三 義足




 両手で包んだ林檎をひとつ大事そうに持って帰ってきた魔法使いは、「おかえり」と声をかけた勇者の前をふらふらと素通りして、賢者が横になっている布団に目を伏せたままおずおずと近づいた。


「……甘くしたの」


 小さな小さな息だけの声で囁いて、のろのろとかたつむり並みの遅い動作で差し出しかけ、勇気が挫けたように途中で引っ込める。エルフはせっかく収穫した林檎を手渡すことすらできずそうっと花布団の上に置くと、そのままそこで膝を抱えて丸くなった。つい朝までは手を握って頬ずりして大変な甘えようだったのに、彼の中で何がどうなったのだろうか。勇者はそう考えて眉をひそめた。


 それをじっと見ていた賢者は、魔法使いが置いた林檎を拾い上げると身を起こそうとしてぐらっとよろめき、そうなるだろうと予想していた勇者に片手で支えられた。一見座るのに膝から下は関係ない気がするが、人間の体というのは存外腕や脚の細かな重さの釣り合いが重要で、欠損した直後はそれくらいの些細なことにも苦労するのだ。アサの村では時々魔獣に手足を持っていかれる奴が出るので、勇者もそのあたりの手伝いの仕方や回復訓練のさせ方はそこそこ詳しかった。


 とはいえ、実際に補助するのは初めてだが──


 あの村で、怪我で弱った時に「狼」の肩を借りたい奴なんていない。そう思うと普通に手助けさせてくれる今に幸せを感じるが……しかし、支えられた賢者の表情が一瞬痛みを堪えるように歪んだのが気になる。怪我自体はもう痛まないはずなので、おそらくだが、痛いのは心の方だろう。彼はどれだけ親しい仲間であっても一定の距離を置きたがる人間……人間?なので、人の手を借りなければ着替えさえままならない今の状況は、甘やかされると喜ぶ性格の他の仲間と違って心配だった。熱が引いたら、早めに杖で歩く練習をさせた方が良いのかもしれない。それに生活に不自由がなくなれば、きっと喪失感も薄くなる。


「……アサの狩人はさ、腕とか脚とか魔獣に食い千切られる奴ってわりと多いんだよ。だから俺は結構こういう怪我は見慣れてて……みんなお前とおんなじ感じで初めは苦労するんだけど、次第に慣れて、怪我さえ治ればひと月もしないうちに片脚で森を跳ね回るようになる」


 とりあえず気休めにと励ましの言葉をかけたが、賢者はなぜかとても嫌そうな顔で「は?」と言った。


「それはちょっと、賢者には無理じゃないかな……彼、両脚でも跳ね回ってるの見たことないし」

「大丈夫だ。お前は俺の従兄弟なんだから、しっかり鍛錬すればちゃんと力がつく」

「やめてよ、人魚みたいなこと言うの……ていうか勇者のその異様な元気は絶対父方の遺伝じゃないよね? 狩人バンデッラーだったお母さんの血だよね?」


 そんな風に吟遊詩人と噛み合わない会話をしている間に、賢者はため息をついて勇者を無視するとエルフが献上してきた林檎へ視線を戻した。俯いたまま耳だけ立てて様子を窺っている魔法使いをちらりと見て、賢者らしくもなく皮も剥かずにそのまま一口齧って見せると、囁くように「確かに甘い」と言う。それを聞いた妖精は花布団の端っこに顔を埋めて更に丸くなり、賢者がそれを何を考えているのかわからない顔でじっと見つめた。


「……黒エルフについて、知りたがっていたな」


 ふと顔を上げた賢者が話題を変えた。勇者が「黒エルフ?」と首を傾げると、魔法使いが布団に顔を突っ込んだまま「僕は……白エルフの、突然変異」ともごもご言う。


「肌と髪が黒く、紫がかった黒い瞳を持つ夜行性のエルフだ。昼行性の白エルフに対して黒エルフと人の間では呼ばれるが……それ以上の二種族の違いも関係性も一切わからず、謎が多い。彼らの様子を見るに、敵対してはいないようだが」

