八 溝のある剣



「下がってろ」

 勇者が言うと、仲間達がさっと立ち上がって扉の陰になる場所に移動する。勇者はそれを見届けてから、「誰だ、こんな時間に?」と鋭い声で誰何すいかした。すると、扉の向こうからがなり立てるドワーフの声が聞こえてくる。


「シダル! おい、試作が一本仕上がったぜ! 試しに行くぞ!!」

「……ガーズ?」


 扉を開けると、興奮した様子のガーズが抜身の剣を振り回しながら、部屋の前で案外身軽にぴょんぴょん跳ねていた。もしかして、山からこの状態で走ってきたのだろうか。


 よく宿屋に入れてもらえたな……。


「仕上がったっつっても、まだしっかり形をキメてなかったのをお前に合わせて直しただけでよ、これで一回振ってみて、そこから今度は一から鍛えて細けえ調整すんだ! ほら、山へ行くぞ!」

「おい……もう真っ暗だぞ」

 そう言いながらも勇者の視線が剣に釘付けになっているのを見て、鍛冶屋がにやりとする。

「火を焚けばいい!」

「……だな! よしっ」


「待ちなさい」

 訪問者がガーズとわかって元の場所に戻っていたらしく、無骨な木の食卓に頬杖をついた賢者が、これ以上ないほど偉そうに顎を上げた下目遣いで勇者を見下ろした。

「明日でも良かろう。何のために下山を急いだと思っている」

「え、でも……俺ひとりならそう危なくないだろ」

「男ならみんな、新しい武器をすぐ試したいよな!」

 勇者が渋っていると、ガーズが援護するようにそう言った。しかし新しい望遠鏡ならまだしも新しい剣などどうでも良いに違いない天文学者は、蔑むようにフンと鼻を鳴らすばかりだ。


「──針葉樹、どうしても君が行くというのなら、僕も行くよ」

 その時、魔法使いが静かに言った。


「え?」

「夜の山を何の障害もなく歩けるのは、君の他には僕と吟遊詩人だけだもの。僕は君をひとりにしないし、子犬はもう眠る時間だ」

「いや、だから僕はもうとっくに成人してるってば」

 吟遊詩人が嫌そうに呟き、魔法使いがそれに「出会った頃は大人びていたけど……最近は特に子犬のようだよ」と返すと、エメラルドの妖精はがっくりと肩を落として部屋の隅の方へ歩いていった。


「シダル……雪山では、僕のせいで君をたくさん泣かせてしまった。だから僕は、もう君をひとりにしないと決めているんだよ」

 星を纏った美しいエルフが静かな静かな声でそう言って、そっと手を伸ばすと勇者の頬に触れた。凍った湖と同じ色をした瞳がぼんやりと光っているような気がして、吸い寄せられるようにその色を見た。いつもの彼は小さな女の子のように甘えた態度だが、こうしてふと妖精らしい神秘的な一面を見せられると、どうにも自分がとても小さな存在のように思えて逆らえない。


「……わかったよ」

 少し後ずさりながら認める。俺の負けだ。こうなってしまった魔法使いには敵わないし、頬に触れる真っ白な指先を賢者がじっと見つめているのも気になって仕方ない。


「ガーズ、今夜は部屋で少し握ったり重さを確かめたりするくらいで、後は話を聞かせてくれないか?」

「ううん……まあ、仕方ねえか! 俺も下りてくる時三回転んだしよ。やっぱ夜の山は危ねえよな」

「お前……」


 やっぱりやばい人だ……と呟くフェアリの声を聞きながら、変人鍛冶屋を部屋に招き入れる。ガーズは「おうおう、すまねえな」と言いながら数歩中に入り、そして扉を閉めている最中の勇者の手にぐいと剣を押しつけた。

「まずは持ってみろ!」

「うわ、ちょっと待てって」

 せっかちなドワーフに苦笑しながらも、期待に胸を高鳴らせながら鉄の剣を握る。


 柄は紋様が刻まれている今の聖剣と違って滑らかに磨かれていたが、特に変わった形はしていないように見えるのに、吸いつくように勇者の手に馴染んだ。つるつるだが重心が丁度良く、どれだけ振り回しても滑る気がしない。つばも装飾は少なめだが、火と渦の神を表す記号が混ざり合ったような紋様と、聖剣に関する神典の文句がアルレア語の飾り文字で彫り込んである。勇者の好みからするとかなり簡素だが、ガーズははじめに勇者へ意匠の好みを聞いたくせに、装飾を控えめにした方がオリハルコンの輝きと剣身の洗練された姿がナントカ……という賢者の意見の方を採用しやがったのだ。でもこうして実際に見ると、こっちの方が気取っていなくて逆にかっこいい気がする。飾らない男の武器って感じだ。


「なんで剣身に溝が彫ってあるんだ?」

 中央に深々としたのが三本も走っているのを見ながら尋ねる。これはこれで見た目は悪くはないが、もともと無い強度が更に落ちそうで心配だ。


「鉄の方がだいぶ比重がでかいからよ、それで重さを調整してんだ。だから素材は違うが、長さも重さもだいたい同じだと思ってくれていい」

「ふうん……でもすごいな。新しい武器ってのは馴染むまで少し扱いづらいもんだが、まるで生まれた時から一緒みたいな感じがする」


 本心からそう言ったのだが、ガーズは「おいおい、そういうのは完成してから言ってくれや……お前の相棒はまだ生まれてねえんだぜ」と小さく言って髭をもさもさといじった。照れているようだが、ずんぐりした髭面なので全然可愛くない。


