四 聖剣鍛冶




「ガーズという名のドワーフです。工房はゴドナ火山の中腹、許される限り聖域に近い場所にあり……今までに三度、溶岩流によって焼失しているそうです」

「やっぱりやばいなぁ、その人……」


 ハイロの案内で街を歩く。昨日は気づかなかったが、街の中には溶岩が流れた跡と思われる黒い岩の道や、噴火の勢いで飛んできたらしい大きな岩があちこちにあった。しかし街が壊れてボロボロといった様子でもなく、そういうものを避けて家が建てられているような感じだ。


「触れるな、勇者!」

 冷えた溶岩のとろけるような不思議な造形に心引かれて触ろうとした勇者は、賢者が鋭い声を上げたのを聞いてさっと手を引っ込めた。


「えっ……なんか、毒とかあるのか?」

 毒物のいくつかは鉱物から作られると知っていた勇者がおそるおそる尋ねると、賢者は首を振った。

「火の神域からの恵みである溶岩流や火山弾へ、みだりに触れてはならぬ。唯一祈りの儀式なしで扱うことを許されているのは火山灰だが、それすらも聖灰と呼ばれ、街の復興のために除去されたそれは丁重に取り扱われる。ウルに住まうドワーフ達にとっては、ゴドナからもたらされる全てが神聖なものなのだ」

「へえ……」


「火山弾って何?」

 吟遊詩人が口を挟むと、それにはハイロが道の向こうに落ちている大きな岩を手のひらで指しながら答えた。

「ああいった岩のことです。吹き出した溶岩が空中で冷やされ固まって、噴火の勢いのまま飛んできます。独特の形状をしていますから、この機会に観察しておくといいですよ」


「うん、見てみる」

 フェアリがふわっと翅を広げながら頷くと、気の審問官は出来の良い弟を褒めるような顔で微笑んだ。意外そうな顔をした吟遊詩人が、なぜか勇者の方をちらりと見てからくすぐったそうに笑い、ふわりと舞い上がると肩に飛びついてくる。


「何だ、どうした」

「ねえ、勇者は僕の兄さんでしょ?」

 耳元で楽しげに囁かれ、また何か企んでいるのだろうかと考えながら頷く。

「……おう。そうだけど」

「勇者と結婚したらさ、ハイロちゃんが僕の姉さんになるんだなと思ったら、なんか嬉しくなっちゃった」

「吟遊詩人、お前」


 日に日に妖精らしくなっている彼の遊びのひとつだとわかっているのに、顔を赤らめてしまうのを抑えられない。これではまだハイロをちっとも諦めていないのがバレてしまうと焦っていると、案の定彼女は困った顔でマントの端をいじりながら俯いていた。


「あ、もじもじしてるよ。可愛いね!」

「お前なあ……確かに可愛い、けどさ。ハイロを困らせるようなこと言うなよ」

「ふふっ! ハイロちゃん、勇者が可愛いってよ!」

「──フィルル、少しこちらにいらっしゃい」

「あっ……」


 調子に乗り始めた妖精を勇者の肩から引き剥がした神官が、そのまま彼を子供のように抱えて連れていった。妖精の体は軽く、すぐに地面に降ろされたものの、あいつも随分体力がついたなあと感心して頷く。山道でもあまり転ばなくなったし、もう旅に出た頃の賢者くらいなら上回ったのではないだろうか。


「あっ」

 そう思っている間に、神官が小さな声を上げながら石につまずいてべしゃりと転び──そうになり、さっと滑り込んだ魔法使いに抱きとめられた。いよいよゴドナ火山の麓まで来ており、地面がごろごろと岩っぽいので頭をぶつけると危ないと思ったらしい。


「ありがとうございます、魔法使い」

「……ん。ここから岩の上を歩くから、足元をよく見て。僕と手を繋ぐ?」

「いえ、まずは一人で頑張ってみます」

「ファーロも、針葉樹と手を繋ぐといいよ」

「いや、ハイロは大丈夫だろ」

 しなやかな身のこなしを見ながらそう言ったが、言ってしまってから、手を繋ぐ機会を自分からふいにしたことに気づいて愕然とした。


「やっぱり……繋ぐか?」

 小さい声でそう言ってみたが、ハイロは差し出した勇者の手を一瞬じっと見て、そっと首を振った。

「いえ……私も審問官ですから。岩山を登るくらいは、全然」

「だよな……」


 気まずさにもじもじとなりながら、神官の指示に従って神域へ近づくための祈りを捧げる。火山にはほとんど草木が生えておらず、山肌の大半が冷えて固まった溶岩で覆われているので、それを踏んで歩くことをお許しください、という内容だった。


