五 鼻血と作戦会議



 鞘から抜いた聖剣と取り出したオリハルコンの結晶を見たガーズが、みるみる顔を真っ赤にすると「これが、これが聖剣、オリハルコン……」と喘ぐように言って、なんと鼻血を噴きながら白目を剥いてひっくり返ったので、勇者の繊細な仲間達はすっかり怯えきってしまった。ずっと震えながら耳を下げていたエルフがついに泣き出して、隣に座った賢者がマントの中に入れてやっている。吟遊詩人は笑い出すかと思ったが、顔を真っ白にして勇者の腕に縋りついてきた。ただ一人神官だけが、冷静に気絶したドワーフの鼻に手をかざして止血浄化し、額に触れて目覚めさせてやっている。


「どうです、少し落ち着きましたか」

「ああ……頭に血が上ってたのが嘘みてえだな。なんかしたか?」

「水の祝福です。鎮静作用があります」

「そうか、栗毛の姉ちゃんは癒し手か。勇者の仲間だもんな」


 神官に抱き起こされたガーズは感心したように頷き、勇者に「そいつ男だぞ」と言われて驚いた様子を見せた。

「へえ、几帳面そうなのに男なのか。すまんな、正直人間は毛の色以外見分けがつかん」

「問題ありませんよ。こうしてお話をする分には、男女どちらでも大差ありませんから」

「はは、違いねえや。兄ちゃん、なかなか器がでけえな」

「おや、恐れ入ります」

 変人だがドワーフにしては少し内向的な顔をしたガーズと、大人しいわりに神経の図太い神官は、こうして話しているのを見る限り思ったよりも相性が良さそうだった。


「……毛の色以外で見分けがつかないのに、よくシダルが勇者だってわかったね」

 吟遊詩人が小さな声で話しかけると、ガーズはニヤッとして首を振った。

「こんな妖精みてえに鮮やかな目の色した人間も、顔にこんな模様がある人間も見たことねえからな。流石に俺でもわかる」


「いや、この紋様は顔料で描いてるんだが……」

 勇者が言い淀むと、ドワーフは一瞬目をまん丸にしてからげらげら笑い出した。

「マジかよ! 蛇の柄みたいな感じかと思ってたぜ! 危ねえ危ねえ」


「蛇の柄……」

 吟遊詩人が小声で繰り返し、段々と笑顔になって肩を震わせ始めた。揺れに合わせて、翅から光の粉がキラキラと落ちる。薄暗い鍛冶工房の中で見るそれがあまりに綺麗だったので思わず手を伸ばして触れると、ほっとするようなあたたかい魔力の感触がして、心が浮き立つように楽しくなった。


 フェアリが楽しそうにしていると、魔法のように場が華やいだ。魔法使いが涙を拭いながら賢者のマントから出てきて、そっと蜂蜜色の三つ編みを撫でる。そして皆の心が持ち直したところで、ガーズがおそるおそる、鞘から出して置かれた聖剣に手を伸ばした。触れる前に一度額に手を触れて、小さく「聖なるつるぎに敬意を」と祈る。彼の並々ならぬ聖剣への執着に「魔力を抜かれないように」と助言しようと思っていた勇者は、その姿を見て彼なら大丈夫だろうと口を閉じた。


「なんて……美しさだ。姿も華麗だが、このオリハルコンの、寒気がするような輝き……だがやっぱり、お前の体には合ってねえな。もうちっと柄は短くていい。両手剣並みの長さだが……片手で振るうための剣。そうだな?」

「あ、ああ」


 彼が急に職人の顔になったことと、片手で使っているのを言い当てられたことに驚いていると、勇者の顔を見たガーズは短く「右手にしか剣だこがねえ」と言った。剣に注ぐ視線は、愛嬌のある顔立ちに反して猛禽のように鋭い。彼がただの聖剣狂いではなく、人生の全てを鍛冶にかけている情熱的な鍛冶師なのだと、その目が語っていた。


「んで、この結晶を足して、元の長さに打ち直して欲しいと。しかしな……結晶全部使ってこの太さを保つとなると、鞘よりもちょいと長くなるぜ?」

 ガーズが片方の眉を上げて、勇者をちらっと見る。

「俺が思うにな……こいつはシダルのために鍛えられたもんじゃねえ、当時の聖剣鍛冶が時の勇者にあつらえたもんだ。元々両手で握るための剣だが、鞘から抜く動作を見る限り、お前はこれを片手で軽々と扱ってる。たぶん、もう少し重くてもいいくらいなんだ。それを見越して、神はこの結晶を与えられたと、そう思う」


