四 花祭り



 エルフの森に、春が近づいていた。


 勇者達は相変わらず、美しい森でのんびりと魚を獲って果物を食べて昼寝する生活を続けていた。勿論賢者の休養も兼ねてだが、魔法使いの花期が終わるまではこの異界の森に留まろうという話になったのだ。我らが小さな金色エルフは春が始まる頃になると賢者の手からしか食物を摂取しないし、賢者以外とは会話すらほとんどしなくなるのだが、未だ神殿長という敵に狙われているなかでそんな状態の魔法使いを連れ回すのは危険だし、勇者達としてもどうせなら美しい森で幸せな恋の季節を過ごさせてやりたかった。


 この森は砂竜と渡ってきた砂の海ラタ・マレより少し南西くらいの場所に位置しているらしいのだが、あれから例の歌でルプフィルを呼び出し、フェアリの国に顔を出して妖精達から色々聞き出してきた吟遊詩人によると、勇者達がこの森に来ることができたのは結構な奇跡であるようだった。どうやら本来妖精の国の扉とは、フェアリ達が暇つぶしに何か面白いものを探しに行くための魔法で、転移のための術ではないらしい。それも基本は人ならざるものの作る不思議な世界にしか行けず、狙った場所へ移動するのでもなく、どこに繋がるのかは開いてみないとわからないのだという。フェアリが思い通りの場所に扉を開けることができるのは、遊び疲れて家に帰ろうと思う時だけなのだそうだ。


「変なところに繋がらなかったのは花の女神の差し伸べた救いの手だろう……みたいなことをフェアリ達は言ってたよ、たぶん。『異界と異界と異界と異界と異界と異界に繋がるんだよ! いま何回異界って言ったでしょ!』って言ってる子が周りに大勢いてあんまり聞き取れなかったけど」

「そ、そうか……あれ? でも雪の国でルプフィルはお前を迎えに来たって言ってなかったか?」

「あれは神託だったんだって。次に扉を開いたら同胞の元へ繋がるとわかってたから、その前にみんなで特別可愛い部屋を作ったんだって言ってた。だから……本当はもうちょっとましなタイミングで来るはずだったのかもね」

「ふうん」


 その言葉には勘弁してくれよと思ったが、それを差し引いてもやっぱりフェアリは面白そうな種族だな、と勇者は苦笑した。今回は「遠くへ遊びに言ってしまったら、何かあった時に賢者を守れないよ」と魔法使いに禁じられたので一緒に行かなかったが、次回は連れて行ってくれと約束しておく。


「幸いそこまで南下しなかったみたいだし、ここから『扉』で出るのは危険な賭けだからさ、森からは歩いて北に向かうのがいいと思うんだよね。ルプフィルは『最近思い通りの場所に扉を開けるようになったから送ってあげる!』とか言ってたけど、嫌な予感しかしないし」

「うん、歩くのがいいと俺も思う」


 苦笑いで頷き合っていると、賢者のための果物を探しに行っていた魔法使いが帰ってきた。彼はそうっと座っている賢者の後ろに艶々の雪苺を並べると、そのまま少し離れた場所で丸くなって様子を窺っている。どうも魔法使いは自分から一方的に甘えるのは良くても、賢者の方から距離を寄せられると恥ずかしくなってしまう性格だったらしい。果物を受け取った賢者が魔法使いを見つめながら食べるようになったせいで、最近は恥じらうあまり顔もまともに見られなくなっているのだ。しかし以前までの賢者ならそんな反応をされると落ち込んでいたが、今はもう妖精の態度から愛情を汲み取れるようになったのか、ただ優しい目でそれを見守っている。


「あのね……お花のお祭りに招待されたよ」

 その時魔法使いがか細い声で呟いたので、できるだけ見ないようにしてやっていた皆が振り返ってそちらを見た。


「祭り?」

 勇者が問うと、魔法使いは丸まったまま顔だけ上げてこくんと頷いた。

「うん……かわいくない目元を隠すなら『お気に入りの白眼の民』も連れてきていいって。満月の夜だから、たぶん今夜だね」

「しかも今夜なのかよ」


 花祭りというにはまだ冬の終わりくらいの季節だが、首を傾げたエルフに「花盛りの季節は花期の真っ只中なので、番といちゃつくのに忙しくて祭りどころではない」という内容を解説されて納得した。春がそんなだから、花が咲いた祝いではなく花が咲くよう願う祭りを開くのだそうだ。


