七 タルト



 勇者達は山を降りるとウルの街へと戻った。宿屋に帰ってくるなり、歩きがてら買い込んだ素材で賢者が料理を始める。不思議そうにしていた神官が自分のためのタルトだと知って嬉しそうにはにかみ、材料として用意されているのが自分の大好きな木苺だと気づいた魔法使いは目を潤ませて頬を赤くした。賢者の好きな林檎でも神官の好きな梨でもなく、木苺を選んだことに吟遊詩人がにやにやしている。「皮を剥いて刻む必要がなく、手間がかからぬ」とかぼそぼそ言っていたが、絶対言い訳だ。


 料理姿が全く似合わない魔王のような黒ローブの友が、木の脚の上に石の天板が乗った調理台の上で、椀にあけた小麦粉や溶き卵、バターなどをヘラのようなもので丁寧に練る。そして出来上がったねちゃねちゃを慣れた手つきで中央にまとめると、賢者はさっとその上に手のひらをかざした。黒い魔法陣が椀の上と下に二つ現れて、間に挟まれた空間がぼんやりと暗くなる。


「何やってるんだ?」

「寝かせる時間を短縮している」

「僕も……賢者に寝かしつけられたいよ」


 賢者の肩の上に顎を乗せるようにして覗き込んだ魔法使いがあまり脈絡のない甘え文句を口にし、耳元で囁かれた賢者が小さく「……静かにしなさい」と言いながら妖精の額をそっと押し退ける。しかしあまりに優しい力加減だったので、魔法使いは額に触れられたと逆に喜びながら賢者の手を捕まえ、指先にちゅっと音を立てて口づけした。吟遊詩人が小さく「きゃっ!」と言いながら両手で顔を覆っているが、今は少し蒸れたとかで目隠しを外しているので、手で覆ったところでどう考えても見えているだろう。


「……邪魔をするな」

「でも、君にきちんと教えてあげないと」

「何の話だ……大人しくしていなさい」


 賢者は少しわなわなとなりながら手を引っ込め、しかし潔癖なわりに指先を浄化はせず、ふいと顔を背けると暖炉の横に備えつけてあった小さな鍋に卵と小麦粉とヤギの乳、少々高価な砂糖もふんだんに入れて煮詰め始めた。

「それは?」

 勇者が尋ねると、まだ少し動揺の名残が見える賢者がぼそっと返す。

「カスタードクリーム」


「クリーム……」

 神官が幸せそうに復唱して、頰に手を当てるとうっとりした。大方とろとろになったところで今度は生地の方を薄く伸ばし始めた賢者の手元を見て「ビスケットの作り方に似ていますね」と楽しげに呟く。

「同じようなものだ」


「ビスケット焼いたことあるの、神官……?」

 恐ろしいくらい料理の才能に恵まれていない聖職者を見ながら吟遊詩人が恐々尋ねると、神官はにっこりして「いいえ、私は神殿の厨房当番から外されていましたから。でも作っているところは見たことがあるんです。祝祭の日にたくさん焼いて、普段お菓子を食べられない貧しい家の子供達に配るのですよ」と言った。あの神殿の狂信者も神官の作る飯については勇者達と同じことを考えたのだなと苦笑いしているうちに、賢者が石の天板の上でタルトの土台を焼き始める。上下で挟むあたり寝かせる魔術の魔法陣とやらに形は似ているが、最初は黒かった魔法陣がぼうっと赤くなって、熱は感じないが強い火の気配がしてくる。


「……それってさ、どうやって丁度いい温度で焼いてるんだ?」

 尋ねると、賢者は粉の付いた手を念入りに濡れた布で拭きながら振り返った。今は火の魔術を使っているため、水の浄化を控えたらしい。


「魔法陣の構成ではなく、炉の魔法に応用できないかという話だな? 炎の温度調整は単純に魔力の量と勢いだ。内炎魔法で筋力を高めるのと同じ要領で、基本的には強くなる」

「なるほどな……」

「がしかし」

 ふむふむと頷いていると、賢者に遮られた。


「何だ?」

「そなたも私も、強力な術を扱うには魔力が足りぬ。フラノがやって見せたように赤い炎を黄から白へと変えるような術は、最低でも今のそなたの五倍は魔力が必要だ」

「え……」

 暗に「お前には無理だ」と言われたのかと思って悲しくなっていると、賢者が「そうではない」と首を振った。


「故に方法としては二通りだ。一つはそなたの魔力を数日かけて魔石へ充填しておき、それに触れながら魔法を発現すること。もう一つは修練によって魔力効率を上げること」

「……うん?」


 賢者が言うには、山頂で話していた通り聖炎に触れながら祈ったり、たくさん魔法を使って魔力の扱いに慣れたりしていると、力の使い方に無駄がなくなるらしい。そうすれば流石に五倍の効率とまではいかなくとも、鍛冶に使える程度の温度には到達するだろうということだった。

「そっか……よし、やってみる!」


「賢者、焦げそうだよ!」

 吟遊詩人の声に慌てて調理台に向き直った賢者が、赤い魔法陣を手早く青い魔法陣に入れ替えて、焼きあがったタルトの土台を冷ました。一度魔術を取り消してやり直すのではない──これは今度勇者が教えてもらおうと密かに思っているかっこいい技のひとつなのだが──さっと手を振るだけで陣の中の紋様がするすると動いて描き換わるやつだ。


