七 真夜中の蜃気楼



 昼夜逆転した生活と昼と夜の寒暖差で神官がひどい風邪を引き、なんと砂地だと弱ってしまうらしい花の妖精までがふらふらになって寝込んだので、一行はもうすぐ砂漠を抜けるというところで丸二日の休養を取ることにした。否、原因を考えると本当はさっさと森に行ってしまった方が良いのかもしれないが、流石に二人も寝込んでいると移動は難しく、せめてどちからだけでも竜の上で座っていられるくらいには回復させる必要があったのだ。


 天幕に引きこもって、中の温度を魔術で一定に保つ。薬を飲むと熱も下がったようで、神官の方は勇者の作ったスープが喉を通るようになってきた。萎れたようにくたりと横たわっていた魔法使いも、食後は少し上半身を起こして隣で寝ている神官の顎に手を伸ばし、勇者も初めて見る茶色い無精髭をそっと細い指先で撫でている。


「これは……ひげだね?」

「……すみません、お見苦しいところを」

「初めて触った」


 魔法使いがなんだか嬉しそうにしているのを見て、神官が困ったような苦笑になる。


「……私も、こんなに触られたのは初めてですよ」

「あまり柔らかくないね……ちくちくしている。どんぐりではなくて、栗の精だったのかな」

「栗……ええと、短いと少しちくちくするかもしれません。エルフのは柔らかいのですか?」

「エルフには生えないよ」

「おやまあ。妖精さんだからですか?」

「そうだね」


 このくらい間抜けな会話をするくらいには、二人とも回復したようだった。魔法使いは風邪ではなかったが、天幕の中で湯を沸かし続けて空気をしっとりさせていると少し持ち直したらしい。しかし脱水でもなんでもなく花畑がない砂漠の環境だけで弱ってしまうのならば、草も生えない北の果てでも同じようになってしまう可能性があると、賢者が頭を抱えていた。


 それから交代で長めの睡眠をとった。勇者が目を覚ました時にはもう空が真っ赤に染まっていたので、ファールを構いに天幕を出る。構われたくて褒められたい竜は放っておくと入口から大きな頭を突っ込んで天幕を破壊するので、夜の間はできるだけ遊んでやることにしていた。が、昨夜と同じように砂に埋まっているファールを探して、目に入った彼女の様子にぽかんと口を開ける。


「なあ……竜が、二頭いるんだけど」

「はあ? ……え、ほんとだ」

 呆然とした勇者の声に吟遊詩人が天幕から這い出てきて、驚いた声を上げると片手で目隠しをずり下げた。緑の目がまん丸になっている。


 そこでは、ファールより二回りほど大きい砂色の竜がゆったりと砂の上に横たわり、先のくるんとなった緑の尻尾の先に自分の白い尻尾を鎖のように繋ぎ合わせて、ファールがうとうとしていた。大きい方の竜がこうべめぐらせて白い鼻先に薄茶の鼻をコツンとぶつけると、ぼんやり目を開けてグルグルと甘えた声で唸る。襟がふわふわと開いたり閉じたりしていて、この上なく幸せそうだ。


「ファール……そいつ、誰だ?」

「……野生の砂竜だな。襟襞えりひだが大きいので、雄だ」


 腕を組んだ賢者が遠い目をして言った。見守っていると、竜達はどこからか獲ってきたでかいネズミのような生き物を口移しで食べさせ合ったり、襟襞というらしい首回りのひらひらを互いに口に含んでもぐもぐし合ったりしており、どこからどう見ても恋人同士という感じだった。


「ここに巣を作るようだね」

「うわっ」

 いつの間にか後ろに佇んでいた魔法使いが言った。その言葉を聞いた賢者が「そのようだな。営巣の為に砂を固め始めている」と言ってから「体調はどうだ」と妖精の方を振り返った。


「だいぶ、いいよ──あっ」

 魔法使いが唐突に何かを見つけたような顔をして走り出した。何かと思って目で追えば、砂の上を風でコロコロと転がっている丸い枯草の塊のようなものを、腕を伸ばしながら小走りに追い掛けている。


「おい、遊ぶのは後にしとけ! また倒れるぞ」

 それを見た勇者は慌てて間抜けな妖精を呼び戻そうとしたが、しかし隣の賢者がそれを制止した。

「いや、好きにさせておきなさい。あれは回転草の一種で、ああして乾燥した枝を風に流して種を撒いている植物だ。今のあやつにはそういったものに触れる時間が必要だろう」

「ゴミじゃないのか、あれ」


 それから砂竜二頭分くらいの距離を走った病み上がりの妖精は無事に変な草の塊を手に入れ、おもちゃを持ってくる犬のような顔で耳をピンとさせて戻ってきた。

「取ったよ」

「そうか。残っているようならば、少し種を取っておくと良い」

「うん……賢者にも、分けてあげる」

「そうか」


 一抱えある枯れた草の塊を見せつける妖精に、賢者が淡々と頷き返してやっている。人間から見るとかなり馬鹿らしいその行動を一々指摘しないでいられるあたり、こいつは案外良い伴侶というか飼い主になるかもしれないと思って、吟遊詩人と顔を見合わせるとニヤニヤした。


