二 リファールの森(吟遊詩人視点)



 何度も角度を変えた丁寧な質問を繰り返し、のんびりぼんやりしているエルフのお姫様だか王子様だかから話を聞き出したところ、やはりここは魔法使いと同じリファール・エルフ達が棲む森らしいとわかった。エルフ達がリファール語で会話している時点で見当はついていたが、それでもやはり面と向かって肯定されると、なぜ妖精の道がこの場所に繋がったのだろうと不思議な気持ちになる。


 賢者曰くフェアリやノームの棲家と違って、リファールの森はどちらかというと神域に性質が近いらしい。つまりきちんと世界の土台の上に乗っていて、地図に描くことのできる異界なのである。一度行ったことのあるノーム達の巣に繋がるならまだしも、そんな場所に出るのは──小さな金色エルフの恋をそろそろ実らせてやろうという花の女神の思し召しに違いないと、吟遊詩人はこっそり考えてにんまりした。


 まさかあそこで、賢者が妖精さんを手に入れに出るとは思いもしなかった。どうせ時間の問題だろうという気はしていたものの、いつかふたりの恋を歌にしてやろうと考えている吟遊詩人としては、ただ妖精の強い愛に押し切られるのではなく賢者からもちゃんと愛情を示してほしかった。だから今は彼らを観察するのが楽しくて仕方ない。ただ、賢者の脚がああなってしまった以上……この先、旅を一緒に続けてゆくのが難しくはならないだろうか?


「なあ魔法使い、エルフの男女ってお前には見分けついてるのか?」


 その時、勇者の朗らかな声が聞こえてきて心がふわりとあたたかくなった。自分では元気にしているつもりでいたが、やはり勇者が笑っているとどこか胸の奥の方がホッとする。夜通し戦って早朝からエルフの群れと交渉し、賢者以外の仲間達も疲れ切っていたが、なぜかみな勇者が側にいるとそれだけで少し元気を取り戻すのだ。彼は何かそういう、特別な気配のようなものを持っている気がする。


 あのソロの直属の部下として育てられてきたハイロも、今でこそ嘘みたいだが、はじめは本当にガラス玉ような虚ろな瞳をしていたのだ。シダルがこんな人だったからこそ、あの悲しいお人形さんがここまでとろとろに恥じらってしまう甘い恋をするようになったのだろう。


「男女……を、見分ける……?」

 勇者の質問を聞いた妖精が、何のために? という感じでゆっくり首を傾げた。その顔を見た勇者が不可解そうに眉を寄せる。


「え、俺そんなに変なこと言ったか?」

「……考えたこともないし、見てもわからないよ」

「ほんとかよ、同族なのに」


 くだらない会話を聞きながら、エルフ達の去った静かな森で洞窟へと向かう準備を始める。そして勇者に抱きかかえられた賢者が嫌そうに眉を寄せ、魔法使いが「僕は、ルーフルーを見ているから」と草の布団を山盛りライに抱えさせているところを見て、吟遊詩人は「ようやく平和を取り戻した」と思わず深く息をついた。皆の後ろをついてとぼとぼと歩き始めたが、ずっと張り詰めていた緊張が抜けると急激に眠くなってきて、巻き直した呪布の上からごしごしと目をこする。


 と、気を抜いていたところに急に後ろからひょいと抱き上げられてびっくりした。勇者は前の方で賢者を運んでいるはずなのにと見上げると、なんとフラノだ。


「……寝ていい」


 鮮やかな金の瞳がこちらを見下ろして、ぼそりと呟く。救出作戦を立てている時はまだハイロと話し方が似ているなと思っていたが、あれは緊急時の特別仕様だったらしく、すっかり眠たいエルフみたいな喋り方になっている。


「いや……抱っこされて寝るとか、子供じゃないんだから」

「そうか」


 フラノは静かに頷いたが、それでも降ろしてくれる様子はない。ならばちょっと試してみようかと肩に頭を預け、目隠しの奥でじっと目を開けたまま寝息を立ててみると、彼は魔法使いが喜んでいる時と少し似たような顔になっておそるおそる吟遊詩人の頭を撫でた。心の底から孤独を愛している賢者とは違って、彼は引っ込み思案なだけで人好きなのかもしれない。勇者のように妖精に興味津々なだけかもしれないが、どちらにしても優しい人ではあるのだろう──



 ふっと目を覚ますと、フラノが落ち葉で作った布団の上に吟遊詩人を降ろそうとしているところだった。見回すと既にそこは白い岩でできた洞窟の中で、どうやら本当に眠ってしまったらしいと恥ずかしくなってから、羞恥でうっかりばたついてしまった翅を慌てて手で掴んで止める。