「それで完全じゃねえからな。まだ柄に嵌める宝玉の比重まではいじってねえし、彫刻とかをもっときちんと彫っても重さが変わってくる。とりあえず持ってみた感じは今ので良さそうだが、内炎魔法を込めた時の感触も確かめてから、次の工程に入る」

「おう、頼んだぜ! なあ、やっぱり今から」

「……針葉樹」

「わかってる! 明日、明日な!」

 魔法使いの悲しそうな声がして、慌てて振り返ると妖精をなだめにかかる。


「ごめんって……ちゃんと大人しくしてるから」

「……うん」

 まだ不満そうなエルフを押しつけてしまおうと、食卓の方に向き直る。肩を押して賢者の隣の席に座らせると、彼はたちまちご機嫌になって愛しい人を見つめる作業を始めた。


 と、その賢者が何やら小さな輪っかがいくつも連なったような金具を退屈そうにカチャカチャいじくり回しているのが気になって、勇者は少し身を乗り出して後ろから手元を覗き込んだ。たぶん帰りがけに露店で買っていたものだが、何の道具だろうか?


 訝しそうにしている勇者の視線の先を見て、ガーズが楽しそうに笑った。

「お、『謎の輪っか』か。俺はそれを作るのが趣味でよ、特に『鍵』と『迷宮』は今まで解いたやつがいねえんだぜ」

「謎の輪っか?」

「……知恵の輪のことだ」

 賢者が上の空でそう呟きながら、連なった輪をひっくり返してよくよく眺め、そしてあちこち押さえながら真ん中の部分をくるりと捻る。すると鎖のようだったのがチャリンと外れてバラバラになった。


「うお、マジか」

「え、壊しちまったのか?」

 ひょこひょこ歩いてきたガーズが驚きの声を上げるので、勇者はびっくりして尋ねた。彼には食卓が高すぎるらしく背伸びをして見ようとするので、剣を壁に立てかけると脇を抱えて椅子に乗せてやる。


「いや、これはこうやってバラして遊ぶもんだが……そいつはグロズ親方のだろ? 露店のとはいえ、あいつの『十二連』をその時間で解くたあ……よし、俺がもっと難しいやつ出してやる。待ってろ、時々『挑戦者』が現れるからよ、鞄の底に入れといたはずだ……」


 おもちゃで遊んでたのか、賢者……。


 てっきり魔導具の検分でもしているのかと思っていた勇者は拍子抜けした。食卓の向かい側で楽しそうに鼻歌を歌いながら資料の写本をしていた神官が顔を上げ、小さく「おやまあ」と微笑ましそうに言うと再び作業に戻る。そちらの手元も覗くと、勇者が今までに開いたどんな本にも見たことがないくらいの達筆だった。どうやら賢者は、神官に紙束を奪われてしまったので暇つぶしに謎の輪っかとやらで遊んでいたらしい。


 ガーズはその場で鞄を逆さまにして、やすりや磨き粉、ぼろきれ、銀と思われる金属の塊、かびたパンの欠片などを床にぶちまけ、その中から大きな錠に鍵がたくさん刺さっているみたいなへんてこなものを拾い上げて賢者に投げ渡した。反射的に受け止めた賢者は、刻まれている溝から埃の塊を引っ張り出して気持ち悪そうに顔をしかめ、手早く顕現陣を描くとそれを綺麗に浄化した。


「そっからよ、鍵を全部抜くんだ。相当難易度たけえから、しばらく貸してやるよ。解けたら譲ってやる」

「……ふむ」


 新しいおもちゃをもらい、無表情のまま結構夢中で遊んでいる賢者は、彼の子供時代はこんな感じだったのかなと想像できる感じがして新鮮だった。魔法使いも似たようなことを考えたのか、小さな声で「かわいい……」と言いながらそっと柔らかそうな黒髪を撫で、ハエでも払うような反応をされている。最近の賢者ならば妖精の言動をこっそり恥ずかしがるところなのだが、知的好奇心に支配されている時はまた別なようだ。


「……なあ。明日の朝、早起きして行こうぜ」

 ガーズが賢者の手元から視線を外したタイミングで、勇者はわくわくと聖剣鍛冶に話しかけた。同じく夜明けが待ちきれない様子のドワーフが、髭を引っ張りながらくしゃくしゃになって笑う。

「おうよ! 夜明けに宿の前で待ち合わせだ。ここに来る時、受付の奴に『その剣は何だ』つってだいぶ色々聞かれたからよ。あんまり何度も入りたくねえや」


 剣やおもちゃの話題で盛り上がっていたので忘れていたが、そう言ったガーズの顔はやっぱり少し内向的な感じに見えて、ドワーフらしくなく人見知りなのだなあと思う。

「……帰りは玄関まで送ってく。どっかに泊まるのか?」

「ん。あんまし使ってねえが、一応こっちにも家があんだ。工房は時々噴火で潰れっからな」

「……そっか」

 内向的で精密な細工が上手く、あんなおもちゃを作っているあたり頭も良さそうなのだが、どうしてそんなところは有り得ないくらい豪胆なのだろうか。


 しかし最近はもう、それくらい変な奴の方が親しみが持てる気もする。勇者はそう考えて、先程床中に荷物をぶちまけたドワーフの帰り支度を手伝ってやりながら──かびたパンもそのまま突っ込もうとしていたので、それは捨てた方がいいと助言した──自分も仲間達の変人加減にすっかり染まってしまったなあと苦笑する。


 すると、寝台に腰掛けてリュートを磨いていた吟遊詩人が呆れた声でぼそりと言った。

「いや勇者、『俺の周りは変な奴ばっかりだなあ』みたいな顔してるけど……僕さ、魔法使いの次に突拍子もないのは君だと思うよ」





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る