「夕暮れに始まって、朝まで続くのだって。だから今日はよくお昼寝をしておくといいよ」

「そうだな、昼を食ったらみんなで昼寝にするか」

「……うん。あのね、湖の近くまで行って、木陰でお昼寝するといいよ。向こうの方はあたたかいし、寝坊しても大丈夫だから」


 ここ一週間ほどで木にも登れるようになった賢者をちらちらと見ながら魔法使いが言った。何か期待しているようだが、たぶん賢者は木の上では眠れないと思う。


「会場は湖なの?」

 吟遊詩人が尋ねると、魔法使いが頷いた。

「うん。湖の上で、黒の子が踊るのだって」


 詳しく話を聞いてみると、花祭りというのは皆で歌と踊りを楽しむ音楽会のようなものなのだそうだ。リファールと一口に言っても広大な美しい森の中にいくつも集落が点在しているらしく、この祭りは年に一度、森中のエルフがひとところに集まって行われる唯一の──というわけでもなく、協調性のないエルフらしく各々が自分のお気に入りの湖になんとなく集まるだけらしい。


「僕も一番綺麗な湖を見つけておいたから、そこへ行こうね」

 魔法使いがそっと囁くと、視線を受け止めた賢者が「そなたの選んだ湖ならばさぞ美しいだろう」と頷いた。すると妖精はぷるぷると震えて再び丸まってしまい、それ以上話は聞けそうもなかったので皆で昼食の準備を始めることにした。簡単に焼いた魚と果物で済ませ、目深にフードを被ると一番綺麗な湖とやらにゆっくり歩いて向かう。案外遠いなと思ったところで、吟遊詩人が前方を指指した。


「あれかな、木立の先がキラキラしてる」

「……おう」

「エルフがいっぱい寝てるね」


 皆考えることは同じなのか、美しい湖畔の木々にはお昼寝エルフが鈴なりになっていた。それほど大きな湖ではないがほぼ真円に近い水面が物珍しく、周囲は小さな白い花が咲き乱れている。


 比較的混み合っていない場所を見つけて皆が横になると、魔法使いが木の上から賢者を手招きした。賢者が首を振ると、へにゃりと耳を下げて木を降り、愛する人の隣を陣取る。顔を赤くしながらも眠る時はしっかり近くにいるのは、銀の花畑の中で寝かせると賢者が悪夢にうなされないことがわかったからだ。それに気づいた時の魔法使いは喜ぶあまり洞窟の外まで花畑を広げてしまい、落ち着かせるのが大変だった。


 皆が落ち着いて昼寝を始めたのを確認してから目を閉じる。賢者がよく眠れるようになった今、外敵の心配がない妖精の森で見張りは必要なかった。もちろんエルフはたくさんいるが、彼らは一度受け入れたものに対してはとても優しい生き物だ。そんな彼らの祭りとは一体どのようなものだろうと楽しみにしながら、勇者は訪れた眠気に抗うことなくしばしの午睡を楽しんだ。





 目を覚ますと、少しだけ日が傾いていた。エルフ達はまだ皆眠っていたが異端審問官達は目を覚ましていて、木陰で大人しく林檎を齧っている。元々ハイロに比べればのんびりした性格をしていたフラノ達だが、それでもこうして自ら間食をとるようになったのは本当に最近だ。ガレだけは未だに生真面目なのか遠慮しようとするのだが、ライがこまめに世話を焼いているので結局は頰を真っ赤にしながら食べている。それを微笑ましく眺めていると、ふとフラノが勇者に目を合わせ、少しフードを下げて顔を隠しながら湖の向こうを指差した。


