六 砂漠の旅



 火を吹くほど辛い肉は勇者しか食べられないので、祭りに立ち寄る前に少し森で狩りをしてから帰路に着いた。


 夕暮れ時の街外れは、少しだけ荒廃したような空気が漂っていた。端の方に寄せていくつも積まれた砂の山はよく見ると崩れた家の残骸かもしれず、真っ赤に焼けた空は真っ黒なカラスが不気味に枯れた声で鳴きながら飛び回って、こちらの抱えている食べ物を狙っているのか──


「うわ! お前、それ」


 振り返った魔法使いの肩や頭の上にカラスが山ほどとまっているのを見て、勇者は顔を引きつらせて仰け反った。


「この鳥は知っているよ……大きな虫を食べていた黒い鳥の、赤ちゃんだね」

「こっちが普通のカラスだよ!」


 吟遊詩人がぴしゃりと指摘すると、妖精は「赤ちゃんではないの?」とふんわり首を傾げた。

「よしよし……かわいいね、からす」

 カラスは魔法使いが撫でる手に嘴をこすりつけ、小さい声で「ギュッ!」と鳴くと自慢げにパタパタと羽ばたいて見せた。村では見なかったのでよくは知らないが、なかなか賢い鳥なのかもしれない。


「確かに……可愛いかもしれません」

 神官がふらふらと手を伸ばすと、カラスはちょっと首を傾げてその手をついばんだ。「痛っ!」と声を上げた彼が傷ついた手を抱えてしゅんとなり、そして肩を落として家の方を見るや否やパッと笑顔になった。

「勇者、勇者。今日もあの猫ちゃんが家にいるようです。今、入ってゆきました」


「おう……良かったな」

 勇者は少々呆れつつ荷物は無事だろうかと考えながら入り口の布を捲り──そして立ち止まった。背中から仲間達が顔を出して屋内を覗き込み、それぞれ声を上げる。


「うわ……」

「わぁ……!」

 前者が吟遊詩人、後者が神官だ。三十匹くらいだろうか、家の中にはなぜか街じゅうの野良猫が集まっているものと思われた。ある猫は荷物から毛布を引っ張り出し、ある猫は鞄の中に入り込みと、思い思いの場所で好きなように寛いでいる。


 気持ち悪そうに一歩下がった賢者を見て、魔法使いがさっと手を振って室内を猫ごと浄化した。彼の肩に乗ったままだったカラスが魔法の感触に驚いてバタバタ飛び回り、それに猫が驚いて大騒ぎになる。しかし遠い目をした賢者が一言「静まりなさい」と不思議な響きの声で告げると、動物達は一瞬で落ち着いて大人しく床に座った。


「で、なんで勇者まで膝抱えて床に座り込んでるわけ?」

「……静かにしろよ」

「うん、だめだこりゃ」


 仲間達は通り過ぎざまに勇者の頭をポンポンと叩きながら部屋の中に散らばり、夕食の支度をしたり猫に荒らされた荷物を整理し直したりし始めた。魔法使いが先程勇者が狩った名前も知らないでかい鳥の肉を茹でて細かく裂くと、猫達が仲良く集まってそれを食べた。カラス達もそれをじっと見つめていたが、どうやら彼らの間で食べる順番が決まっているらしく、猫が食べ終わるのを待っているようにじっと大人しくしている。


「からすはこっちだよ」

 魔法使いがカラス達にも別の皿で肉を与え、黒い鳥がぴょんぴょんと床を歩いてそこに群がった。家の真ん中には焚き火ができるように少し地面を掘り下げてある場所があって、妖精がそこでスープを作り始めると、食事を終えた猫達が次々に膝に登ったり寄り添って座ったりしてうたた寝を始める。