 さて、砂竜という生き物は他の竜種の大半と同じく、番を見つけると子育てのために巣作りを始めるものらしい。ファールともう一頭の竜は、掘った穴の側面を特殊な唾液で固めて岩のようにするという方法でせっせと砂の地面に大きな洞窟のようなものを作っていた。成体の竜ならばいつものファールのように砂に埋まっているだけで良いが、幼竜はふとした風で頭まで埋まって窒息してしまうので、こうして内部に空洞のある巣を作るのだと賢者が言っていた。


「ありゃ……そうなると、もうここからは動かないだろうね。ファールとはここでお別れかな」

「それは別にいいけどよ、騎竜として買った竜なのに自由すぎだろ……」

「でも、ひとりぼっちで置いて行きたくなかったよ」


 魔法使いが少し安心したようにそう言うと、毛布を被って天幕から出てきた神官が深々と頷いた。確かになと思いながらファールを呼び寄せ、胴体に手を伸ばすと鞍や手綱を外してやる。


「どうする? これ、気に入ってたろ? 巣に入れとくか?」

 外した布製の鞍をひらひらと振って見せると、ファールはがぶりとその端っこを咥えてずるずると菫色の布束を巣の中に引きずり込んだ。鞄の方も欲しそうに見ていたが、こちらは使うので譲ってやれない。代わりに勇者の毛布を一枚差し出してやると、こちらは砂色の雄竜の方がぱくっと受け取って巣の中に持ってゆく。卵を乗せておく布団にでもするつもりだろうか。


「お前……えらく人懐っこいな。ほんとに野生の竜か?」

「妖精さんがいるからじゃない? 野良猫も、魔法使いがいれば人間の僕らが一緒でも逃げていかないし」

「……子犬と、狼と、どんぐり」

「人間だよ!」


 それからのんびりともう一日、風邪が治ってきた神官を休ませがてら、頭の中の文献と照らし合わせつつ砂竜の営巣を観察している賢者に付き合って過ごした。ファールはまだしも、雄竜の方は人間達がすぐ側で夜営しているのを気にしないのだろうかと思ったが、そういう生き物なのか何なのか、全く警戒する様子もなく勇者の手から直接おやつの肉片を食べたりしている。


 とはいえ流石に竜の巣の中には入れてもらえなかったが、吟遊詩人が透視したファール達の動きから内部構造を予想して図面に起こし、賢者から大変貴重な「素晴らしい」をもらって嬉しそうに笑っていた。それにやきもちを焼いた魔法使いがなんとか賢者の関心を得ようと、彼のマントに宝石のようにきらめく真っ赤なサソリをひっつけて少し騒ぎになったりもした。





 そして次の日の夜、レタとミュウもうんざりするようなべたべた具合でいちゃついている竜達に別れを告げて旅立った。魔法使いと神官がちょっと泣いていたが、ファールは大好きな伴侶とべったりひっついているので少しも寂しそうではなかった。


 砂の上を歩くのは体力がいるので、全員分の荷物を詰め込んだ竜用の鞄をそのまま勇者が肩に担いで歩く。


「ねえ、それ本当に重くないの? 僕少しなら持てるよ?」

「だから全然平気だって。あ、疲れたら抱えてやるから言えよ? 特に神官」

「それは流石に……申し訳ないような」

「なんでだよ。無理してまた倒れられる方が大変だろ」


 小さな声で交わされるそんな会話が、細かな息遣いまで耳をくすぐるように敏感に聞き取れる。今夜は風も凪いでいて、砂ばかりの砂漠は怖いくらいに静かだった。相変わらず、流星雨の日でもないのに全部落っこちて来そうな満天の星空が美しく、大きな三つの月に照らされた砂丘が銀色に輝いて、まるで夢の世界を歩いているような心地になる。


「ねえ……あれ何だろう。もしかして蜃気楼かな」

 その時、目隠しを外した吟遊詩人がひっそりと言った。視線の先を追うと確かに、少し遠くの砂の上に幻のような……こんな砂漠の真ん中なのに、向こうの砂丘を半分透かして雪の降りしきる美しい山の景色が見えている。あるはずのない光景がぽっかりと──吟遊詩人の言葉を借りるなら、月明かりに揺らめくように淡く儚く浮かんでいて、とても幻想的だった。


「へえ……あれが蜃気楼か。綺麗なもんだな」

「──いや」


 押し殺した賢者の声があまりに鋭く響いたので、仲間達が一斉に立ち止まり、瞳を警戒の色に染めて身を固くした。


「蜃気楼というのは、ただ周囲にあるものを光の屈折によって投影するだけだ。その場に無いものは見えぬし、夜にも現れぬ……あれはおそらく、時空の歪みだ」


 そう言いながら、賢者は仲間達全員を覆う半球状の顕現陣を立ち上げた。魔法使いがさっと手を伸ばして陣に魔力を注ぐ役を代わり、勇者が吟遊詩人をマントの中に引き入れる。勇者は薄っすら赤い盾の中から半透明の雪山をまじまじと見つめて「時空の歪みってさ、おじさんが」と言いかけ、そしてヒュッと息を呑んで言葉を途切れさせた。


 次の瞬間、今までに感じたことのない膨大な魔力の気配が周囲一帯を染め上げ、剣の仲間達は空間を引き裂くように広がった幻の雪景色の中に取り込まれた。





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