「あ……黒エルフ」

 いつの間にか起きていた吟遊詩人が呟いて、熟睡している神官と魔法使いを起こし始めた。勇者はそれを視界の端に入れながら、現れた不思議な生き物をぽかんと眺める。


 上から下までとにかく真っ黒な生き物だった。白エルフと同じようにすらりとした体格で、同じようにひらひらした黒い服を身に纏っている。髪は勇者や賢者と同じような黒だが、特徴的な髪型は白エルフ達と似た感じだ。額から耳の後ろまで前髪を綺麗に編み込んで、そこに淡い色の花が冠のようにたくさん飾ってある。後ろの方はなんだか下ろした髪の上に編んだ髪で模様を描くような、複雑な感じになっていた。とても華やかで……流した髪の変なところがちょこっと一本編んであるような魔法使いとは全然違う。ルーウェンの場合は日によって編まれている場所が違ったりしているので、たぶんあれはお洒落ではなく、おもちゃにして遊んだ後の片付けをしていないだけだ。


 そして彼らは極めつけに、肌の色も真っ黒だった。艶のあるしっとりした黒い肌は大層神秘的で、夕暮れ時の薄青い光の中で見るとこの世のものならぬ不思議な雰囲気がある。


 木々の向こうから軽やかに現れた黒エルフ達は、森の影を縫うように音もなく走り、するすると木に登って、眠っている白エルフ達の頰をつんつんと指先でつついて起こし始めた。


 白が耳をぴくりとさせて目を開け、黒の姿を確認するとにっこり微笑む。そして微笑んだまま優しく腕を伸ばして抱き寄せ、そして黒を抱き枕のようにしたまま二度寝する。そして枕にされた黒も、仕方ないなあという感じで一緒になって寝た。


「これ、お祭り始まるのかなあ……」

「……どうだろうな」


 吟遊詩人の呆れた囁き声に囁き返す。しかし流石に全員が全員二度寝してはいなかったらしく、どこからかぽろんぽろんと優しい竪琴の音が聞こえてくると、眠っていたエルフ達が一斉に目を覚ました。


 日の沈んだ湖に、月明かりが差し込む。五つの満月から降り注ぐ月光で湖面が銀色に輝き、誰かが奏でる竪琴の音色に合わせて、一人の黒エルフが水面に走り出た。伸びやかに月に向かって手が差し伸べられると、優しい愛の歌を歌う小さな声が聞こえてくる。



  白い月の夜が美しくて

  思わず歌ってしまう

  君への愛を

  君はすみれの花のように可愛くて

  僕はとても眠くなる



 エルフ語の歌詞を、賢者が囁き声で翻訳してくれる。いつか聞いた魔法使いの歌とはかなり違った雰囲気の、可愛らしい曲だ。気の魔力の気配がするので、どうやらこちらの声が湖の方へ漏れないように賢者かハイロが魔法を使っているらしい。


 そのくらい、静かで密やかな祭りだった。囁き声で歌っているのはたったひとりで、その曲に合わせて踊っているのもたったひとり。月明かりを浴びた黒いエルフはまるで影絵のように静かに踊り、水面に舞い降りる水鳥のように小さな波紋を広げながら舞った。聞こえるのは月明かりそのもののような静かな歌声と、やわらかな風で梢が揺れる音、葉擦れの音をほんの少しだけ華やかにしたような竪琴の音だけだ。


 歌が終わっても、拍手は起こらなかった。ただ湖の上にいる黒の子が別の一人と入れ替わり、そしてまたどこかから、先程とは違う声が歌い出す。よく眠れそうな優しい音楽なのに、あまりに美しくてちっとも眠れない。昼寝好きのエルフ達も残らず目を覚ましていて、木の枝の上で寄り集まってじっと踊るエルフを見つめたり、向こうの木のエルフと耳を震わせて感想を伝え合ったりしていた。


 そんな風に皆が仲良しだから、勇者は番同士のエルフなんていても見分けがつかないと思っていた。が、決してそんなことはなかった。ちらほら見受けられる彼らは歌の間も口移しで果物を食べさせ合ったり、ずっと口づけをしたまま離れなかったり、抱きしめながら長い耳を口に含んでみたりと、とんでもなくべたべたしてとんでもなく目立っている。しかし周囲のエルフ達にとってはそれが当たり前なのか、誰一人として気にも留めていない。