「今のは……万華鏡に、少し似ていたね」

 勇者の視線を追った魔法使いが言った。

「何だそれ?」

 聞いたことのない言葉に首を傾げて見せると、向かい合った妖精が真似をするように同じ方向へおっとりと首を傾げる。

「きらきらが、きらきら動く……きらきらしたおもちゃ」

「……そうか」


 花の妖精がよくわからないのはいつものことなので、うんうんと頷いてからタルトの方へ視線を戻す。冷まされた土台は、食べているときは気づかなかったが、確かに言われてみればクッキーで作った皿のように見える。賢者がその上にクリームやら木苺やらをやたら丁寧に並べると、今度ははっきりと見覚えのある形の菓子になった。


 その後は簡単にパンとチーズと炙った肉で夕食を済ませて、そして食後に切り分けられたタルトは──賢者の作る菓子は初めて食べたが、どこか整い過ぎた感じの味がする彼のスープと違って、それはそれは、えも言われぬ素晴らしい味だった。まるで夢の世界の食べ物のようで、甘いものはそれほど好まない勇者も思わずうっとりしてしまう。並べられた木苺は何か上に塗られているのかぴかぴかして見た目も宝石のようだし、クリームの甘さも丁度良い。


 吟遊詩人が「こんなに美味しいお菓子初めてだよ……」と言うのに神官が激しく頷き、魔法使いは何やら熱いまなざしになって、賢者の耳元で「この美しい甘さの分だけ、僕も君に愛を返すよ」とか囁いている。エルフは甘い果物を相手に食べさせるのが求婚の作法らしいし、彼もまたそういう価値観で話しているのだろうが、人間から見ると相変わらず言っていることはちょっと変だ。ただ視線も声音もこれ以上ないほど甘ったるいので、その愛情だけは充分に感じ取れる。どうやら賢者はその熱量に困り果ててしまうらしく、目を伏せてじっと自分の中の困惑を分析しているような彼を見る度、勇者もあまりハイロに可愛いとか好きだとか言い過ぎないよう気をつけようと思うのだった。



 さて、そうして菓子を食べ終えると間もなく就寝の時間になった。宿には勇者達の他にも人間が泊まっているらしく、空いている部屋は三部屋しかなかったので、勇者は吟遊詩人と相部屋だった。しかし二人部屋は勇者達が使っているこの部屋一つだけで、後は二部屋とも一人用の客室だ。はじめは勇者と神官でここを使い、妖精二人をまとめて一つの寝台に押し込めようとしていたのだが……魔法使いが何の躊躇いもなくにこにこしながら賢者の部屋に入っていったので、吟遊詩人は彼にとって幸運なことに自分の寝台を手に入れることができたのだ。


 つまるところ寝台の二つある部屋が一番広いので、食事は勇者達の部屋でとっていたのだ。その時初めてこの宿の部屋事情を知ったらしい賢者が──昨夜は彼が受付で部屋を取ったのだが、酒でふらふらしながらぞんざいに済ませたのでよく覚えていないらしい──神官に部屋を交代してくれないか困り顔で交渉していたが、妖精の懇願の視線を受けたロサラスは「少し疲れが溜まっていて……申し訳ないのですが、今日はひとりにしていただけませんか」と言っている。


 賢者の察しが良いからか神官の嘘が下手だからか、レフルスはすぐに振り返って必死に耳を震わせて合図を送っているエルフをジロリと見た。怒り出すかと思ったが、しかし予想とは反対に「それ」が要因ならば勇者や吟遊詩人と代わるのも無理だと思ったらしく、満面の笑みを浮かべながら首を横に振っている吟遊詩人をちらりと見ると、額に手を当ててため息をついた。


「絶対、ほんとは嬉しいんだよ」

 はしゃいでいるフェアリがこそこそと勇者に耳打ちしてくる。

「いや……あれは自分でも気づいてないだろ。たぶんちょっと本気で困ってるぞ」

「えっ……そうかな? じゃあ部屋代わってあげる?」

「いや、いいだろ。あいつはちょっとくらい困った方が情緒が育つと思う」

「さっすが勇者! わかってるねっ!」


 また「楽しくなってしまった」らしい吟遊詩人が翅を広げてくるりとその場で縦に一回転し、燐粉りんぷんというらしい光の粉を撒き散らしながらきらきらしく笑った。神域を離れると翅の色は元に戻ったが、瞳の中にきらめく炎の色は変わらず残っている。そして彼は回った勢いのままぶうんと小さな音を立てて部屋の隅まで飛んでゆき──寝台に潜り込んで頭から毛布を被った。


「もうやだ……」

「おや、とても可愛らしいですよ?」

「わかってるよ! 可愛いから嫌なの!」

「おやまあ……」

 勇者が慌てて首を振って見せたので、神官は「お年頃ですものね」という言葉をなんとか飲み込んだようだった。


「なあ……明日から俺は神域に通うけど、お前達はどうする?」

 とりあえず話題を変えようと声を上げると、なぜか神官がぱあっと華やいだ顔になった。


「勿論私はご一緒しますよ! 勇者の服が燃えないようお手伝いしませんと!」

 これ以上ないほど琥珀色の瞳をきらきらさせて神官が意気込み、勇者は「お前……狐と遊びたいだけだろ」と呟いた。仲間達を見渡すと、賢者は「私は街の書庫とやらで文献を整理したい」と言っており、吟遊詩人は「じゃあ僕はそっちに付き合うよ。賢者だけじゃ上手くドワーフと喋れないでしょ」と得意げに笑った。


 そして残った魔法使いが「僕は、いつだってルーフルーと一緒だよ」と囁いた時──ドンドンドンと、部屋の扉が緊迫感のある速さで叩かれた。





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