番外編 国境騎士団



 ワズグの店で弓の注文を終えた次の日、勇者は面倒そうな賢者に道を教わって、街の入り口近くにある国境騎士団の駐屯地を訪れていた。立派な剣を腰に佩いていた騎士団長達と、街の門の両脇に槍を持って立っていた騎士達を思い出し、彼らならば槍使いとの戦い方を知っているのではないかと思ったのだ。


 白い建物には通りの家々に下げられているのと同じ青ではなく、守護を司る火の女神の赤い旗が垂らされている。そしてやはり槍を持った門番がいて、なんだか偉そうな顔をしているなと思いながら勇者は彼に向かって軽く胸に手を当てた。この国の挨拶の仕草らしく、そうすると礼儀正しく見えるのだそうだ。


「こんにちは、どのようなご用件ですかな?」


 蓄えた口髭をなぜかきっちり四角く切り揃えている門番が言った。言葉は慇懃だが、口調は妙に見下すような感じだ。一撃でのせそうに見える男に上から見られて、少しだけ気分を悪くする。おかしな髭をしているのも腹立たしい。


「こんにちは。ええと……ディオノに相談があるんだが、話はできるだろうか」


 勇者の少し粗野な言葉遣いを聞き、旅の中で少しくたびれたマントとブーツをじろじろ見ると、偉そうな顔が更に偉そうになる。睨みつけてやろうかと一瞬思ったが、こんな小物を脅かしても仕方がないので我慢した。


「ディオノ。緑竜隊のディオノ=アルハーレンかね」

「家名は知らないが、短い茶髪に……目の色は忘れたけど、このくらいの背丈の男だ」

 頰の高さに手をかざしながら言うと、髭騎士がもったいぶった様子で髭を触る。


「ふむ。アルハーレンにどのような御用か伺っても?」

「剣を教われないかと思って」

「……剣を? そのようなことは騎士団を通さず、個人的に依頼したまえ」

「いや、でも何かあったらここに来てくれって言われてて」

「知人にも満たない関係で、旅人風情が騎士に剣の指南を願うと……では健気な町娘のように、そこで花の一輪でも持って彼の退勤を待ってみてはいかがかな」


 そこで勇者は「こいつは話にならない奴だ」と判断した。なので、門番が無能だった場合にと賢者が教えてくれていた方法を試してみることにする。


「……騎士団長殿に御目通り願いたい」


 父から贈られた銀の指輪を見せながら背筋を伸ばして顎を上げ、賢者の真似をして高圧的な口調で言う。本当はこの台詞以外にもきつい嫌味がいくつか付け加えられていたが、性に合わないのでそれは省略した。


 すると髭は途端に目を丸くして「失礼いたしました、すぐに」と胸に拳を横向きにぶつける敬礼をし、ちょうどすぐ門の内側を通りかかった少年を呼び寄せて、勇者を建物の中まで案内するように命令した。


「……馬鹿馬鹿しいな。髭も変だし」


 少し離れてから小さく呟くと、従騎士だという少年がクスッと小さく笑った。こっちは見所がありそうだと視線を向ければ彼は慌てて真面目な顔を取り繕ったが、まだ目は笑っている。吟遊詩人より少し年上くらいに見えるので、たぶん成人したばかりといったところだろう。


「身分で人を見たところで、目の前で向かい合えば身一つだってのにな?」

 話しかけると、少年は上司の悪口に便乗もできないのか、少し困った顔になって一言「勇ましいお考えです」と言った。


「お前も苦労してるんだな……」気の毒になってしみじみ言う。

「それでも、唯一外の世界と繋がっているこの街の騎士になれば、自分の手でヴェルトルート全体を守れるんです。伝統的な上下関係を重んじるお方が数名いらっしゃる程度、苦労のうちに入りません」