「そう……なのか」

 何かもっと気の利いた言葉を返したかったが、呆然としてしまってそれしか言うことがなかった。


「うん。そんなにきょとんとしてるってこたあ、元々剣士じゃねえな? ドワーフの鍛冶ってのはな、使い手それぞれに完璧に合わせた武器を誂えるもんなのよ。手の形なんかはもちろん、熟練の騎士でもわからねえような絶妙な癖──例えば重心の動かし方とか、視線の走らせ方とか、剣筋に込める思いとか、そういうとこまで見越した最高の物を作る。お前が背負ってるその弓も、自分の体の一部みたいに馴染むだろ? そういう物作りをするから、俺らは『鍛冶妖精』って呼ばれてんだ。で、俺はそのこだわりがドワーフの中で誰より強い」

 そして彼は密談をするように身を乗り出して、ニヤリとしながら勇者に言った。

「それじゃあまず、お前の話から聞かせてもらおうか。今までどんな風に生きてきて、どんな敵とどうやって戦ってきた? 敵を倒す時、どんな気持ちになる? 身長は? 体重は? 腕っ節はどんくらいだ? 勇者ってこたあ、魔力は渦持ちか? 聞かせてくれよ、シダル」


 勇者がところどころ賢者に助けてもらいながらおおよそ自分のことを語り終えた後は、巻尺でありとあらゆる箇所を測られた。身長、腕の長さ、太さ、手の平の大きさに、拳を握った時の大きさ。指については、それぞれの関節までの長さや爪の大きさまで細かく記録を取った。足の大きさなんかは剣と関係ないように思えたが、ガーズによると重さのバランスを決めるために必要らしい。


「とりあえずはこんなもんだな。後は鉄で試作してから、細かく調整してく」

 ガーズはそう言うと、今度は顎で工房の入口の方を指した。髭がもさっと揺れる。

「そこらへんによ、聖剣の試作模型がたくさん刺さってんだ。色々振ってみて、重さと長さ、握り具合、丁度いいと思うのをそれぞれ選べ。あとは柄の意匠で気に入ったやつがあれば、それも教えろ」

「わかった」


 この家は半分くらい洞窟の天井に繋がっているので、ドワーフの建物にしてはかなり天井が高く、軽く素振りする分には問題ない広さだった。剣が山ほど床に突き刺さっている場所に近づいて、試しに何本か振ってみる。すると眉を寄せて集中した顔をしたガーズが「これと、あと握りはこっちを試してみろ」と何本か剣を選んでくれる。そちらに持ち替えると、何が違うのか驚くほど振りやすくなって目を丸くする。


「もっと勢いよく振ってみろ。魔獣を真っ二つにする時と同じ感じにだ」

 ガーズが言うので「家が吹き飛ぶぞ」と返せば、彼はヒュウと口笛を吹いて腕を組んだまま扉の方へ顎を振った。

「なら外に出ろ。断つ動作だけじゃなく、突きもやってみるんだ」

「おう」


 外に出て、全身に内炎魔法を巡らせ、目の前に魔竜がいるのを想像しながら思い切り剣を振り抜いた。今までに握ったどんな剣よりも扱いやすく、ビュンと風が巻き起こって、遠くの岩に亀裂が入るのが見えた。


「すげえ……」


「すげえのはお前だよ。内炎体質にしても効率が尋常じゃねえな。普通はそこまで強く振ると筋肉がついてけなくなって痛めたりするもんだが、たぶんそういう体の構造を守る方にも魔法を使ってるだろ。どんな制御訓練したらそんなになるんだ?」

「ええと……」

 答えに困って首を捻っていると、呆れ顔で勇者の素振りを見ていた賢者が口を挟んだ。

「内炎体質は通常魔力の流れを弱めることで過剰な筋力を抑えるものだが、こやつの周囲には魔力制御に明るい人間がいなかった。そのため、同時に別方向の力を使うことで相殺する技術を独自に身につけている。こやつの気質からして、相対する人間を傷つけぬようにとの努力が、己の身体を守る切っ掛けになったのだろう。いずれにせよ、十数年に渡る凄まじい努力の賜物だ」

「なるほどな……戦うよりも守りたい奴が天から内炎を授かるのは珍しいが、そういう恩恵もあるのか」


「……ええと」

 不意打ちで賢者に褒められてしまって照れていると、神官が「強さと優しさを両方兼ね備えているからこそ、彼が選ばれたのだと思いますし……そんな彼だからこそ、我々もシダルを唯一無二の勇者と認めてついてゆくのです」と追い打ちをかけてきた。

