九 勇者の祈り



 次の日は夜明けからガーズの工房に向かい、昨日と同じように全力の素振りを色々やってから、時間短縮のために神官を背負って山頂に向かった。


「そんなに走ったら疲れませんか、ゆっ、うしゃ……」

「いや、全然。喋ると舌噛むぞ」

「もう噛みました……」


 ひ弱な仲間達は滑らないよう慎重に進んでいたが、勇者にとってはこの程度のなだらかな地形、なんでもない。村では時々だが山羊の世話だって手伝っていたのだ。あいつらはすぐ崖に登るから、散歩から戻ってこないのを抱えて垂直な岩壁を降りる程度、朝飯前だ。


 そう、雪山だって、あれほどつるつるに凍りついていなければ簡単に降りられる崖だったのだ。それ故にもどかしく、あと少しだけ引っかかりの多い場所を見つけられればなんとかと──いや、これ以上嫌なことを思い出すのはやめよう。歴代の剣の仲間は大体が旅の途中で一人二人欠けているが、シダルの仲間達は決して死なせない。全員守り通して、そして魔王も救う。世界も救って、神殿も救う。


 自分にそれだけの力があるかと言われるとわからないが、不可能が可能になる奇跡が起こるとしたら、それは必ずできると、絶対に救うと、自分で自分を信じている時だと思うのだ。


「もう着くぞ」

「早いですね痛っ!」

「だから喋るなって。どうしても返事したかったら『うん』とか『ううん』とか、口閉じたまま言え」

「うん」


 子供のような返事をするロサラスがおかしくて笑いながら、狐まみれの神域に入る。わらわらと寄ってきた群れの中に降ろしてやると、早速しゃがみこんで撫で回している。

「ほんとに動物が好きだな、お前」

「うん!」

「いや、もう喋っていいって」

「あ、そうか。この子達、普通の狐よりも随分耳が長いですよね……可愛いです」

「……おう。そうか」


 神官の肩を叩いて正気に戻してから服を濡らしてもらうと、水が苦手らしい狐達がさっと距離を取った。放っておくと膝の上で跳ね回って服を燃やすので都合は良いのだが、あからさまに嫌そうな顔をされるのでちょっと寂しくなる。

「さあ狐さん達、私は乾いていますから、こちらにいらっしゃい」

「おい、燃やされるなよ」

「大丈夫ですよ、私も勇者ほどでは有りませんが、火傷を負いにくい体質ですから」

「いや、服は燃やされる気なのかよ」


 呆れ返りながら聖炎ラガの前に片膝を立てて座り、左胸に右の拳を当て、その手を左手で包んだ。本当は跪くのが正しい作法なのだが、それだと長時間祈るのがきついので略式だ。

「目を閉じてください、勇者。祈りの基礎を教えます。まずは私の祈りを参考に、そして次第に、自分の言葉で祈りなさい」



  フランヴェール様、俺は今、一つの試練を与えられました



 天から響いてくるような優しい声で与えられた言葉は、形式張った祈り文句でなく自分の口調に近しいものだった。勇者はそのことに驚いて目を開けそうになり、しかし我慢してじっと耳を傾けた。やわらかな声で乱暴に「俺」なんて言う神官がはじめは面白かったが、その真摯な祈りの内容を聞いていると、次第に引き込まれてゆく。



  光と闇の父母神に賜ったオリハルコンを

  新しい聖剣として鍛えるため、俺の炎が必要なのです

  しかし今、俺の炎は聖剣にふさわしいだけの強さがありません

  だから、火の神よ、俺を導いてください

  どうしたら俺はもっと強くなれますか

  あなたの炎を、お側で感じさせてください



「さあ、祈ってごらんなさい」

 神官の優しい声がそう言って、小さな足音と共に気配が遠ざかり、そして少し向こうから「さあ狐さん達、勇者がお祈りしている間、私と遊びましょうね!」というはしゃいだ声が聞こえてきた。それに思わず少し吹き出して、姿勢を正すと自分なりに祈りの言葉を考えてみる。


 決められた丁寧な言葉を繰り返すのが祈りじゃない、祈りは神への手紙だ。そう教えてくれた神官の笑顔を思い浮かべながら、ゆっくりと心の中に言葉を並べた。


──神様、あなたの炎はとても暖かくて、少しも俺を傷つけるような感じがしません


 そう、悪意あるものを瞬時に滅ぼす炎だというのに、少しも恐ろしく感じない。そしてとても静かだ。焚き火は薪のはじけるパチパチという音がするが、聖なる炎は時折風に触れてぼうっと僅かな音を立てるだけで、ただ静かに燃えている。あんなに真っ赤で大きいのに。


──強さというのは、攻撃の力が強いというのではないのでしょうか、神様。力を込めて殴れば敵を倒せると、そういう単純なことではないように、俺は感じました。あなたが戦いと守護を司るのは、表裏一体なのではなく……何かどちらも同じものであるような、そういう感じなのでしょうか


 そうして言葉にしてみるとよくわからなくなってきたが、しかし、そんな感じがするのだ。勇者は眉を寄せて考え、そして目を閉じていても瞼の裏を真っ赤に燃やす炎の輝きを感じた。