「うん、お前は誰より立派な騎士になるよ。俺が保証する」

 そう言えば、少年は照れ臭そうに指先で服の裾を少しいじった。

「俺はシダル。お前は?」

「ジーリオです……え、シダル殿って、もしかして」


 ジーリオが目をまん丸くして勇者の背中の剣を見つめたところで、向こうから「あ、勇者様!」とディオノの明るい声がした。


「ディオノ、良かった」

「団長にご用事だとか。今はちょっと出ているので、待合室にご案内します」

「あ、いや……さっきは変な髭をした門番に絡まれたからそう言っただけで、お前に相談があって来たんだ」

「……変な髭をした」ディオノがきょとんとする。

「定規で描いたみたいな長方形で……あ、すまん。お前の仲間なのに」

「いえ。変な髭……勇者様、あれは彼の趣味ではなくて、いえ、趣味なんですが……ふふっ、変な髭って、お気の毒に」

 段々と面白くなってきたのかディオノが肩を震わせ始め、ジーリオが「ディオノ様、笑わないでくださいよ! 僕が我慢できなくなります」と言った。


「……すまない、ジーリオ。ちょっと……変なツボに、いや、勇者様。俺を頼ってくれたなら嬉しいです。すぐ部屋を用意しましょう。人払いはどの程度いたしましょうか?」

「いや、ここでいいよ。時間のある時に、剣術を教えてもらえないかと思って。今まで独学で振り回してただけで、ちゃんと学んだことはないから」

「……剣術を、俺に?」

 ディオノの目が見開かれる。後ろでジーリオが「凄い……!」と興奮したように囁いた。


「お前が良ければ。あと、勇者様じゃなくてシダルって呼んでくれ」

「光栄です、シダル……!」


 感激してすっかりはしゃいだ様子になったディオノは、凄い勢いで少し呆れ顔の副団長に話をつけ、あっという間に訓練場のひとつを勇者専用に押さえてくれた。


「今からご案内する訓練場を、ご滞在の間は毎日、夜中以外はいつでもご利用いただけます。前日までにいらっしゃる時間をある程度教えておいていただければ、指導役とお相手役の都合をつけますので。お帰りの際に通行証をお渡ししますから、それを見せていただければ彼のような……ふっ、変な男が門番をしていても通れますので」

「ええと……そこまで手厚くしてくれなくても」

 困惑気味に言うと、実に爽やかな満面の笑みが返ってくる。

「お気になさらず。私達は皆、守りたいものがあるから騎士になったのです、世界を守ってくださる勇者様のお手伝いに力を抜けるはずがございません」

「……ありがとう」

 あまりの熱意に少し気後れしながら礼を言う。


「せっかくご指名いただいたので基礎は私がお教えしますが、剣の扱いは団長が、槍のお相手としては副団長が最も腕が立ちますので、彼らも任務の合間を縫って参ります」

「う、うん」

 出かけている団長の予定まで勝手にこいつが決めていいんだろうか、と思いながら頷く。


 そんな風に張り切っているディオノに訓練場や更衣室を案内してもらい、訓練用の武器庫を見せてもらってから、勇者はまず簡単に武器の手入れの仕方を教わった。

「毎晩、できれば使用後すぐ丁寧に羊毛で拭って、錆止めには油を使いますが……オリハルコンならば必要ありませんね。補助の短剣などには不乾性の果実油を使ってください。あとで一揃いお渡しします」

「あ、それは持ってる」

「……もしかしてやったことがありますか?」

「ああ。故郷の村でも多少はやってたが、賢者にもちゃんとしたのを教わった。研ぎ方も一応知ってる。聖剣は鞘に入れとけば研がなくていいけど」

「そうですか、ならば防具の手入れも?」

「防具は使わない」

「え?」


 盾や鎧は故郷の風習で使わないのだと説明すれば、ディオノは少し怖がるように腹の辺りで腕を組んだが、呆れた顔はしなかった。

「一切の防具なしで神殿の槍使いと相対すると思うと……少々肝が冷えますが、それがシダルの誇りならば、そうするのが正しいと思います。戦いの強さは誇りの強さですから」

「うん、ありがとな」

 騎士らしい考え方に少しわくわくしながら礼を言う。手入れは一通り合格が出たので、訓練場に移動して軽く剣を教わることになった。聖剣で打ち合うと相手の剣を切り飛ばしてしまいかねないので、刃を潰してある訓練用の剣の中から長さと重さの近いものを選ぶ。


