第8話「優しい魔法」

 柚香は沙樹と2人、バスに揺られながら丘の上の喫茶店へと向かっていた。


「引っ越してきてから結構経つけど、こっち方面には来たことなかったんだよね」

「うん、私も来たことなかった」

「あぁーー、柚香と一緒に行こうと思ってたのに先越されちゃったな」


 窓際の沙樹はそう言って笑うと木々の隙間から見える町に目を向ける。あの日、フィリシアの車の中から見た景色と同じだけれど色違いの街が眼下に見えていた。




「いらっしゃいませ」


 喫茶店のドアをくぐるとすぐに日向の明るい声が迎える。


「どうぞ、お好きな所へ」


 入り口から見て左側、窓辺のカウンター席はお一人様やカップルが座っている。右側はテーブルをつなげて何かをしているようだった。セミナーなのか年代的には主婦とおぼしき女性達が和気藹々と何かに熱中していた。


「柚香、あそこのテーブルにしようか」

「うん」


 今日は日曜日だったがその割に混んではいなかった。窓辺からの眺めも良さそうだったが沙樹の選んだテーブル席へと向かう。今日の目的は喫茶店から見える景色を楽しみながらケーキセットを食べることではないのだ。


(あ、この席って・・・)


 沙樹が選んだその席は偶然にもあの日商品を並べたテーブルだった。


(一週間ぶりだけど、懐かしい)


 今日で2度目なのに、まるで長く親しんだテーブルに座るような気持ちで柚香はテーブルを撫でた。向かいに座る沙樹のその向こうの席が目に留まる。


(・・・あの日は、あの席に霧雨さんが座ってたんだなぁ)


 最初フィリシアの背後に見えた霧雨は冷たい感じがした事を思い出す。その席には誰かが座っているようで鞄だけが椅子に置かれていた。


 2人が着席すると日向が水を持ってやって来てメニューを渡しながら「久しぶりね、兎さん」と言った。


「兎さん?」


 日向の声かけに顔をクレッションマークにした沙樹が柚香と日向を交互に見ている。


「兎さんって?」

「何でもないの、気にしないで」


 柚香は慌てて笑顔で手を振った。


 沙樹には公園で一休みしていたらお年寄りと出会って、案内されるままついて行ったら魔女の喫茶店だった。そして、あの日売れ残った商品を店主の好意でお店で売らせてもらったのだ・・・・・・としか説明していなかった。


(公園でまた泣いてたなんて、沙樹には知られたくないな)


 柚香が微かに困った顔を日向に向けると、彼女は「分かりました」と言っていそうな表情で軽く微笑んだ。


「メニュー、シンプル」


 沙樹が率直な感想を漏らす。


「沙樹ッ」


 沙樹が下を出して肩をすぼめる。ペコペコと頭を下げる柚香に日向は笑顔を返した。


「シンプルでしょ、沢山あると女の人は迷いがちだから。迷う時間よりお喋りの時間を増やしたいっていうのがフィリシアさんの思いなの」


 サンドイッチとサラダとパンケーキ、それぞれ数種類と飲み物があって後はケーキセット、以上。メニューを開いた一面で全部だった。


「さて、何処にあるのかな?」


 注文を終えるとそうそうに沙樹が立ち上がる。


「レジの近くの・・・」

「あ、あそこね!」


 柚香が指し示すより先に沙樹が歩き出し、その後を追ってこそこそと柚香が続いた。


「あ! 見つけた。これ柚香のよね」


 ワイヤーで作られた広葉樹の枝にぶら下がった柚香の作品をすぐに見つけた沙樹が得意そうに振り返る。


「格好いいじゃない。私が作ったものじゃないのに、こんな風に飾られてるの見るとなんだか嬉しい」

「本当?」

「うん、全然引けを取ってないと思うよ」


 そっと耳打ちする沙樹の屈託ない笑顔が柚香は嬉しかった。


 沙樹はテーブルの上に飾られた複数の作品と作者紹介のPOP、個展紹介のチラシやパンフレット等が置かれたテーブルをしげしげと眺めていた。


「そろそろ席に戻ろうか」

「そうだね」


 沙樹に声をかけて自分達の居た席へと足を向ける。


(あっ!)


 先程は鞄しか置かれていなかった席に人が座っていた。黒ベースの服装の青年。


(霧雨さんだ)


 ふいに俯いていた彼の顔が上がるのを見て柚香は目を反らし、沙樹の背後に隠れるようにして席に戻った。


「ん? 柚香どうしたの」

「何でもないよ」


 柚香の目線の定まらなさを不審に思った沙樹が振り返る。自分の背後の席に座る青年の横顔が目に入って沙樹は視線を戻した。


「もしかして、あの人・・・?」


 沙樹は自分の体で手を隠しながら背後を指さして小声で言い、柚香も小声で返す。


「例の彼?」

「しーーっ!」


 霧雨の事は話した。


(ほんの少し軽く話しただけなのに、もう)