「本当はね、特に火の愛し子の貴方の場合、溶岩の上で跳ね回って遊んだところで神はお喜びになるばかりなのですが……鍛冶妖精さん達を悲しませるのは良くありませんからね」

「ああ」

 頷きながら、早速岩の上で滑りかけた神官の腕を掴んで支える。本当は肩に担いだ方がずっと速く進めるのだが、こいつにはもう少し足場の悪い場所を歩く練習をさせた方が良いだろう。


「ロサラス。体重移動の前に一度足の筋力で押して、滑らないかどうか確かめるのですよ」

 勇者より賢く、賢者より身体能力の高いハイロが丁寧に説明してやっている。

「足を置く場所も気をつけねばなりません。一歩先を予測するのです。その足場は今の貴方ではなく、一歩先へと進んだ貴方を支えられる形状をしていますか? そういう風に考えながら進みます。溶岩流は表面が滑らかですから、場所によっては手を使って体を支えることもあります。故に心持ち前傾姿勢で進み、決して後ろに転ばないように、前に転んでも手をつけるようにしていてください。前に進むことよりも、頭を打たないよう危機管理をすることの方が大切です。進み方がわからない場所は……私が前を歩きますので、それを真似てください。ルーウェンだけは絶対に参考にしないように」


 そこまで考えなきゃ歩けないか? と思ったが、恐ろしく長くて理屈っぽいハイロの説明は神官に合っていたようだった。今にもずるっと滑って後ろにひっくり返りそうだった姿勢が多少ましになり、時折ハイロの歩き方をじっと観察しながら、それほど危なげなく進み始めた。


「にしても、なんでこんな何もない岩山に住んでるんだろうな、そいつ」

 少しずつ岩場に慣れてきて、そろそろ油断して転ぶ頃合いの神官を真後ろで見張りながら、勇者は仲間達に疑問を投げかけた。


「わかんないけど、絶対やばい理由だからそっとしとこうよ」

 吟遊詩人が翅を固く畳んで呟き、魔法使いが耳をべったり寝かせた。魔竜やオークにも勇敢に立ち向かった彼らが単なる変人に怯えている意味がわからず、首を捻る。


 とその時、ハイロが坂道の上の方を指して勇者を振り返った。

「あれが鍛冶師の工房です、シダル。私はここで失礼します」

「えっ……一緒に来ないのか?」

「あくまでも私は……物語の脇役ですから。聖剣を鍛え直すという重要な局面に、定められた剣伴以外が深入りしない方が良いでしょう」


 俺の世界じゃお前が主役だ、みたいな言葉が口から滑り出そうになったが、力なく首を振った魔法使いが「聖剣鍛冶は……変な人みたいだから、ファーロは隠れておいで」と言ったので、確かになと思って同意する。すると彼女は神官に「降りるときはシダルの後ろを歩くのですよ」と助言してからゆらりと擬態で姿を消した。もう立ち去るときに消える必要はないと思うのだが、癖なのだろうか。愛おしい気配が急斜面を軽やかに駆け下りていくのを感じながら、家と洞窟が一体化したような奇妙な建物までの最後の坂道を上り、岩に刺さった剣の絵が黒い塗料で殴り描かれている戸を叩いた。


 少しするとギイと音を立てて、戸が開いた。中から一人のドワーフが顔を出す。髭を編んでいないので男だろうか。すすまみれの頑丈な作業着を着て、手には金槌を握っていた。

「何だ、客か? 今忙しいんだ。見るなら勝手に──」


 小さな焦げ茶色の目が限界まで見開かれて、ハイロ曰くガーズというらしい鍛冶妖精が勇者の顔を見上げた。口がぽかんと空いて、次第にぶるぶると震えだす。

「勇者……! お前、勇者だろう!?」

 大声と同時に唾が飛んだので身を引いて避けた。目が血走っている。


「……うん」

 凄い形相に気圧されて、勇者は思わず魔法使いのように小さな声で頷いた。すると叫ぶもじゃもじゃはがっしりと勇者の手首を掴んで、さらに大きな声で笑いながらがなりたてた。