「……白の子は花期に歌うけれど、黒の子は踊るのだって。仲は良いけれど、起きている時間が違うからあまり交流はないと、聞いたことがあるよ」

「へえ……じゃあ夜に集落の方へ行くと会えるのかな?」


 果物を探しがてらエルフの集落へ遊びに行ってきたらしい吟遊詩人が目を輝かせた。賢者も一瞬興味深そうにしたが、ちらりと右脚を見下ろすと瞳から表情が消えた。まだ魔力が黒に戻りきっていないので、いつもよりも表情が鮮明に見えて余計に痛々しい。


「……早めに一度火の山へ戻って、義足を手に入れましょうか。明日には熱も下がるでしょうから、無理をしなければ杖で歩行訓練を始めて構いませんよ」

 神官がにっこりして言った。確かにあれだけ体の一部みたいな武器を作れるガーズならば義足くらいお手の物だろうと勇者が頷いていると、その時なぜか魔法使いが「……いやだ」と首を振る。

「賢者の足をガーズが作るなんていやだ。僕が作る」


 ふむ、この絶望的に手先が不器用な妖精は一体何を言っているのだろうか?


「またお前の炎で作ってもらえばいいだろ」

「絶対嫌だ。足は剣や鐘とは違う……体の一部に、髭妖精の手が加わるなんて」

「髭妖精って、お前」

 お前もなんとか言ってくれよと賢者に視線を向けたが、彼は独占欲に溢れる魔法使いの言葉にちょっと嬉しそうな顔をしていて役に立ちそうもなかった。


「でも作れる当てはあるの? 君、不器用だけど」

 吟遊詩人が遠慮なく問うた。すると魔法使いは意外なことにうんと頷いている。


「糸を紡いで紐を作る応用で、木の枝から紡げるよ。エルフは魔力が多いけれど、傷口から新しい手足を生やすような医療の技術はないから……体の一部を失ったら、そうやって継ぐのだと教わったことがある。エルフの体に木はとても馴染んで……それで、賢者は……いずれ、木になるのだから……僕と、その……いつか、木の方が体に合うようになる」

「作ってくれるか」

 いやそれにしても、お前はその紐すら満足に編めないんじゃなかったのか──と勇者が言う前に、賢者が囁くように頼んだ。意外に恋をすると冷静さを失う類の人間だったのか、もうガーズの作った義足なんて全く選択肢になさそうな顔をしている。


「……うん」

 魔法使いがそっと頷き、見回すと吟遊詩人と並んでガレまでわくわくした顔になっていた。彼女も意外に女の子らしいところがあるんだなと考えて、勇者は神官と目を合わせると「とりあえず、好きにさせてやろうか」と苦笑して頷き合った。





 それから数日は、魔法使いが糸紡ぎの練習をするのをひたすら眺めて過ごした。狩りは禁じられていたし、あまり遠くまで出歩くこともできないし、それ以外にほとんどすることがないのだ。


「なあ、木彫りとは違うんだよな」

 声をかけると、魔法使いは何やら太い木の枝をこねくり回しながら首を振った。

「違うよ……賢者の脚の形に紡ぐの。削るのではなくて……木の繊維を、その形に編み直すような」

「ふうん」


 確かによく見れば、皮を剥いた太い木の枝を一回繊維状態まで解して、それをまた木の枝になるまで編み上げているようにも見える。そうして小一時間こね回してなんとなく脚の形になったそれを、魔法使いがぺたんと耳を寝かせて勇者に渡してきた。これで十六本目だ。


「全然だめ……これも、いらない」

「おう」

 勇者がそれを焚き火の横に積み重ねると、中の一本をフラノが焚き火にくべた。しばらくすると外へ野菜や何かを採りに行っていた吟遊詩人が帰ってきて、焚き火を目にするなり「うわっ!」と叫んで洞窟の入り口まで飛び退すさる。


「え、何これ……すごく気持ち悪いんだけど」


 確かに、青い焚き火から大量のいびつな脚が突き出しているのは気持ち悪いかもしれなかった。とはいえ失敗作なのだからこうして再利用するのが良いだろうし、仕方ない。そう言うと吟遊詩人は「せめてさ、足先が中に入るようにくべてよね……なんで全部そっち向きなわけ?」と眉をひそめた。それは勇者ではなくフラノに言って欲しい。


