第五章 愛

一 エルフ達



「仲間が弱ってるんだ、少しここで休ませて欲しい……ええと、聞いてるか?」


 あちらから話しかけてきたくせに、エルフ達は勇者の言葉をさらりと無視した。魔法使いを見慣れていなかったら「なんて感じの悪い奴らだ」と思ったろうが、この種族は大体こんなものだと知っていたので苦笑いが浮かぶだけだ。彼らと同族の魔法使いはこういう場面で頼りになる感じの奴ではないので、とりあえず吟遊詩人に目配せする。飛び立ったフェアリが楽しげにくるりと空中で回って見せると、エルフは小さく「蜂だ……」と呟いてそちらを見た。


「あのね、フェアリの森の扉を開いたんだけど、はじめてだから失敗しちゃったの! でもここも綺麗だから、まあいいかって思ってそのままいたよ!」


 ものすごく楽しそうに自分勝手な話を始めた。見上げた勇者が呆気にとられていると、神官がくすっと微笑ましげに笑う。だがじっと見守っている賢者の様子を見ても、そんなにまずいことは言っていないらしい。話を聞く限りフェアリはかなり愉快な生き物のようだし、もしや人間嫌いのエルフに向けてルプフィルとやらの真似をしているのだろうか。それともただ戦いの緊張から解き放たれて、妖精の本能が表に出ているだけだろうか。


「蜂と、そこの咲いている幼子……黒い目の番は許そう。しかし……白眼の民は、いけない」


 視線を向けられた魔法使いが、突然首から上を薔薇色に染め上げ何やら慌てて足元の花畑をマントで隠そうとし始めた。しかし銀の花はマントで覆うとマントの上に咲いて、彼はそれを見てわなわなと耳を震わせる。そして草の布団に顔を埋めて丸くなり、ただぷるぷると震えるだけの塊になってしまった。意味がわからない。


「え? 人間はダメなんて、どうしてそんなこと言うの? みんな僕のお気に入りだよ!」

 吟遊詩人がエルフ達に反論した。すると彼らは三人ぴたっとくっついて、こそこそと何か耳元で囁き合った。そして真ん中のエルフが「……みんないないと、寂しいの?」と尋ねる。

「寂しいよ! 可愛いし大好きだもん!」


 可愛くて大好きな仲間扱いを受けた火の審問官達が、少しそわそわしている。それにちらりと目を向けながら、エルフが言う。


「それなら……仕方がないから、森へ入れてあげてもいい。でも、滞在は端の方の洞窟だ……もちろん岩で、ふわふわは無い」

「それでいいよ、ありがと!」


 吟遊詩人がにっこりすると、エルフ達も絆されたのかちょっぴりにこっとした。どうやら彼らは、魔法使いと違ってそこまで無表情ではないらしい。いや、と称したが──足首までのひらひらした服を着ている上に遠目なのでわかりにくいが、エルフ達は皆一様にほっそりと華奢で、胸元はストンとしていて手足がスラリと長く、とても背が高い以外はさして魔法使いと変わらない体型に見える。男なのか女なのかは、やはりわからなかった。


「夜に出歩くならば……黒の子らの、許可を得るのだぞ」

 左のエルフが小さな声で言った。よくよく聞いていないと聞き逃してしまうような囁き声だ。


「黒の子?」

 吟遊詩人が尋ね返す。エルフは「……うん」と頷いて、そのまま何も説明してくれなかった。


「黒の子ってだあれ?」

 もう一度丁寧に問うと、エルフ達は困ったように見つめ合い、そして首を傾げると周囲をきょろきょろと見た。するとあちこちの木の枝の上で葉っぱの気配がゆらっと揺れて、なんと勇者達を取り囲むように弓を持ったエルフ達が大勢姿を現したので仰天する。本能で矢をつがえそうになって、フラノに腕を押さえられた。


「……盾がある」

 フラノがぼそりと呟いた。言葉が足りないにも程があるが、つまり大丈夫だから敵意は控えろという意味だろう。確かに火の審問官が三人もいれば、魔法の使われていない矢なんていくらでも防げるなと少し安心する。エルフは攻撃に魔法を使わないのだ。


「黒の子って……」

 初めの三人の中の一人が言った。すると枝の上のエルフ達が弓を下ろしてきょろきょろ目配せを始め、一番高い枝にいる一人が「……毛が黒くて、昼に寝ている子達」と囁く。それに皆がうんうんと頷き合った。


「……毛が黒い」

 真ん中のエルフが総括するように言った。それで説明は十分だと思ったらしく、どこか声が満足げだ。吟遊詩人が困った顔で振り返り、何か知っている様子で賢者が頷いたのに頷き返してからエルフ達へ向き直った。


「……うん、見つけたら聞いてみるね」

「……うん」


 真ん中のエルフが頷くと、それを合図に木の上のエルフ達がバラバラと森の向こうに帰り始めた。しかし半分くらいはこちらに残って、高い高い木の枝からぴょんと飛び降りると、興味深そうな顔でこちらを観察しに来る。近くで見ると思ったよりも背が高く、賢者でも見上げないといけないくらいの長身だ。皆さらさらの真っ直ぐな銀髪に星を纏わせていて、ほとんど白っぽく見える淡い淡い青紫色の瞳をしている。