──狼は群れを守るため、敵に吠えて、そして咬みつきます。戦いと守護というのはそういうものだと、俺は思っていました。でも、もしかしたら、あなたのそれは何か……もっと、違うものなのでしょうか。どうして火の魔力は、仲間を守る剣だけでなく盾にもなるのでしょう。どうして……神様、俺の浄化は、渦と火の魔力を完全に分けても、なぜか炎の形を取ります。ならば俺は、浄化の炎を剣ではなく、盾のように使うことができますか? 淀みに侵された人間を燃やし消し去るのでなく、寒い冬に命をつなぐ焚き火のように、何か


 するとその時、何かものすごく焦げ臭い匂いがして、足にふわふわした感触が触れた。驚いて目を開けると、神域の熱ですっかり乾いた膝の上に狐が一匹乗っていて、ズボンの左脚が半分以上燃えてなくなり、肌に直接燃える尻尾の毛が当たっている。


「おい神官、燃えてるじゃねえか! 見ててくれよ!」

「……あっ、ごめんなさい。忘れてました」


 叫ぶと、安心しきった様子で腹を見せて転がっている狐を撫で回しながら、神官が振り返った。声は申し訳なさそうだが、顔はふにゃふにゃに微笑んでいる。こりゃだめだと思って膝から狐を下ろし、服をはたいて火を消す。


「……あなたは火の魔法の使い手なんですから、ある程度火の操作ができるはずですよ。練習すれば、目を閉じながらでもご自分で燃えないようにできるのでは?」

「右手ならな。俺の肌に経路がないこと忘れてないか? というか神官……お前、俺が燃えないようにするためについてくるって言ってたよな?」

「あ、そうでした」

「めらめら燃えてたぞ」

「……ふふ」


 狐にリボンを取られてしまったらしく、胸のあたりまで伸びた髪を束ね直しながら神官が悪戯っぽく笑った。長くなったなあと思うが、毛先が焦げているので宿に帰ったら吟遊詩人に少し切られてしまうだろう。一年半前はただ善良なばかりだった瞳がきらきらと楽しそうに輝いて、聖職者らしい穏やかな誠実さを残しながらも人間らしく──いや、それ以上に特別へんてこで幸せそうで面白い奴になった。痩せこけていた頰も今は薔薇色で、まあ屈強には程遠いが、すらりと細身の健康的な体になった。


「お前……ちゃんと生きてる人間になったな」

「おやまあ。確かに以前はちょっぴり不健康でしたけど、ちゃんと真っ直ぐ生きていましたよ……必死に」

「うん、そうだな」


 ニッと笑って、出会えた幸運と今の幸福を喜び合った。まあ戦闘の連携は相変わらずだが、もう言葉がなくても分かり合えるくらい、絆は深かった。


 それからもう一度服を濡らしてもらって、もうしばらく祈ってみたが、特に何かが掴めた感じはしなかった。ただ神域の中で魔法を使ってみると、いつもより魔力がすんなり動くような気がする。だからといってすぐ強くなれるわけでもないのだが、力を抑える方向ではなく強める方向に魔力を操作する練習は初めてで、結構楽しかった。


 帰りは神官を背負わず、早めに切り上げてのんびりと歩いて帰った。初めは彼が足を滑らせても大丈夫なように彼の前を、後ろ向きに歩いて山を降りていたのだが、神官が怖がって「危ないですよ」と何度も言い、そのせいで自分の足元がおろそかになって何度も転んだので、隣を歩くことにした。


 歩きながら、こんなことを祈ったという話をぽつぽつする。すると、神官がにこにこして言った。

「あなたはやっぱり、賢者の従兄弟ですね」

「えっ……俺、賢いか?」

 ちょっとそわそわしながら言うと、神官は妖精達を愛でる時と同じ顔をして「うんうん、アレンは賢いですねえ」と頭を撫でてきた。そしてよそ見をしたせいで転びかけ、勇者に腕を掴まれた。どうも馬鹿にされているような気がするが、その名で呼ぶのはずるい。


「神殿時代の賢者の祈りがね、あなたの祈りによく似ていたのですよ。気の神官だったのもありますが、とにかく『神よ、何ゆえ』と世界の謎を問うばっかりで……あなたも賢者も、きっと私よりずっと好奇心旺盛なのでしょうね。私は導いてくださいとか助けてくださいとか、お願いばっかりですから」

「そういう方がいいのか?」

「いいえ、あなたの祈りの方が私は好きですよ。たくさん考えるのは……それだけ正しい道に進もうと頑張っているってことですから」

「魔法、強くなるかな」

「さて……それは神様でないとわかりませんが、そうして素直な心で神に語りかけるのは、きっとあなたを成長させます。無駄にはなりませんよ」

「……おう!」


 どこがどう成長するのかよくわからなかったが、詳しく尋ねると話が長くなりそうだったので、爽やかに笑って頷いた。しかしなぜか考えるのをやめたのがばれたらしく、おかしそうに「おやまあ」と笑われてしまった。今のは顔に出てなかったと思ったのだが、難しいものだ。





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