「追加の木材も採ってきた。あとは芋を少しと、木の根と、食べられる草を何種類か。こちらは木苺と、これは熟れすぎた梨だな」

 そう言いながら、一緒に出かけていたライがどさりと石の床に荷物を下ろす。採集へ出た割にフェアリは手ぶらで帰ってきたなと思っていたが、どうやら全部彼に持たせていたようだ。魔法使いも森に来た日は彼に草の布団を持たせていたし、顔も声も優しげなのに加えてロサラスよりずっと体力があるので、妖精達も甘えやすいらしい。


 義足の材料は最終的に魔法使いが採りに行くそうなのだが、今は練習なので皆で手分けして集め、勇者がなたで皮を剥いでから魔法使いに渡してやっていた。そんな風にすれば他者に頼り慣れていない賢者の負担になるかなと少し懸念していたが、ガレが「賢者殿はそこで脚の見本役をしていろ。反対の脚に合わせねば意味がないだろうが」ときっぱり命じたのと、魔法使いの糸紡ぎを見守っているのが彼にとって興味深かったのもあって、それほど不甲斐なさそうにはしていない。


「──それで、これは君の分だ、ガレ」


 ぼんやり賢者の方を見ていたが、その時ライのそんな言葉が聞こえたので顔を上げた。見るとライが片手一杯の木苺をガレに差し出していて、ガレがそれを驚いたように見つめていた。


「なぜ……」

「ちゃんと全員分あるよ。でも君は美味しいものとなるとすぐ皆に譲ってしまうから」

「……そうか、感謝する」


 ライがガレに果物を手渡す様をにやにやと見ていた吟遊詩人が、ライがむこうを向いた瞬間に素早くガレの耳元で何か囁きかけた。するとガレはびっくりするくらい急激に顔を真っ赤にして、手の中の木苺をじっと見つめたまま縮こまってしまう。たぶん魔法使いが賢者に果物を貢ぐ意味を教えたとか、そんな感じだろう。すると荷物をより分けていたライがハッとした様子で戻ってきて、ガレの頬に手を当てた。


「また熱を出していたのか、ガレ? そうなる前にちゃんと言えと言っているだろう?」

「熱など出していない……」

「噓をつけ、顔が真っ赤だぞ。少し横になりなさい」


 あ、ダメだこりゃ……。


 彼女の恋心が通じるにはかなりかかりそうだと笑っていると、吟遊詩人が目を剥いた顔のまま勇者の方に向かって「マジで?」と口の動きだけで伝えてきたので、思わず吹き出して大笑いしてしまった。ライが何事かという顔でこちらを向いたので「いや……なんでもない、思い出し笑いだ」と息切れしながら言う。


「どんな思い出し笑いだ。笑いすぎだろう」

「それは……なんでも、ないって」


 ああ、どうせまた賢者が蔑んだ顔で見てるんだろうなと思いながら、ライから目を逸らしてそちらを向いた。すると幸運なことに丁度魔法使いが賢者の脚を観察している時間だったらしく、彼はフードを深く下ろし、耐え難いように袖で顔を覆っていたのでこちらを見ていなかった。


「この……綺麗な指と、足の甲の形が……どうして作れないのだろう。こんなにかわいいのに」


 魔法使いが悲しげに呟きながら、賢者の左足を握ってまじまじと観察していた。最初はこの妖精もいつも通り恥じらっていたのだが、回数を重ねるごとに段々と真剣な職人の顔になってきて、今では夢中で賢者の脚をぺたぺた触っている。指の間や爪の形まで丁寧に指先でなぞり、すねをそっと撫で、かかとを掴んで足首をくるりと回す。しかし何がと言われるとよくわからないが、ガーズの計測とは違ってなんとなく目のやり場に困った。別に脚を見せることに何の抵抗もない勇者から見てもそうなのだから、賢者は相当恥ずかしいだろう。「構造を理解するためには見るだけでなく触れてみるのが良いですよ」と言い出したのは絵の上手い医者の神官だが、彼も今はなんだか後悔したような顔で「賢者にはちょっと刺激が強かったでしょうか……」と呟いていた。