「……これから仮眠だ」


 吟遊詩人が目覚めたことに気づいたフラノが言った。確かに昨夜は寝ていないし、まだあの遺跡での戦闘の光景が脳裏に鮮やかで、すぐに食事という気分でもない。神官に手渡された少し渋くて温かいお茶を飲むと、勇者の「俺は三日くらい寝なくても大丈夫だから、見張りは任せろ」という言葉に甘えて、吟遊詩人はくたりと再び横になって目を閉じた。機敏さを感じる足音で、毛布を掛けてくれたのはガレだとわかった。





 小声で話す声が聞こえて目を覚ました。そっと起き上がると勇者が焚き火でお茶を淹れていて、額に手を当てて座っている賢者の背を魔法使いが優しくさすってやっている。どうやら悪夢にうなされていたようだと見当をつけると、もう一度横になって目を閉じた。賢者のことだ、無理もないこととはいえ、あまり大勢に見られたくはないだろう。


 ゆっくりお茶を一杯飲み終わったくらいの時間で、勇者にそろそろ起きろと揺り起こされた。たった今目覚めた感じにもそりと起き上がると、勇者は「もう昼過ぎだし、これくらいで起きとかないと夜眠れなくなるから」と言った後に、耳元で素早く「ありがとな」と囁いてニッと笑う。流石は野生の狼、吟遊詩人の寝たふりなど気配でお見通しらしい──と、もしや、少し系統は違うが同じくらい森の生き物に見えるフラノが先程吟遊詩人の頭を撫でていた時も、吟遊詩人が「眠った」ではなく「甘えてきた」と思っていたのかもしれないと気づいてしまって、めちゃくちゃに暴れ出したくなった。


 皆を起こした勇者は鞄から薫製肉の塊を引っ張り出そうとしていたが、吟遊詩人が「あ、肉は……今日はちょっと」と口ごもると、あっさり頷いて「よし、魚にするか」とにっこりした。そして魔法使いの背をポンと叩いて「お前はちょっと、食材を集めがてら散歩してこい。さっきから賢者を心配しすぎだ、気分転換した方がいい」と言う。


「僕は賢者から離れないよ」魔法使いが首を振る。

「じゃあ、俺が賢者の分の果物もいできていいんだな?」

「だ、だめ」


 恋するエルフは慌てて立ち上がると、勇者に「針葉樹はここにいて、賢者を守って」と言いつけ、フラノに向かって「魚はフルーンね」と指示した。神殿最強の異端審問官が従順に頷いたのを確認すると、彼女は素早く吟遊詩人の手を取って「行くよ」と言う。手を引かれるまま勇者が作ったらしい小枝混じりのちくちくする寝床を降りると、洞窟の床は思ったよりも表面がつるりと滑らかだった。見た感じ石英でできているらしく、エルフの国は端っこの洞窟まで麗しいのかと思うと笑ってしまう。


「一番甘い林檎の気配は……巣が集まっているところにあるから、一緒に見に行こう」

「あ、うん」


 洞窟の中は魔法で暖かくしていたようで、森に出ると空気がひんやりした。見上げた枝には、薄っすらと雪が積もっている。冬籠りが好きで冬が長いノームの国と反対で、あまり寒いと冬眠してしまうらしいエルフの森は真冬の今でも花が咲いていたが、森の中でも集落から少し外れると流石に雪くらい降るらしい。しかし、ふんわりした緑の木漏れ日の中に粉砂糖を振るったような雪がきらめいているのは大変美しく、エルフもこの光景を全部なくしてしまうのはもったいないと感じて、端の方には少し冬を残しておいたのかなと想像する。


 綺麗な森に段々とはしゃぎたい気持ちが高まってきて、吟遊詩人は翅がひらひらしてしまうのを我慢した。するとそれをちらりと見た魔法使いが軽やかに駆け出したので、一気に笑顔になると飛んで追いかける。ああ、いけない。また楽しくなってしまった。でも楽しい。


 どうやら二人は先程通った道を戻っていたらしく、見覚えのある青い花畑を通り過ぎ、花の香りの強い方へ向かってもうしばらく走った。すると段々とあちこちの枝の上にエルフが……くしゃくしゃの洗濯物のように何人も重なり合って昼寝している姿が目につくようになる。足元の花も色とりどりになってきて、木の枝に果実が実り、巨木に絡んだ蔓の可愛らしい花や野苺が目を楽しませ始めた。植物は葉や花弁の一枚一枚が生まれたてのように艶やかで、木漏れ日の向こうから小鳥の声が軽やかに響き、草と土と甘い花の香りが混ざった複雑で豊かな匂いがする。神域の炎のような強く激しい感動とは違う、ずっとずっとこの場所の花に埋もれてお昼寝していたいような、穏やかで美しい感動をもたらす土地だった。


