五 白い砂竜
トカゲというのは大抵の場合、体が大きければ大きいほどゴツゴツした形をしているが、ワイバーンよりも体長が長そうなその竜は、どちらかというと賢者の森やフォーレスの草むらにいる小さなトカゲと似たような感じにほっそりしていた。
「何だあれ……翼が無いけど、あれも竜なのか? でかいトカゲじゃなくて?」
「砂竜と呼ばれているが、竜と蜥蜴の間に明確な線引きはない。大型ものを竜、小型のものを蜥蜴と呼んでいるだけだ」
「マジか……」
吟遊詩人と反応が被って顔を見合わせると、少女のような少年がにこっとする。
「ふふ、勇者が『マジ』って言うの初めて聞いたかも。僕のが移った?」
「あ? ああ……そうだな。しかし、でかいな」
鋭いながらも淡い緑の目がキラキラしていて、顎は小さく、砂色の鱗が滑らかに輝いている。首の周りにヒラヒラした襟のようなものがついていて、それをゆっくりと開いたり閉じたりしていた。ほんのり緑色の長い尻尾は先がくるんと丸まっていて──要は、竜にしてはなかなか愛らしい感じの生き物だった。
「かわいいね……」
ほら、魔法使いが瞳をきらめかせながら耳をピンと立てている。砂竜は隊商が連れている荷物を背負った三頭の他にもたくさんいて、それぞれ砂漠のあちこちで丸くなったりのそのそ歩いたりして寛いでいた。
「んで、これが砂漠か……」
ずらりと商品が並んだ天幕の下で休んでいたらしい隊商の人々がアラバと挨拶を交わした後にこちらを見たが、勇者がすっかり目の前の光景に釘付けなのを見て微笑ましそうにすると、腕を組むように反対側の袖の中に手を突っ込んで旅人達が砂漠を眺める時間をくれた。
低い山々がいくつも連なっているような景色だが、その全てがどこまでも淡い淡い茶色の砂でできていた。砂の丘には風が撫でた跡がついていて、それがクリームをナイフで削ったような独特の造形を生み出している。
街中と違ってジリジリとした熱を感じる。気温が高いというより、日差しが熱い感じだ。砂に光が反射するのか目が眩むほど明るくて、全てがカラカラに乾き切っている。そのせいだろうか、真っ白なふわふわの下にたくさんの命を隠している雪景色と違って、どこまで掘っても焼けるほど熱された砂しかないのだと突きつけられているような景色だった。
確かに美しい光景だが、これが魔術で焼き払われた森の成れの果てだと思うと、怖い──
ぞわっと背筋を震えが伝う感じがして、軽く二の腕をさする。マタンの街に、紛争の爪痕が残っている様子はなかった。家々は全て手入れされ、空家はあっても廃墟はない。傷跡の目立つ人はちらほらいても、その傷に苦しめられているような人はいない。たぶんそれが彼らの意地で、誇りで、勇気の示し方なのだろう。
だから、勇者が大きな争いの名残と言えるものをはっきりと目にしたのは、これが初めてだった。
「これが……神殿の言ってた、人間の罪なのか」
ハイロやフラノ達が人間を滅びるべき存在だと主張した理由が、初めて少しだけわかった気がした。
「そうですね。しかしこんな罪深い種族でも、神々は私達を大切にしてくださるのです。人類の未来に希望を見出してくださるのです。我々は、その愛情深い期待に答えねばなりません」
「うん」
ハイロがこの光景を見たら、また「向こう側」に行ってしまわないだろうか──
「大丈夫だと思うよ」
見下ろすと、吟遊詩人が励ますようなからかうような、なんとも言えない温度の笑みを浮かべていた。
「白い砂ばかりの光景には考えさせられるけどさ……砂漠の空の色ってすごく青くて、雲ひとつなく澄み渡ってて、勇者の瞳にそっくりなんだよ。大地より空の方が広いからさ、耳飾りをずっと大事にしてるハイロちゃんならたぶん大丈夫だ」
「うっ……」
顔が熱くなってマントで口元を覆い隠すと、賢者がちらっと呆れた目で振り返った。ついさっきまでは勇者と同じくらい食い入るように砂漠の景色を見ていたくせに、ずるい奴だ。
「それにしても、昼時に到着とは珍しいな」