「従騎士の場合は礼儀作法や馬の世話、騎士の身の回りの世話から始めるのですが、時間が限られていますので、それは割愛しましょう。必要な時は賢者様に教わってください」

「ああ」

「では基本の構えから……まずはこのように名乗りを上げます。『我は神託の勇者シダル! 我が剣を、火の女神フランヴェールに捧げん!』」


 そう言ってディオノが両肘を張って顔の前に剣を持ち上げ、刃先が真っ直ぐ天に向くように剣を立てると軽く剣の柄に口づけした。そしてそのまま素早く片手で振り下ろして、ビシリと相手の胸のあたりに剣先を向ける。いかにも騎士っぽくて絵になるが──


「この動作は、『私の剣を主君に捧げます』という意味があります。シダルは火の神に選ばれた勇者様ですから、火の女神に捧げればいいかと」

「……かっこいいが、あまり実戦向きじゃないな」

 見よう見まねで剣を持ち上げながらぼそっと言うと、ディオノが眉を下げて苦笑した。


「そうですね……騎士は何より礼節を重んじますから。神殿の方ならば忠誠の儀を終えるのを待ってくださると思いますし、状況が切迫している時はもちろん省いて構いませんが……違和感があるならば、騎士の剣自体が合わないかもしれませんね。一通り他の流儀も試してみましょう」

 騎士の青年はあっさりそう言って、騎士流以外にも色々な構え方を見せてくれた。気を悪くしていないか尋ねたが、「とんでもない、シダルは騎士ではありませんから」と首を振る。


「一般的な剣士の構えはこう、片足を引いて体を斜めにします。火の神殿の構えはもう少し正面向きに近くて……くるっと一度手首で回転させてから、優雅に構えます。回しながら祈りの詠唱が入ることが多いですね。それから月の塔の鷲族だと……こう。後ろに剣を回し、背中に沿わせて真っ直ぐ立てたり、体の前で手首を捻って斜め下に構えたり、剣舞の始まりのような感じですね」

「……後ろで?」

「変わってますよね。でもこれはあまりお勧めしません。重い剣には向いていませんし、かなり身軽で曲芸的に跳び回れないと使えない剣術です。俺も真似できません」

「ふうん……とりあえず普通の剣士風のやつを教えてくれるか。余裕があれば騎士のも知りたい」

「わかりました」


 ディオノがもう一度体を斜めにして剣を構えてくれる隣に移動し、よく見ながら真似をする。そして今気がついたが、人の気配が多いと思ったら訓練場の入り口に騎士達がぎゅうぎゅう詰めになって、こちらをキラキラした眼差しで見ていた。一度見てしまうとかなりやりにくい。


「……そこで見ているなら、こっちに来い! 五人、神殿の火の槍を想定」

 ディオノが言うと、前の方にいた数人がいそいそと併設した武器庫から槍を取ってやってきた。勇者の前に立って、くるっと回すあの独特の構えで立ってくれる。仮想とは言え敵を目の前にすると一気に気が引き締まった。


「剣先を真ん中の敵、あるいは一番強い敵の眉間に真っ直ぐ向けます。角度そのものはそれほど重要ではありません。今にも貫いてやるというように、そのあたりを視線でも強く狙い定めてください。そうしながらも他の四人のことを忘れないように、視線を巡らせる。これは相手を警戒して身を守ろうと身構えているのではありません。騎士の場合は『貴公を倒す』という宣言ですが、剣士の場合は威嚇です。肉食獣が牙を剥き出すのと同じ。威圧して相手を怯ませ、その隙に屠ると、そう考えてください。その気迫が力になるんです」


 目を輝かせている茶髪で朗らかそうな騎士の向こうに金の瞳の審問官を見て、勇者は剣を構えると強く敵を睨んだ。その眉間を、今に貫いてやる。お前の次は、後ろの四人もだ。


 鋭くした視線を巡らせると、五人が一斉にびくっと怯んで一歩下がった。顔から血の気が引いているのを見て、慌てて剣を下ろす。

「悪い」

「いえ……俺達もまだまだなのがバレてしまいました。流石、魔獣を超える気迫です」

 正面の騎士が苦笑いで言った。隣の女性騎士が「ちょっと、それ失礼よ」と肘で小突く。


「あ、失礼しました」

「いや、構えはちゃんとできてたか?」

「十分ですよ……少し振ってみましょうか」


 ディオノが言って少し練習を始めると、周囲の騎士達がわっと群がってあれこれと勇者に助言を始めた。あっちこっちから話しかけられて忙しいが、今までこんなに人気者になったことはなくて、村で大物を狩って帰る時にいつも夢想していたことが現実になったと少し感動する。