「ルーフルー……エルフの歌は好き?」

 その時、音の漏れない魔法の膜の中でルーウェンが呟いた。振り返ると膝を抱えた月色の妖精が、美しい芸術を楽しんでいる様子の賢者を見つめてとても不安そうにしている。そういえば歌も踊りも、エルフにとっては求婚の儀式なのだった。ならば今聞こえているこの歌も、誰か愛する人へ向けられたものなのだろうか。


「……ああ。胸の奥に棲みついて忘れられぬそなたの歌を、少し思い出させてくれる」

 賢者が囁いた満点の回答に、吟遊詩人が「よし」と重々しく頷いた。感極まった魔法使いがふらりとなったところで何曲目かが終わり──今までと違って次の歌ではなく、小さな囁き声が聞こえた。


「……金色も、歌ってごらん」

 指名を受けた魔法使いは立ち上がったが、しかし小さく首を振った。

「ううん……僕の歌は、ひとりにしか聴かせないの」


 それを聞いた賢者がフードをぎゅっと目深に被り直し、エルフ達はさわさわと囁きを交わしあった。よくよく聞くと「はずかしがりなの?」とか「かわいいね」とか言っている。


「──ねえ、僕が歌ってもいい?」

 その時、フェアリらしい明るい綺麗な声で静寂を破りながら吟遊詩人が名乗り出た。するとあちこちから「いいよ」という囁き声が聞こえてきて、フェアリの歌で踊ってみたい黒の子達が大勢湖の上に走り出てくる。皆キラキラした目でこちらを見つめ、吟遊詩人は淡い緑に炎色が踊る翅をきらりとさせると、リュートを抱えて木の枝まで舞い上がった。踊り始めの音を待つエルフ達と呼吸を合わせて、前奏を奏で始める。表情はいつも通り明るかったが、常とは違って少し小さく、少し恥じらうように揺れる可愛らしい音色だ。それでも全部が囁きのようなエルフの音楽とは全く違う華やかなリュートの音を皆が息を呑んで聴き入り、そして少し考え込んでいた黒エルフ達が手を取り合って楽しそうに踊り出した。



  はじめは歌だった

  何の気なしに口ずさんだ蝶の歌

  頰を赤くして聴く彼女のことが

  今までと違って見えた


  僕は蜂の子だから

  それが恋なのかわからない

  あの子の瞳が鮮やかに見えるのは

  誰が見てもそうなのかも

  僕は蜂の子だから

  それが恋なのかわからない


  わからないから考えてしまう

  何度も何度も思い出して

  ずっと頭の片隅にいる

  思い出すその笑顔が

  今日もとても可愛い



 恥ずかしそうな後奏が終わると、エルフ達がわっと吟遊詩人の周りに集まって、頭を撫で回しながら口々に「恋だよ……」「それは、恋……」「愛かもしれない……」と囁いた。全員声が小さいので、こんなに盛り上がっているのに少しも煩くない。構図としては大物を仕留めた後の人魚と近いが、天地の差だ。


 しかしどうやら、吟遊詩人はエルフの作法に則って、今まで一度も歌ったことのない自分自身の恋心を歌にしたようだ。淡く光っている翅が震えているのは本当に恥ずかしいらしい。しかしエルフ達は大変気に入った様子で「小鳥のように澄んだ声だね」とか「木の実のような不思議な楽器だね」とか、囁きが止まらない。次々に「もっと歌って、歌って」とねだられて、哀れな少年はそのままミロルへの甘酸っぱい想いを何曲も歌わされてしまった。


 とはいえ、まだ夜明けまでに歌いたいエルフもたくさんいるのだ。すっかり主役になったエメラルドの妖精だったが、数曲分の恋心を暴露させられただけで解放された。


 その後は元通り静かな音楽祭が続き、そして朝になって日が昇り始めると、祭りは挨拶もなしになんとなく終わった。次の歌が始まらないなと思っていると眠たそうなエルフ達が次々に帰り始めたので拍子抜けしたが、魔法使いの一族だと思えばこんなものなのかもしれない。


 始まりも終わりも締まらない、祭りというよりは猫の集会のような感じだったが、それでも貴重な体験をしたと──羽飾りの帽子を目深に被って顔を見せようとしない吟遊詩人以外はすっかり満足して、夜明けの洞窟まで足取り軽く帰ったのだった。





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