勇者達の方がひと段落したのを見て、アラバが隊商の長らしい着飾った男へ声をかけた。既に旅装は解いているらしく、アラバ達と似たような鮮やかな染め布を頭に巻いて、異国風にマントを羽織った不思議な格好をしている。
「おいおいアラバの旦那、ちゃあんと朝のうちに着いてたよ。だが祭りの始まりにはちょいと間に合わなくてね。邪魔しちゃ悪いんで店を広げながら雨乞いが終わるのを待ってたのさ……しかし今年の祭りは何か、ものすごいことが起きてなかっ、た……か」
竜商人と同じくらいか少し上くらいの年に見える商人の男が、皆を見回しながら朗らかに話し始めて、そして魔法使いに目を止めると驚愕に目を見開いた。
「……お姉さん、もしかしてエルフかい?」
魔法使いは例によって人間と口を利かないので、吟遊詩人が笑いながら答えた。
「そうだよ。『お兄さん』かもしれないけどね」
「男……? こんなに綺麗なのに?」
「うーん、実は僕もどっちか知らないんだよね」
「んなことあるか?」商人が眉をひそめる。
「その話は後にしなさい」
長くなりそうだと感じたのか、賢者が話を遮った。どうやらアラバが何か話したそうにしていたらしく、そちらに向き直る。
「ほれ、あの中から好きなのを一頭選びなさい」
老人が竜が集まっている方を指差すと、魔法使いが早速と言った様子で砂の上で寛いでいる竜を眺め始めた。
「ほんとに買ってくれるのか? 竜ってたぶん買うと高いだろう? パンいくつ分だ?」
「パン……? いやなに、気にするな。老いた身に金ばかりあっても仕方ない。私の財産はな、有望な若者を育てるためのものだと思っとる。年寄りの趣味だと思って、気楽に受け取りなさい」
何か言う度にこれほど自慢げな顔でなければ、ものすごく格好いい爺さんなんだがな……。
ちょっと惜しいな、と思いながら礼を言う。別に金には困っていないのでそれほど助かるというわけでもなかったが、しかしその気持ちは本当に嬉しかった。「これからその竜を見る度に貴方の心遣いを思い出して、きっと勇気がもらえる」と伝えると、アラバはこれ以上ないほど嬉しそうに笑って勇者の肩を叩いた。祖父と暮らすのはこんな感じなんだろうかと少し想像し、ヴェルトルートの王都にいるという自分の祖父は賢者の祖父でもあるのだから、きっと貴族然とした厳格な人だろうと思って笑った。
「──あの子がいい」
とその時、魔法使いが天幕の向こうをすっと指差した。特別嬉しそうに輝いている視線を追うと、砂の中からぴょこんと顔だけ出している真っ白い竜がいる。確かに、怖い顔をした砂竜の群れの中で一頭だけくりっと丸い目をした可愛らしい顔立ちをしていて、なぜか砂に埋まっているところも妖精が好きそうな感じだ。白い竜は月色のエルフがキラキラした視線で見つめていることに気づくと、もぞもぞと砂から出てきて美しい鱗を太陽の光に輝かせながら見せつけた。魔法使いがぱあっと星を飛び散らせながらその美しさに見惚れ、竜が満足そうにグルグル唸る。尻尾の先まで真っ白い鱗に淡い
「なんであの子だけ色が違うんだろう?」
吟遊詩人もあの竜を気に入ったのかにこにこしながらヴェルトルート語で言うと、賢者が低くそれに答えた。
「色素欠乏症だな」
「え、病気なの?」
吟遊詩人が驚いた顔になって、竜の方を見ようと何度か瞬きをすると疲れたように目をこすった。それがどうやらなんとか竜の姿を見ようと頑張っているように見えるらしく、アラバが気の毒そうに「布を巻くかい、ルシャーナ?」と尋ねてやっている。少年が「大丈夫、ありがとう」と答えると「お前は本当に健気な子だ」と老人が頭を撫でる。そしてアラバが向こうを向いた瞬間、金色の巻き毛を魔法使いがさっと浄化した。
「──いや、陽光への抵抗力が弱いため種族や環境によっては短命になる場合もあるが、竜であれば問題なかろう。エルフが日に焼かれぬのと同じだ」
賢者が解説してやると、仲間達が安心した顔になった。うんうんと微笑ましそうに頷いたアラバが、白い竜を指差しながら先程とは別の商人に一言何か告げる。
「彼女を選ぶとはお目が高い! まるで宝石のようでしょう? 金貨十枚でいいですよ」