「脆い剣ならば、受け止めるのではなく力を逸らし受け流して隙を作り、懐に潜り込むしかありません。そういう時に盾が役に立つのですが……そうですね。内炎体質の方には珍しい戦い方になりますが、力で押すのではなく、器用に立ち回る訓練をします」


 周りの騎士達を呆れた顔で見ていたディオノが宣言し、刃に負荷をかけない剣の振るい方、受け流し方を教わる。受け止めると見せかけて相手の武器を狙った場所に誘導し、瞬時に力の方向を変えて滑らせる。力を流されて相手の隙が出来た瞬間素早く体を捻り、空いた懐へと反撃に転じる。そんな説明を受けながら少しディオノの剣と打ち合ったが、言われた通りやることに意識を集中させ過ぎて、パンと剣を跳ね飛ばされてしまう。


「お怪我は?」慣れているのか、落ち着いた声が問う。

「ない」

「後半は俺も少し内炎魔法を込めていましたが、シダルもかなり使いこなしている感じですね。しかし魔力操作は訓練中なのでしょう? 力を入れ過ぎて腕や足を痛めることはありませんか?」

「めったにないが、吟遊詩人が木から落っこちたのを受け止めに走った時は、後からちょっと脚が痛くなったな」

「なるほど」


 ディオノが微笑ましげににこっとするので勇者は己の未熟さを恥じかけたが、彼は慌てて違う違うと首を振った。

「いえ、強敵との再戦のために訓練されているのに、一番必死になられるのはそういう時なのだなと思いまして」


 優しいんですね、と微笑むと、ディオノは内炎魔法について細かく勇者に聞き取り調査を始めた。どのくらい強い力を使えるだとか、どのくらい継続して大きな力を使えるだとか、そういうことをよくよく思い出しながら話す。


「地面が抉れるほどの力を込めて四肢を傷めないのであれば、火の力が同時に体を守っているのでしょう。内炎は強くなる方か堅牢になる方かどちらかに偏りがちなのですが、貴方のように無意識下で両立なさっているのは珍しい……ならば突き出された武器を手の甲で叩き上げる技をお教えします。これは騎士の技ではなく、俺の故郷の格闘術なのですが……手甲てっこうなしでは基本的にしてはなりませんので、いざという時だけですよ」


 それから槍を持った騎士相手に少し立ち回りの練習をして、その日の訓練を終えた。使った武器をジーリオ少年と一緒に手入れしてから元の場所に戻し、彼が勇者の内炎体質を羨ましがっている様子を不思議な気持ちで見つめる。


「稀有な力です。騎士とは皆を守るものですから、火の女神の祝福と内炎は、そういう僕達からすれば喉から手が出るほど欲しいもの……世界を守るお方に相応しいお力ですよ」

「魔法のない辺境の村で育ったんだ。だからみんなこの異常な力を怖がって、俺はただ生きているだけでみんなを傷つけてしまう存在なんだって思ってた。だから……騎士達が内炎魔法を仲間を守るための力だと考えてるなら、嬉しい」


 そう言って笑うと、近くで勇者達の武器の扱いを見守っていたディオノが優しく言った。

「日も傾いてきましたし、初日ですから今日はこのくらいにして、この後は飲みに行きましょう。この街はエールも美味いんです。行きつけの店を紹介します。ジーリオも行くか?」

「えっ、いいんですか? 是非!」少年がパッと顔を明るくする。

「酒はダメだぞ」とディオノ。

「勿論です」とジーリオ。


「えっ……お前、何歳なんだ?」

 勇者が尋ねると、ジーリオがにこっとする。

「十三です」

「……そうか、大人っぽく見えるな」

「そうですか?」


 従騎士の少年が照れ臭そうに指の背で鼻をこする。それに微笑み返しながら、勇者は彼が吟遊詩人より四つも年下だったことに少し遠い目になった。




(第一部 旅立ち より)




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