「あん時よりだいぶでかくなってるが、俺が見間違えるはずねえ……遂に、ついに会えた! ああ、ああっ! 神様、遂に……聖剣を鍛える時がきたんだな!!」


「……どうしよう賢者、こいつ怖い」

 魔法使いの真似をして賢者の袖を握りながら囁いてみると、腕を引っ込めながら嫌そうな目でちらりと見下ろされた。彼の反対の腕には怯えきったエルフがひっついているが、そちらはそのまま好きにさせている。友を見捨てて恋人だけ大事にするとは、なんて奴だ。


「……俺とどこかで会ったことあるのか?」

 意味深な言葉が引っ掛かって恐る恐る問うと、ドワーフは首を横に振った。

「いんや。だがもう十年も前に夢で見た……目の色も顔の模様も一緒だしな。この時のために、ずっと腕を磨いてきたんだ」


 入れ入れと急かされるままに、身をかがめて小さな戸をくぐる。中はとにかくごちゃごちゃの埃まみれで、勇者の後ろに続いて入った神官が困った顔でハンカチを口元に当てた。吟遊詩人と手を繋ぎながら入ってきた魔法使いが賢者の顔をじっと見て、ぱちりと瞬きをすると工房中の埃が消え去った。するとドワーフは周囲を見回して眉を寄せ、困惑した様子で「ああ……すまんな」と言う。ドワーフらしくなく、謝っているのか礼を言っているのかよくわからない態度だ。


 手前の方は一応店なのか、様々な形の剣が土の床に突き刺さり、何かわからない金具のようなものが木箱から溢れ出して床に転がっている。奥の方は──にわかには信じがたいことだが──どうやら居住スペースと鍛冶工房が入り乱れているようで、端の方に赤々と燃える炉があったかと思えば、反対側の端には寝台のようなものもある。


「適当に座ってくれ。茶を淹れる」

 少しだけ平静を取り戻したらしいドワーフがそう言って、床に散らばっているがらくたの中から杯のようなものをいくつか引っ張り出した。魔法使いが浄化した後で良かったと思いながらそれを見守っていると、何やら梨のように真ん中がくびれている形をした金属の容器に大樽から水を注ぎ、大きなやっとこでそれを掴むと、温めるつもりなのか炉の方へ向かう。


「……少々形状が独特だが、蒸留器だ」

 きょとんとしている勇者に賢者がそう囁くと、横から聞いていた神官が「ガーズ殿」と言いながら立ち上がった。


「あん?」

「私は水持ちですから、飲用可能な真水を提供できます」

「おお、そりゃありがてえ。ならその辺の薬缶に入れてくれねえか。ああ、人間だから昼間は茶かと思ったが、それでいいか? 酒もあるが」

「お茶をお願いします」

「ん」


 ガーズは神官が念入りに浄化して水を注いだ薬缶を受け取ろうと手を伸ばし、その手が細かく震えていることに気づいて、一度大きく深呼吸してから手に取った。そして取手まで全て鉄でできているそれをやっとこの先に引っ掛け、明らかに鉄を真っ赤に熱せられる温度で燃えている炉の中に一瞬突っ込み、そしてすぐに取り出す。じゅうじゅうぼこぼこと音を立てるそれを見て、賢者がかなり嫌そうな顔をした。


 それからガーズは、湯気でぐらぐら動いている薬缶の蓋を分厚い革手袋の手で外すと、家の壁を突き破って生えている木の枝から葉を何枚かむしって、湯の中にそれをぶち込んだ。彼は他のドワーフに比べて訛りもそれほどきつくないし、酒ではなく茶を出そうと言ったあたり人間に理解のある奴なのかと思ったが、少なくとも茶の何たるかは理解していないらしい。「絶対に飲みたくない」という顔をしている賢者を神官がこっそり小突いて「失礼ですよ」と囁いている。


 そうこうしている間に、床に座った仲間達の前へほんのり葉っぱの匂いがする湯が並べられた。そして、空になった薬缶とやっとこをその辺にガチャンと放ったガーズは「まあ、茶でも飲みながらだな、ゆっくり……」と前置きして、少しもゆっくりしていない興奮しきった眼差しを勇者の背の剣帯に向けた。


「うん。まずは聖剣を眺めつつよ、作戦会議と行こうじゃねえか。無茶してぶっ壊れたんだろ? 俺が鍛え直してやる。今までよりもお前ぴったりにだ、勇者」





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