。


「勉強はちゃんとしてるの?」

「お母さん・・・!」


 つい声が張ってしまい柚香は自分でも驚いて口をつぐんだ。真っ直ぐこちらに向けられた母の目が痛い気がする。それでも柚香は意を決して続きを口にした。


「勉強はちゃんとしてる。これ、これお母さんにプレゼント」

「プレゼント?」


 柚香の差し出した掌には小さな四角い箱が乗っていた。綺麗に包装されリボンの付いたプレゼントを不思議そうに手にした母が柚香を見つめる。


「時々来てくれて、私の好きなおかず作り置きしてくれたり・・・有り難う」


 くすっと母が笑う。掌の小さなプレゼントを眺めて「なんだか怖いわね」と言った。


「勝手に掃除したり置き場所変えたり、本当は邪魔だと思ってるんじゃないの?」

「そんな事! ・・・思ってないわよ」


 少し詰まる柚香を見て「嘘つきね」と言いたそうに母は苦笑いする。


「ふーん、そうかしら」


 そう言いながらもリボンを外す母の顔は嬉しそうだった。


(もう、素直じゃないんだから・・・)


 蓋を開けた母の手が止まり、柚香は落ち着かなげに母の顔を伺う。

 母の手がそっと中の物を取り出し、掌に乗せてしげしげと眺めている姿に柚香は落ち着かなかった。


「綺麗ねぇ」


 母の表情がほぐれ目がきらきらしているのを見て柚香も笑顔になる。


「母さんの好みに合うかと思って」

「うん、これ好きよ私の好みにぴったり」


 柚香は鼻から息を抜いて自分を落ち着かせた。


「これね・・・・・・お母さんのために作ったんだよ」

「えっ? 柚香が?」

「そう」


 目が点になった母を見て柚香は笑った。


 本物の金ではないが母好みのゴールドのフレームを柚香は選んでいた。蔓薔薇が絡みながら透かし彫りの様な造形になっているフレームに、柚香がパール状のビーズや宝石のようにカットされたモチーフをあしらった。


 フレームの中央の抜けはそのままに、レジンで作った透明感のある薔薇をフレームの上に大小重ねたり並べたりと配置してあった。透け感のある葉も付けて、薔薇や葉の上にも水滴が乗っているように光るビーズを乗せている。


「これを・・・柚香が作ったの?」

「うん」


 きらきらと光る物を沢山使ったアクセサリーは柚香好みではない、その事は母も分かっていた。だから、改めて手の物を眺める母の目が大きくなっていた。


「・・・凄いわね」

「え?」


 意外な母の言葉にこんどは柚香が目を丸くする。


「ええーー! 本当に作ったの?」

「うん」

「綺麗ね、有り難う。・・・・・・ええ? 本当に!?」

「本当だよぉ」


 驚いたり礼を言ったりと忙しない。


 フィリシアの話を聞いている内に柚香は気付いた。自分の好きな物を母が受け入れてくれないと思っていたが、自分も母の好きな物を受け入れてないのだと。だから、母のために母の好きな物を作って用意していた。