「ルーフルー」

 そしてその時、今度は膝にも肩にも山ほど猫を乗せた魔法使いがいつになく真剣な声を出したので、荷物の中身を確認していた賢者がさっと振り返った。


「どうした」

「僕は猫を集めるし……お膝にも乗せられる」

「そうか」

 賢者が心底どうでも良さそうな顔をして荷物の方に視線を戻すと、魔法使いは途端に耳を倒して萎れてしまった。


「あらら、もしかしてエルフって、猫に好かれるとモテたりするのかな……」

「おい、静かにしろ……今は騒いだらだめだ」

「勇者……まだ賢者に洗脳されてるの?」


 天真爛漫な少年は勇者の助言を聞かずに小声でおしゃべりを続けたが、耳の良い魔法使いがこちらをちらりと見て小さく頷いたのに気づくと苦笑いになった。

「自分はこんなにいい男だぞ、みたいな感じだったんだね……あ、男といえば魔法使い。ねえ……エルフの君には失礼な質問だってわかってるんだけどさ、嫌だったら答えなくていいんだけど……君が男の子なのか女の子なのか、教えてくれない? ずっと気になって仕方ないんだよね」


「おい吟遊詩人、声が大きいぞ──いてっ!」

 荷物の確認を終えた賢者にスパンと頭をはたかれると、急に頭がスッキリして目を瞬いた。

「あれ? もう静かにしなくて……いいのか」


「あまり考えたことが、なかったね」

 魔法使いが首を傾げる。何の話かと思ったが、魔法使いの性別の話だった。

「えっ、もしかして自分でもわかってないの?」

 吟遊詩人が目を剥いた。神官が「おやおや」と言いながら笑っている。


「どうだろう……ルーフルーは、どちらが好き?」

「私に尋ねるな」

 賢者がそっぽを向いて終えたはずの荷物の整理を再開する。吟遊詩人がますます困惑した顔になって、恐れるように訊いた。


「ええと、じゃあさ……賢者が男の人だっていうのは知ってる?」

 妖精が頷き、皆がなんとなくほっとした顔になる。


「知っているよ。人間の男というのは声を低く体を強くすることで、愛した人を好きにさせるのでしょう? 針葉樹は強くて、賢者は声が低い……神官と吟遊詩人は、よくわからないけれど」

「えっ……嘘でしょ」

「おやまあ……」

「魔法使い、お前……!」


 吟遊詩人が見るからにショックを受けた顔になり、神官が意外そうに目を見開きながら微笑み、勇者が床に転がって大爆笑した。あんまり笑ったので腹を立てた吟遊詩人に腹を踏みつけられ、それが面白くて更に笑う。なぜ笑っているのかわからないらしい魔法使いがきょとんとして、吟遊詩人は涙目になると部屋の隅に行ってしまった。流石に悪かったと思ってお年頃の少年に謝罪しに行く前に、不思議そうにしているエルフへそっと耳打ちする。


「……ほんとは自分がどっちかくらいわかってるんだろ? 賢者には教えてやったのか?」


 すると魔法使いはやわらかく目を細めて「秘密」と囁いた。とても人ならざるものらしい捕食者めいた笑みで、勇者はこの妖精の幼気な振る舞いがどこまで本性でどこまで演技なのか、ぐるぐると考える羽目に陥ったのだった。





 それから猫と鳥だらけの家で丸一日過ごし、次の日の夕暮れに街を出て砂漠へと旅立った。アラバを先頭に街の人間が総出で見送ってくれて勇者は素直に嬉しかったのだが、仲間達は疲れた顔を隠しているような感じで別れの挨拶を交わしていた。


「ほんとに、星が綺麗だな……」

 満点の星空というのは、こういうのを言うのだろう。夜空にこんなにたくさんの星が見えたのは初めてで、勇者以外の皆も言葉を失っているようだ。


「山の上の星も綺麗だったけどさ……こっちの方がずっと空が広いから、迫力が違うな。地平線まで全部星で埋まってる……」

 言葉が自然と零れるままにそう言うと、ファールがグルグルと優しく唸って返事をした。


 実は夜行性らしい砂竜のファールは、綺麗な菫色の鞍を付けてもらってご機嫌だ。荷物を乗せるのは少しむずがったが、鞍に繋げる大きな竜用の鞄が触り心地の良い上質な革で作られているのに気づくと、大人しく背負ってくれた。