 それから魔法使いは段々と半分泣きながら本当によく頑張ったが、それから十本作っても結局義足は奇妙にふやけたような形にしかならず……なんと隣で見ていた賢者の方が先に編み方のコツを掴んでしまった。


 賢者は初めその辺りに転がっていた枝を手に取って解そうとしたが、普通の魔法ではないのかそれは上手くいかず、今度は座る位置を少しずらして魔法使いの隣に移動すると、妖精の手を上から包むようにして手を添えた。驚いた魔法使いは「みゃっ!」みたいな感じの情けない悲鳴を上げて赤くなったが、今は新しい技術を実践することに夢中な賢者が気にせず「……逆だな」と自分の手の甲へ触れさせるように魔法使いの手を移動させると、花の妖精は小声で「魔力、魔力を流すなんて」と呟きながらも大人しく賢者の手を通して魔法を使い始めた。


「脚は回転体ではないのだ。断面が真円になる紐とは違い、曲線部分はこうして……こう作る。わかるか」


 器用に繊維を編み込みながら賢者が解説すると、魔法使いはまるで聞いていない様子で触れ合った手をじっと見ながら「あ……だめ、とける……」と呟いた。とその瞬間、かなり精巧に形が浮かび上がってきていた脚がとろりと全部溶けて地面に流れ落ち、水たまりのような形の木片というかなり変なものが出来上がる。


「……ふむ」


 賢者はその時ようやく、魔法使いが照れに照れてへなへなになっていることに気づいたようだ。が、好奇心に支配されている彼はそれを見て頰を染めることもなく、ただ魔法使いの額に手を当てて何やら呪文を呟いた。すると潤んでキラキラしていた氷色の瞳がすうっと冷静になって、妖精は小さな声で「落ち着いたよ、始めようか」と言い出した。


「嘘でしょ? ここは絶対『君に触れていると冷静でいられないの……』とか、そういう感じでいちゃつくとこなのに」


 身を乗り出して見ていた吟遊詩人が「興醒めだよ!」と怒り出した。が、賢者はそれを冷めた目でちらりと見ると、勇者と神官に「造形に関して助言が欲しい。こちら側からでは比較が難しいのだ」と指示を出す。


「あ、はい」

 神官が賢者の脚がよく見える場所に移動して「もう少し足首を細く」とか「もう少し人差し指を長く」とか指示を出し始めた。


「外側の形はそれでいいけどさ、そこは足の筋がこう、なんていうか……木の繊維と足の筋がもっと重なるように作った方が使いやすそうに見えるけど。木の筋を筋肉に見立てるっていうか」

「……なるほどな」

 勇者の意見はすんなり受け入れられたようだった。彼に助言できることはあまりないので素直に嬉しい。


 何度か練習をした後に、魔法使いが別人のような冷静さで本番用の枝を切り出しに向かい、一体どこから採ってきたのか白っぽい樹皮が艶々と美しい謎の木の枝を持って帰ってくる。付いている葉っぱまで真っ白だ。


「何だその枝は」

「見たことがないけれど……これがいいと、森が言っていたよ」

「そうか」


 賢者があっさり頷くと、魔法使いは「本番の木にはね、髪を少し混ぜるんだよ。魔力が通りやすくなるから」と言って小さな銀のナイフを取り出し、黒い髪に優しく手を滑らせた。賢者がその手をじっと見つめて、そしてふと口を開く。


「……私のものではなく、そなたの髪を混ぜてはもらえぬか」


 彼は腰のベルトに下げたベルの柄に──攫われた時に取り落とし、魔法使いが咽び泣きながら持ち運んでその手に返した、大切なベルの柄に触れながら言った。


「魔力伝導率を上げるために素材を錬成したことは以前にもあるのだが……己の魔力で作った魔導具よりも、そなたの魔力で作られた鐘の方が触れていて心地良く感じるのだ」


 急に口説き始めた。魔法使いは衝撃でかけられていた魔法が弾け飛んだらしく、小声で「はい……」と言いながらその場で気絶したので、彼が目を覚ますまでしばらく休憩になった。