「お母さん、私ね・・・レジンはずっと続けようと思ってるの」


 母は黙って聞いていた。


「レジンで生活できるくらいにはならないかもしいれない、でも副業くらいにはなると思うの」


 ただ黙って掌のブローチを見つめている。


「この間フリーマーケットに出店してね、結構買ってもらえたんだよ」


 柚香に目を向けた母が小さい声で「そう」と言った。


「今後、お母さんがいい加減にしなさいって言っても止めないから、・・・・・・お母さん?」


 今まで見たことのない柔らかな母の笑顔に柚香は少し戸惑って見つめ返した。


「ま、どこまでやれるか見物だわね」


 そう言って母が笑う。


「ねぇ、柚香。この金色の所も柚香が作ったの?」

「それはフレームっていう物で、お店に売ってるのよ」

「この薔薇とかも売ってるの? 買ってきてくっつけただけ?」


 子供の質問のような疑問が次々と出てくる。


「くっつけただけじゃないよぉ! 薔薇は私がレジンで作ったのよ」

「そうなの? じゃあ、これは?」


 母の質問にレジン作品の作り方や材料の名前まであれこれと話は続き、今までになく盛り上がって楽しく時間が過ぎた。


 こんな風に母と趣味の話をする日が来るとは、柚香は今まで考えてもみなかった事だった。





 明けて月曜日。


「柚香、例のURL見てみた?」


 沙樹に言われて柚香は忘れていたことに気付いて慌てた。霧雨から渡された紙のことをすっかり忘れていて、しまった事すら思い出せなかった。


(あの紙、どこにしまったっけ?)


 あたふたと探し回り、見つけたときには心底ほっとしてほっとした自分の気持ちにときめく。


「馬鹿だなぁ、何どきどきしちゃってるのよ」


 真っ直ぐ帰ってどきどきしながらスマートフォンと向き合う。画面に映し出されたのは文字列だった。


「その少女は桜の舞い散る公園で泣いていた・・・・・・」


 物語の冒頭を読んで柚香はあの日の光景が浮かび、喫茶店で出会った人々を思い返した。


 それは物作りに挫折した少女と創作から逃げ出そうとする少年が異世界で奮闘する物語だった。


 世界の枠組みの中で決められた仕事に就き日々を過ごす人々。

 決められた物を作り決められた色の服を着て過ごす彼等はそれが当たり前だった。少年と少女によって好きな物を作る喜びを知り心の自由に目覚めた人々が国を変えていく物語。


 新しい考えに新興宗教のレッテルを貼られて忌み嫌われたり、王制の崩壊を恐れた王族から命を狙われて逃げまどう。その中で少年と少女は友と共に成長し、自分が本当に作りたい物に気付き自信を深めていく。


「もう私は諦めない・・・例え世界中から誹謗中傷を受けても。応援してくれる皆がいるって私は知ってるから」


 光の門をくぐる少女が異世界の人々を振り返ってそう宣言して物語は終わった。



 少女の気持ちにリンクして高揚感に浸る柚香はあとがきに目が止まる。


「ん?」


 桜の花びらを被った赤目のうさぎにこの物語を送りたい。僕は泣き虫のうさぎをいつまでも応援したいと思っています。



(・・・・・・! 赤目の泣き虫うさぎって! え!? もしかして、えぇ!)


 柚香の頬に灯がともった。

 部屋の中で右往左往してベッドに突っ伏した柚香は足をばたつかせて悲鳴を上げていた。ひとしきりそうやって興奮をおさめた後、柚香はがばっと顔を上げた。


「か、感想を書こう!」


 感謝の気持ちを、いやいや小説の感想を書くのだと気を落ち着かせる。サイト登録しないと感想が書けないと分かると即座に登録した。


 何度も何度も書き直して、やっと感想を送る。


「きっと泣き虫うさぎは嬉しいと思います。応援してくれるあなたの事をうさぎも応援しています、絶対!」


 そう締めくくった。

 書き終わって気持ちが落ち着くと自分の文章に恥ずかしさが募った。もしも勘違いだったらと考えと身悶えするほど恥ずかしい。


「よしっ! 作ろう、頑張るぞ」


 恥ずかしさを忘れるために、もらった力を創作に変換して柚香は机に向かう。



 その頃、少し離れた街のある場所でも叫び声が上がっていた。


「か・・・感想、来たぁああーーーー!!」


 ノートパソコンに向かいガッツポーズをする青年は、待ちに待った人からの反応に興奮を抑えられなかった。そして柚香と同じように、自分の書いたあとがきに身悶えし彼女からもらったエネルギーを文章に変えて奮闘を始めるのだった。




 魔法に見えないさり気ないことが人の心に力を与えることがある。


 何気ない一言が、ただの雑談に思える会話が人の心に明かりをともすことがある。


 言葉は刃にもなれば優しい追い風にもなって人に届く。



 言葉は魔法。


 気負わずさり気なく届けよう。





ーーー 終わり ーーー

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魔法はさりげなく 天猫 鳴 @amane_mei

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