 砂漠の旅は勇者の想像と違い、涼しい夜に移動して昼間の暑い時間帯は天幕で休むということだったが、しかし砂漠の夜は涼しいどころか真冬の雪山を上回るほど寒いので、勇者以外の皆はマントをしっかり着込んで一番温かい手袋を嵌めていた。分厚い毛皮を裏表逆に使っているので暖かく、ふわふわな感触を気に入っている魔法使いが幸せそうに目を細めている。


 砂竜用の鞍は二人乗りなので、ファールには二人ずつ交代で乗って、残りの三人は徒歩で進んだ。海から上がった時に少し散歩した海岸と似た感じで、細かい砂に足を取られて歩きにくい。硬い土の地面を歩く時の何倍も疲れやすいので、いつでもどこでもへばっている神官でなくてもこまめに休む必要があった。竜がいなければきっと砂漠を渡り切るまでに倍の時間がかかっていただろう。


 向こうの森まで一週間ほどの距離なので、砂地の生き物であるファールとも一週間の付き合いだ。普通は馬と同じように着いた先で別の商人に売るらしいが、向かう先に人里がないので野生に返すことになる。そんな捨てるような真似をして大丈夫なのかと不安になったが、そもそも砂竜は群れる生き物ではないらしく、その辺りに放したところで特に問題はないらしい。


「砂嵐とか流砂とかさ、大丈夫なのかな……」

 竜に乗った吟遊詩人が不安そうに白い背中を撫でながら言った。喜んだファールがぶわっと襟のようなひらひらを広げ、少年が慌てて仰け反ってそれを躱す。


「砂嵐に関してはある程度天候を予測した上で行程を組んであるが、万が一の場合も天幕ごと盾に籠っていれば問題ない。流砂は基本的に砂漠に多い現象ではなく、水源を察知できる神官がいれば足を取られる危険はないな」

 賢者が星を眺めながら半分上の空で答えると、吟遊詩人が訝しげな顔になった。


「水源? いや、そういうべちゃべちゃのじゃなくて……なんか、地面に開いた大穴に砂ごと飲み込まれていくみたいなさ」

「それは、大型の蟻地獄だ……」

 虫嫌いの賢者が心底嫌そうな顔で言う。


「それは大丈夫なの?」

「砂漠蜉蝣かげろうの幼虫は砂竜の好物だ」

「そっか……出てきたら食べてね、ファール」

 吟遊詩人が声をかけると、ファールがグルルと鳴いた。竜売りに懐いていなかった関係でガズゥほど言葉は理解しておらず、おまけにいくつか覚えている単語もマタン語だけだが、話しかければなんとなくわかったような顔で返事をするのだ。


 休み休み歩き、途中でファールが砂の上を歩いていた蛇を捕まえようと走り出して、放り出された神官を受け止めようとした勇者が転んで下敷きになり、そして夜が明けた。昼間はまた真夏のように暑くなるそうなので、気温が上がり始める前に野営の準備をする。賢者が熱を遮断する魔法陣を描いた天幕は内部を心地良い温度に保ち、澄んだ水がいくらでも神官の手から湧き出して、たっぷりのスープが全員に行き渡る。おそらく普通の旅人に比べれば、ものすごく快適な砂漠の旅だった。


「ファールは外で昼寝で大丈夫だよな──うわお前! ちょっと、待てって! おい、ファール!」


 昼寝の時間が嬉しくてたまらないらしいファールが凄まじい勢いで砂を掘り、最初にこの白竜を見つけた時のように首まで穴に埋まって幸せそうに目を閉じた。掘り出された砂が大量に宙を舞って、ついでに勇者も首まで砂に埋まった。


「おい……出られないぞ。服の中まで砂まみれだし、どうしてくれるんだよファール……魔法使い! 魔法使い助けてくれ!」


 竜の躾に関してはやはり少々問題があったが、おそらく普通の旅人に比べれば、まあそれなりに快適な旅だった。





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