明るい人柄らしい青年がにこにこと言うと、アラバが眉を潜めた。
「えらく安いな」
「他の子より体が小さいですし……躾がね、ちょっとばかし。でもまあ、ほんのちょっぴりおてんばですが、優しい子ですよ──おいで、ミルキィ!」
瞬間、ミルキィと呼ばれた白い竜が恐ろしい速度で砂を巻き上げながら商人に向かって突進した。勇者は目の前にいた魔法使いと吟遊詩人を両腕に抱えて竜の進路から飛び退き、次いで賢者と神官に手を伸ばしたところで、ぽかんと口を開けて動きを止めた。風に混じった砂が口に入った。
竜は凄まじい速さで商人に走り寄り、彼の胴体を咥えて持ち上げるとぶんぶんと首を振って振り回し、そしてぽいっと砂の中に捨てていた。商人の体が頭から熱い砂に突き刺さる。竜がそのまま天を仰いで大きな咆哮を上げた。
おいおいおい、躾ができてないにも程があるだろ……。
ゴクリと唾を飲んで、冷や汗を拭う。しかし商人は死んだかと思ったが、わりかし平気そうにずぼっと砂から上半身を引っこ抜いてこちらに戻ってきた。神官が手を触れて治療してやると、目をまん丸にして礼を言っている。
「……他のにするかね?」
アラバが尋ねた。勇者は一も二もなく頷こうとしたが、しかし魔法使いがきっぱりと首を横に振る。
「おい、本気か?」
「名前が、気に入らないようだね」
魔法使いが「だから仕方ないよ」みたいな顔で勇者を見つめて頷いた。群れの仲間以外の人間が傷ついたところでどうとも思わないらしいエルフが、可愛くて堪らないというように白い竜を見つめる。しかし流石にあれはまずいだろうと勇者が仲間達を見回すと、なんということだろう、妖精に擦り寄られ「あの子がいいよ」と甘い声でねだられた賢者が竜売りと話をつけてしまった。アラバは「本当に良いのかね?」と何度も尋ねたが、最終的に魔法使いの腹に鼻をくっつけて甘えているミルキィを見て納得したようだった。
その後は隊商の皆に話を聞きながら旅の装備を整え──いかにも「砂漠の旅人」っぽい頭と顔に巻きつける布を手に入れて、勇者はかなり気持ちが盛り上がった──少しミルキィと遊んでから一度祭りに戻って、夕食を手に入れて家に帰るという流れに決まった。
「おいで、
妖精が小さな声で呼ぶと、竜がキュウっと鳴いて魔法使いの手に鼻をくっつけた。
「ハイロの愛称に似てるな」
どうやら竜の名前を付け直したらしい魔法使いを見ながら呟くと、妖精は「全然違う」と首を振った。
「ファーロは、もっとしっとりした淡い光だよ。真珠光沢は艶々で、時折虹のように輝く」
どうやら結構知能が高いらしいファールが、どこまで理解しているのか「そうだよ」みたいな顔でこちらを見た。
「いやそうじゃなくて、音の響きが」
「……ん?」
「……ファール」
まあいいや、と思って竜の名を呼んでみると、新しい名が気に入った様子の竜が「なあに」という感じで首を傾げた。どうやら本当に、あの凶暴さはミルキィという名が気に食わなかっただけらしい。
「お前、可愛いな──痛っ!」
鼻面を撫でると咬みつかれた。甘噛みだったし、刃物のようなワイバーンの牙に比べればそれほど歯も鋭くないが、大きい分だけ力は強いので痛い。
「人間の手は脂っぽいから、触れると鱗が汚れるのだって」
「神官は触ってるじゃないか」
とろけるような笑顔で白い頭を撫で回している聖職者を見ながら言うと、魔法使いが首を振る。
「ローサリューは浄化の魔力が豊かだから、触れたものを汚したりしないよ」
「そっか、えらく綺麗好きなんだな……」
それを聞いていた賢者が「わかる」みたいな顔をして、黒い手袋をした手を伸ばした。そこに砂竜が優しく鼻を押しつけて、何だかひどい潔癖同士仲良くなったようだ。
なんというか、また変な仲間が増えたな……。
勇者はそう考えると難しい顔で腕を組んで、そして呆気にとられた様子のアラバと目を合わせると、二人同時にふっと息を吹き出して苦笑した。
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