 十分ほどで目覚めた魔法使いは、自分の髪を一筋ナイフで切り取って渡すと、今度は気持ちを鎮める魔法を断った。万全の状態で作りたいからと一度目を閉じて深呼吸し、そっと賢者の手の甲へ触れる。


 糸紡ぎが始まった。賢者の手で皮を剥かれた木の枝はその辺りで拾った薪よりずっと白く、混ぜ込んだ魔法使いの髪がいつの間にか溶けるように消えると、淡い金色に輝き始めた。編み直しているからか自然な木目と幾何学紋様を溶かして合わせたような不思議な模様が表面に浮かび、みるみる指先までが丁寧に形作られてゆく。勇者が指摘した通り筋肉そのものを作り込んでいるような編み方に変わっていて、木製なのに人形の足というよりは生命が宿っているように見えた。


 いや違う、生きてるんだ──


 勇者達が集めていたのは加工しやすい乾燥した枝だったが、魔法使いが採ってきたのはまだ葉がついている生木だった。この妖精は生きた木に生命力である魔力を練り込んで、生きた義足を作っているのだ。瑞々しい木の香りが辺りに広がり、ついに小指の先まで編み上がったと思ったその時、魔法使いが賢者の手から奪うように義足を手に取って欠けた右脚に押し当てた。すると不思議なことに義足はベルトを使わずとも吸い付くように賢者の足にくっついて、そしてなんと驚いたことに、義足の指先がぴくりと動いたではないか。


「……逆だ、魔法使い」

 賢者が言った。


「……ん?」

 妖精が首を傾げる。


「向きが逆だ、爪先が後ろを向いているぞ」


 吟遊詩人が笑い転げ、神秘的な空気が霧散した。賢者が義足を外して着け直すと、今度こそまるで本物の足のように足首が自在に動き、指が曲がる。


「……幻肢操作ですか」

 神官がぽつりと呟いた。賢者が頷く。何だろうと思っていると、隣に座っていたハイロが解説してくれた。


「幻肢という言葉は聞いたことがありますか」

「いや」

「身体欠損後も魔力がその場所を巡り続ける現象ですが、実体はないのに感覚はある、つまり幻の足がそこにあるように感じるために幻肢の名で呼ばれます。これを利用して違和感なく操作できる義足や義手が開発されていますが、レフルスは幻肢が綺麗に残ったようですね」

「確かに、呪布なしで見るとそのまま脚がそこにあるように見えるよ。助けに入った時、最初は切られていることに気づかなかったもの」


 吟遊詩人が頷いたが、神官が小さく首を振って見せると「あ、ごめん」と慌てて両手で口を塞いだ。しかし嫌なことを思い出させてしまったかと視線を向けられた賢者は「問題ない」と軽く首を振って、そして神官に借りている杖を握ると少しよろめきながら立ち上がった。流石は我が従兄弟だ、この数日の練習で感覚を上手く掴んでいる。


「……歩けそうか?」

 尋ねると、慎重に数歩進んでみてから頷いた。

「違和感はあるが、慣れれば問題なく走れるように思う。一度糸に紡ぎ直したせいか……緩衝材も必要ないだろうな」

 賢者はそう言って、新しくなった脚を優しい顔で愛おしそうに見つめた。それを見た神官が──あれだけ言ってもまだ自分を責めるのをやめていなかったのか、どこか救われたような顔をして涙ぐむ。


「んじゃ、これは俺から完成祝いだ。片方失くしただろ?」

 荷物に隠してあった黒いブーツを取り出すと、吟遊詩人が「そんなものまで作れるの、勇者……」と笑った。


「いや、俺の分だけ靴の予備を入れてあったろ? あれを賢者の足に合わせて少し直しただけだ」


 礼を言って受け取った賢者が靴を履いて裾を下ろすと、胸が苦しくなるくらい元通りに見えた。まだ心の傷はちっとも癒えていないのかもしれないが、しかし魔法使いと一緒に紡いだ義足はその傷を塞ぐ一助になるはずだと思って、勇者は久しぶりに心が芯からぽかぽかとあたたかくなった。





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