「……あ、冬苺。こっちは草だけど、さっきは木のやつもあったよね──ねえ、こういう冬に実ってる小さい赤い実のこと全部冬苺って呼んでるんだけど、それで合ってる?」

 一粒つまみ食いしながら塔では植物学者だったエルフに尋ねると、彼女は少し考えて言った。


「俗称としてはそれで合っているけれど……柔らかい草なのが霜苺、小さな茂みを作っているのが雪苺、背の高い木が冬苺だよ。霜苺は少し酸っぱくて、冬苺はとても甘い。賢者が好きなのは甘酸っぱい雪苺……」

「甘酸っぱいのかあ、じゃあ魔法使いと一緒だね」

「……うん」


 立ち止まって特別大粒の雪苺をいくつか摘み取りながら、魔法使いが恥ずかしそうに俯いた。このエルフが恥ずかしがり屋なのはいつものことだが、もじもじ揺れもせずこんな風に下を向いて大人しくなってしまう姿は今まであまり見たことがない。彼女はどう見ても賢者のことしか頭にない様子だったので、吟遊詩人が皆の分を確保すると布に包んで抱え、目当ての林檎の木にも移動していくつか鞄に押し込んだ。魔法使いの方は特別艶々の一個を大切に手のひらで包んで、真っ赤な皮にそっと唇を押し当てている。見ているだけで照れるなあと吟遊詩人が思っていると、その時頭上から小さな声が聞こえてきた。


「金色……おいで」


 銀色の頭が木の穴からぴょこっと覗いて、耳をふわふわ揺らしながら魔法使いを呼んでいる。リファール語なのに間延びして聞こえるのは、おそらくこのエルフが直前まで昼寝をしていたからだろう。目が半分くらいしか開いていない。林檎を片手に持ったまま慎重に木を登り始めた魔法使いに先んじて巣穴まで飛んでゆくと、本当にけばけばを大量に敷き詰めた家に住んでいるエルフは「わぁ、蜂が来た……」とにっこりして、さっと手を伸ばすと空中の吟遊詩人を捕まえて巣に引きずり込んだ。


「わっ!」

 ぎゅっと抱きしめられたのも驚きだが、いきなり唇に口づけされそうになったので慌てて間に手のひらを差し込んだ。

「ちょっと! そういうのは番とだけにしなよ!」

「どうして? 魔力は流さないよ」

「魔力?」


 意味がわからなかったが、とりあえず「僕は好きな子としかしないの!」と喚いて解放してもらった。その時……ちょっとだけミロルの顔が脳裏を横切ったのは誰にも内緒だ。違う、キスしたいとか、まだそんなんじゃない。


 慌ててふわふわした巣から逃げ出すと、入り口から様子を見ていた魔法使いもエルフに少しだけ頭を撫でられてからちょこちょこ後をついてきた。危なかったとぐったりしながら話を聞いたところ、エルフにとって唇を軽く触れ合わせるような口づけは、人間で言う挨拶のハグくらいの感覚でしかないらしい。


「でもね……僕は、唇は、はずかしいの……出来損ないだから」

 耳をへにゃりとさせて魔法使いがもじもじしている。どうも花期にしか歌や言葉で求婚できないのも含めて、彼女は愛情表現を恥ずかしがっている自分をそんな風に思っているらしい。


「いや、うん……君が誰にでも口づけして回る人だったら賢者は嫌がるだろうから、そのままでいいんじゃない?」

「賢者が、嫌がる……」

「魔法使いはさ、人間には花期がないって思ってるみたいだけど……逆だからね。人間は年中花期みたいなもんなの。花期に好きな子が別の人とくっついてたりすると、魔法使いはやきもちを焼くでしょ? 賢者は表に出さないからわかりにくいけど、番になるなら少し気を使ってあげないといけないよ。本能もあるだろうから無理はしなくていいけどさ、口づけとか頬擦りとか、特別親密なのは独り占めさせてあげるといい」


「ずっと、花期……賢者が、僕を独り占め」

 そして魔法使いがぷるぷると全身で震えて恥じらい始めたのを見て、吟遊詩人は言い方を間違ったかなと少し焦った。


 どうしよう、何かやらかす予感しかしない……でも、それも面白いかも!


 しかし残念なことに、悪戯好きな妖精の本能がすぐにそれを上回ったので、吟遊詩人は親友のエルフが何をどう勘違いしたのか一切確認することなく、上機嫌で仲間達の待つ洞窟へと彼女を連れ帰った。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る