 しかしエルフの群れなんてきっと目が潰れるほど美しいだろうと思っていたが、それに関してはそこまでの衝撃を感じなかった。否、今までに見たどんな種族よりもきらびやかではあったが、人間から見るとちょっと大きすぎるせいか、足元に花が咲いていないせいか、魔法使いの方がより儚げで神秘的に見える気がする。


「あのね、僕フィルル。君は……エルフのお姫様?」

 枝の真ん中にいたエルフに、吟遊詩人が声をかけた。そいつだけ、頭に薄紅色の花冠を被っているのだ。


「ユーレムナローレムナ……ユーミュルナでもいい。森の長ラーラミュネの、子供の子供」

「そうなんだ、よろしくお姫様!」


 なんと本当にお姫様だったようだ。いやもしかすると王子様かもしれないが、とはいえ周囲のエルフ達が彼女を特別丁重に扱っているかといえばそうでもなく、皆同じような感じで近くのエルフと手を繋いでいて、一人はその辺に生えていた雑草の葉っぱを楽しそうにユーミュルナの髪へ差し込んだ。そんなことしていいのかよと思いながら見ていると、エルフ達はなぜかしゃがみこんでパッと両手を広げる。


「おいで……小さな子。怖くないよ……」

 どうやら魔法使いを呼び寄せているようだった。先程までと違ってエルフ語で話している彼らの言葉を、いつの間にか隣に戻ってきている吟遊詩人が通訳してくれる。


 自分を呼ぶ声に、丸まっていた魔法使いが起き上がって迷うように耳をぴくりとさせた。そろそろと草の布団を降りて、勇者がいつでも賢者を守れる位置にいるのを確認すると、おそるおそる見知らぬエルフに歩み寄る。いつもは群れの仲間以外と触れ合わぬ彼が、美しい同族とそっと抱き合い、頰を寄せ合って耳元で囁くように挨拶した。二人の長い耳が嬉しそうに揺れる。 お姫様が魔法使いの髪をそっと撫でて「可愛い……小さくて、金色」と囁き、魔法使いが「僕は幼子ではないよ……成人しているけれど、特別小さなエルフなの」と囁き返した。何百年も生きるとあそこまで背が高くなるのかと思っていたが、どうも違うらしい。初めてたくさんの同族を目にした魔法使いだったが、どうやら上手くやれそうだ。


 その時ふと、僅かに身じろぎする気配に隣を振り返った勇者は、驚きのあまり思わず「えっ!」と叫びそうになった声をなんとか飲み込んだ。目にしたそれはほんの一瞬のことで、賢者はすぐに目を伏せてそれを消してしまったが──彼の灰色の瞳に、衰弱の色を押しのけるような激しい嫉妬の炎が燃え上がっていたのだ。


 そっと見回したが、仲間達はみな魔法使いの方を見ていてその一瞬の奇跡に気づかなかったらしい。この驚きを共有したかったが……言いふらすのも嫌がるだろうと残念に思うと同時に、勇者はなんだか少し安心した。気丈な態度とは裏腹に彼は大きく心を擦り減らしているようだが、そうやって独り占めしたいくらい愛しく思う相手がすぐ側にいるなら、きっと大丈夫だ。


「──それで、君は……何の生き物?」

「うわっ!」


 うんうんと気分良く頷いていたところ、すぐ隣で低めの歌うような訛りが聞こえて飛び上がった。勇者が振り返るのとほぼ同時に、賢者に話しかけているのだと気づいた魔法使いがビュンと飛ぶように戻ってくる。


「何の……生き物?」

 エルフがもう一度尋ねる。


「……少なくとも私は、己を人と信じて生きてきたが」

 賢者がエルフ語で答えた。はっきり人だと断じないのは、賢者も段々と自信がなくなってきたのだろうか。ちょっと面白い。


「それは……少し間抜けだね」

 エルフが言う。魔法使いが「木陰に佇んでいるものだよ」とエルフ語で言うと、納得いった顔で「うん、確かにそのような感じだね」と返している。


「……木陰の、名は?」

 間延びしたヴェルトルート語の問いかけに、賢者がぼそりと「ルーフルーファレーリュミル」と答える。すると彼は何を言ったのか、魔法使いが目を丸くして彼を振り返り、どこか今までとは違う様子でぺたんと耳を下げると俯いて頰を赤らめた。


「えっ」

 通訳してくれていた吟遊詩人が小さく声を上げ、目を輝かせながら片手で口を覆う。

「なんて言ったんだ?」

「賢者……『エーリュミルの繊月せんげつ』って名乗ったんだよ。驚いた、あの人のことだから魔法使いに別の恋人を当てがおうとするかと思ってたのに」

「え、マジか」


 それは本当に驚いた。死にかけると人生観が変わるというが、彼の中で何か大きな変化があったのだろうか。かなり気になったが、順調に交流していた魔法使いがすっかり大人しくなったのを見て、吟遊詩人が再び前へ出てエルフ達と話し始めてしまった。話し相手を失ったので、ひとまずは貸してもらえる洞窟とやらに意識を戻す。どうやらここからそう遠くない場所にあるらしく、動物を狩るのはだめだが、近くの川で魚なら獲っても良いと許しが出た。賢者には保存食ではなく栄養のあるものを食べさせてやりたかったので、ホッとして頷く。と、エルフ達と話していた吟遊詩人が振り返って「木陰の子が元気になるように、この森の果物をたくさん食べさせろってさ」と笑った。


 見知らぬ妖精達の森だったが、思ったよりもずっと賢者にとって良い休養の場所になりそうな予感がした。





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