 沙樹は柚香が彼に気があると思っていた。


「変な言い方しないでよ」


 少しむきになる柚香に沙樹が詰め寄る。


「だってべた褒めだったじゃない。真剣な眼差しと内に秘めた決意の横顔がもの凄く格好良かった・・・・・・」

「もの凄くとか言ってないでしょ」

「言ったよ」

「帰り際に何か言いたそうだったって言っただけよ」


 珍しく柚香が引かない。


「何か言って欲しかったんでしょ」

「違いますぅー」


 2人のこそこそ話の背後でガタリと椅子の引かれる音がして会話が止まる。目線を上げた柚香の目にすっくと立った霧雨の黒いシルエットが眩しく映り込んでいた。


 霧雨の動きにつれて柚香の目が動き、その動きを見て沙樹も見上げる。


 2人の席の脇にやってきた霧雨がピタリと立ち止まり、テーブルの上に小さな紙をすっと置いた。2人して霧雨を見つめたまま固まって見上げている。


「あの、これ。よかったら読んでもらえると・・・嬉しい」


 目を合わせずぼそりとそう言って霧雨は自分の席へと戻って行った。そして、すぐに鞄を手に取る。


「あれ? 霧雨君もう帰るの?」

「あ・・・はい、もう帰ります」


 柚香達の注文の品を手にした日向が不思議そうに声をかけた。


「柚香さんを待ってたんじゃないの?」

「ちっ! 違います」


 焦る霧雨の目が柚香の視線とかち合う。


「いや、違わないけど違うんです」

「あはは、霧雨君たら何言ってんだか」

「もう大丈夫なので・・・あの、会計を」


 そう言って霧雨はさっさとレジへと向かってあるいて行った。その後ろ姿を見ながら日向は2人のテーブルへサンドイッチひとつとケーキセットをふたつ置く。


「霧雨君、最近よく来るのよ。柚香さんを待ってると思ったんだけど。ーーーごゆっくり」


 面白そうに柚香と沙樹に目配せして日向はレジへと向かった。


「それ何?」


 沙樹が小さな紙片を確認する前に柚香が拾い上げる。


「アドレス」

「連絡先!?」


 沙樹の声が跳ねる。


「そうじゃ・・・ないみたい」


 柚香が見せた紙にはURLが書かれていた。


「そう言えば、読んでくれたら嬉しいとかなんとか言ってたね。ラブレター!?」

「違うでしょッ!」

「今、見てみよう!」

「ちょっと待ってよ」

「見てみようよ」


 沙樹が取り出したスマホの画面を誰かの手が遮った。


「後で・・・!」


 その手は霧雨の物だった。会計を済ませ出口へと向かう途中で止めに入ったのだ。


「柚香さんが読んでくれたら、それで良いですから」


 ほんの少し頬を赤らめているような霧雨がさっと顔を逸らして出て行く。呆気にとられて外へのドアを見つめる2人の元へひときわ楽しげな声が届いた。女性達の集まる席からだ。


「そう言えば・・・・・・フィリシアさんってどんな人? ここにいる?」


 ここに来て今日この喫茶店へやってきた1番の目的を沙樹は思い出した。


「えっと・・・あ、あそこ」


 フィリシアは今盛り上がっているグループの中、輪の中心で楽しそうにしている。


「・・・・・・あの人」


 沙樹の目がフィリシアから何かを思い起こそうとしていた。


「間違いない、そうよ。あの人よ」

「ん? どうしたの?」

「私あの人、フィリシアさんを見たわ」


 パッと柚香に向けた先の目が輝くようだった。


「何処で?」

「この前のフリマよ! 私が戻るすぐ前にあの人達行っちゃったんでしょ? モンスター!」

「え? ああ・・・うん、そう」


 柚香の手を取る沙樹が興奮している。


「私見たのよ」

「何を?」

「彼女が、フィリシアさんが見てたの」

「落ち着いてよ沙樹、どう言うこと?」


「やっぱり彼女魔女なのよ!」


 小さく両の拳を握って、沙樹がスクープ写真を撮ったカメラマンのように喜んでいる。


「沙樹、さっぱりわからないわ」

「聞いて聞いて、いい?」


 沙樹の声が一段と小さくなる。


「私、あの時知り合いの出店先に顔を出してから戻ろうと思ってたの。そしたら彼女が立ってた」


 トイレに行った帰りのことのようだ。


「フリマの少し外れに立ってて、じっと一点を見つめてたのよ」


 声は落としたままオーバーリアクションで情景を伝えようとする沙樹。


「まるで写真みたいに動かなくて、とても不思議な感じがしたの。だから、その目線を辿って私たちが出店してる場所の方を見てるって分かって。私なんだか胸騒ぎがしたのを覚えてる!」


 その話しぶりは探偵の謎解きの場面のようだった。


「フィリシアさんがあそこに?」


「それで急いで戻ったのよ。彼女がいなかったら戻るのはもっと後だったし・・・、もしかしたら呪文をかけてたのかも! モンスター撃破呪文!」


 沙樹が手を組んで祈りのポーズをする。


「呪文だなんて」

「そうじゃなかったら、柚香に形勢逆転されない限りそんな急に逃げるようにいなくなったりしないと思う。うん」

「うんじゃなくてね・・・」


 にわかには信じられないが、沙樹の話が本当ならフィリシアはやはりあの出来事を目にしていたのだろう。


(あの公園で出会ったのは・・・偶然だったの?)



 へこんでいる人をほっとけない質。



 日向の話してくれた言葉が思い出される。


(私のことを心配してくれたのかな、だから気にかけてほっとけなかったのかな・・・・・・。フィリシアさんはあの日、ずっと私を見守っててくれたのかな・・・・・・)


 胸がきゅっと熱くなって目頭も熱くなる。


「柚香、どうしたの? ちょっと、何で泣いてるのよ」

「嬉しくって・・・」

「柚香ったら」


 また沙樹を困らせてる。


(泣き虫でごめん)


 笑い泣きする柚香に気付いてフィリシアがやってくる。


「あらあら兎さん、どうしたの」

「・・・フィリシアさんの優しい魔法のせいです」


 フィリシアにそっと抱きしめられて皆の注目が集まって、あの日とは違う視線の集中に柚香は恥ずかしかった。



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