「愛されてんな、お前」

「……うん」

 勇者の生い立ちをおおよそ聞いているガーズがからかうように笑い、勇者はそれに嬉しさを噛み締めながら頷いた。シダルだって、彼らがいるからこそ勇者として前を向いていられるのだ。本当に、無二の友に恵まれた。


 それからもうひとしきり剣を振り回すと、工房の中に戻って本格的な計画を立て始めた。

「柄はよ、鉄に見えんだろ? だがこれはな、俺の調べたところによると『オリカシデロン』ってんだ。鉄とオリハルコンの合金でよ、特別魔力が通りやすい性質はそのまま、ずっと粘り強くて頑丈だ。強い光を当てると、ちょっとだけ光を通すぜ」


 賢者も知らなかった知識らしく、手帳取り出しながら身を乗り出して「オリカシデロンの綴りは? 響きからして、古代フォーリア語か?」と尋ねている。

「いんや、オリハルコンの響きに合わせて名付けられた、二代前の聖剣鍛冶の造語だ。ドワーフの技はだいたい口伝だが、これは街の書庫に化石みてえな文献が残ってた。聖剣鍛冶は夢のお告げで選ばれるから、師から弟子に引き継がれるもんじゃねえ。だから俺もここ十年で文字を覚えて、慣れねえが自分の研究を書き残してんだ」


 ぱあっと表情を明るくした賢者が、その資料を見せてもらえないかと頼み込み始めた。ガーズがちょっと嬉しそうに鼻の下をこすりながら「いいぜ。写本できるなら、賢者様の塔に一冊やるよ」と言い、ばさばさと紙の束を渡す。すると神官がいそいそと立ち上がって「写本なら私が……あの、趣味なんです。製本もできます」と賢者の横から資料を覗き込んだ。吟遊詩人が「写本が、趣味……? え、何が楽しいの?」と信じられないような顔で目をくるくる動かしている。


「で、そのオリカ、なんとかがどうしたんだ?」

 勇者が話を戻すと、ガーズが床に座り直しながら頷いた。

「おう。つまり素材の性質は把握してっから、俺ならもっとお前にふさわしく打ち直せるってこった。んでよ、これは多分だが、焼き入れの仕方でもう少し切れ味と頑丈さの釣り合いが取れるようにできるな。今のままじゃ、お前の戦い方と刃の粘り気が合ってねえんだ。剣の振りは精確せいかくだが、肉を裂くだけじゃなくて骨ごと首を飛ばしたり、鉄の武器と打ち合ったりするだろ? それじゃあどんなに腕が良くてもすぐに壊れっちまう。ほっときゃ直るとは言っても、直ればいいってのは三流の考えだ」


「そんなことできるのか」

 勇者が尋ねると、聖剣鍛冶は自信満々に笑った。

「やってみなきゃわかんねえがよ。そこは俺の勘と腕を信じてくれや」

「おう、信じる」

 頷くと、ガーズは顔中くしゃくしゃにして嬉しそうに笑った。そしていそいそと立ち上がって、勇者を炉の方に手招きする。


「何だ?」

「これから俺は大きさとか重さを調整するための試作品を作るけどよ。その前に、お前の炎とやらを確認しときたい。聖剣は、神域の火口からいただいてきた聖炎と、お前の炎を混ぜた火で鍛えんだ。そうすっと、今までよりずっと火の愛し子のお前の魔力に馴染む剣になる。俺の魔力で火をつけた炉だと、俺の魔力と相性のいい剣ができるからな。これは間違いねえ」


「わかった……」

 ガーズの指示通りに、炉の前に手をかざして火を灯す。もっと大きくとか小さくとか渦を足せとか引っこめろとか、言われるままに調整していると、彼はううむと困った様子で唸り声を上げた。

「ちょいと……渦を混ぜ込むと特に、温度が低いな。勢いが全く足らねえ。シダル、俺が試作を作ってる間に、お前は神域で修行してこい」


「神域で、修行」

 炎の魔法については修行など全くしたことがなく、その方法に見当がつかずに、勇者はぽかんとしたままガーズの言葉を復唱した。


「や、俺も詳しくはわからねえけどよ。お前には助言してくれる魔法使いも賢者もいるだろ? 俺だって、この霊峰にいるだけで力がもらえんだ。火口からこう霊気みたいなもんが降ってきてよ、どんどん創作意欲が湧いてくる。だから、なんかこう……瞑想とかしてりゃ、強くなんだろ」

「瞑想……うん、やってみるよ」

 かなりおおざっぱな理屈に少し戸惑ったが、しかし「魔法の修行のために神域で瞑想」という響きは大変かっこいいと思ったので、勇者はちょっとわくわくしながらガーズの提案に頷いたのだった。





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