六 仕立て屋
「まあまあまあ、お美しいお姫様がたですこと! これは腕が鳴りますわ」
ハサミや針山やなんかを腰のベルトに山ほど下げ、腕に巻尺をかけた優しそうな老婦人がハイロとミロルを見て華やかな声を上げた。始めはこの街の人間らしく賢者の方をそわそわと気にしていた彼女だったが、美しい顔立ちの二人を見ると職人魂の方が勝ったらしく、今は戸惑った顔で突っ立っている審問官をあちこちから眺めて嬉々としている。
「さてさて、どなたがどなたのパートナーでいらっしゃるの? 舞踏会の装いは男女で対になりますからね、お二人ともに似合う色を決めなきゃなりません。しかし賢者様は黒と決まっていますから、まずは賢者様のお相手はどのお嬢さ、ま……」
仕立て屋が部屋の向こうを見つめてぽかんと口を開いたので勇者がそちらに視線を向けると、先日の女の子に変身した魔法使いがふわふわと歩いてくるところだった。普段の妖精を見慣れている皆にとっては少し色褪せたかなという感じだが、しかし初めて見る人間はこういう反応になるのだと、勇者はなんだか意味もなく誇らしくなる。
「なんて、なんてことかしら……まるで童話から抜け出した精霊姫だわ……」
「そいつが賢者の相手だ」
勇者がつい少し自慢げになってしまった声で言うと、仕立て屋は上の空のまま「さすが賢者様……」と呟いた。
「賢者様……あの、追加の費用は頂きません。絶対に間に合わせますから、このお姫様の衣装は一から仕立てさせてはいただけませんでしょうか。こんな、こんな方のドレスをお仕立てできたら、わたくし、わたくしはもう」
賢者はそれを聞いて大変面倒そうな顔をしたが、妖精が仕立て屋をそこまで激しく嫌っている様子を見せないのを見て「好きにしなさい。追加料金は支払う」と許可を出していた。それを聞いた仕立て屋が感極まって泣き出してしまい、おろおろとなった皆が彼女をソファに座らせつつ、お茶を淹れようとするミロルを止め、吟遊詩人がリュートを取り出している間に勇者が給湯室へ向かう。
ふわふわと魔法使いがついてきたが、こいつは群れの仲間以外に決して茶など淹れない。故に勇者が薬缶やカップを用意するのをただ無表情で見守っているのだが、よそ者の来訪に警戒している上に人間姿だと耳が動かないので、何を考えているのかさっぱりわからない。
茶を持って談話室に戻ると、小さな妖精二人に挟まれて座った仕立て屋がにこにこしながら吟遊詩人のリュートを聞いていた。
「落ち着いた? おばあちゃん」
「ええ、ありがとうね。あなた達にはそうねえ、ルシナルちゃんの瞳の色を濃くしたような、深い緑色なんてどうかしら。ミロルちゃんの赤い髪が映えて、きっと薔薇の妖精みたいになるわ」
「うん、綺麗だと思う。僕は何色でもいいから、ミロルに似合う色にしてあげて」
「おやまあ、小さいのに紳士ですこと」
吟遊詩人の言葉を聞いたミロルが、先ほどナイフを握っていた時の鋭さが嘘のように頬を赤くしてこっそり身悶えている。仕立て屋がそれを横目でちらっと見てくすりと笑うと「おばあちゃんに任せなさい、とびきり綺麗なお姫様にしてあげますからね」と囁きかけていた。
お茶を飲んで一息つくと、仕立て屋は恐ろしい速さで荷物の中から綺麗な深緑色のドレスを引っ張り出し、採寸の道具を持つとミロルと手を繋いで余っている寝室のひとつへ入っていった。しかしここからはしばらく休憩だと思っていると、着替える時間があるかないかという程度の時間であっという間に戻ってくる。
「あれ、もう終わったのか?」
「ええ、型紙を作ったりするのと違って、長さを測って少し試着してみるくらいですからね。簡単なものよ」
仕立て屋は当たり前のように言って次のハイロを手招きするが、どうやらとんでもなく腕の良い仕立て屋が来たようだぞ勇者は思わず唾を飲み、そういえば彼女を手配したのは支配人だったと納得した。
「ハイロちゃんは、あまり華やかな色でない方がお好きなように見えるけれど、どうかしら? それともこの機会に、綺麗な真紅なんかにも挑戦してみる? あなたならなんでも似合うわよ」
うんうん、赤も青も黄色も似合うに決まってる! と勇者が激しく頷いて同意していると、ハイロはそれを平坦な目でちらりと見てから仕立て屋に向き直った。
「……できれば、あまり鮮やかな色は」
「そう、ならそのお花に結んであるみたいな淡い灰色はどうかしら? 今のローブは少し重たい感じだけれど、神域のミミズク達みたいな素敵なグレイのドレスが入ったのよ。なかなか難しい色なのだけれど、あなたみたいな儚げな方ならきっと冬の朧月みたいになるわ」
「では、それを……襟元はヴェルトルート型が良いのですが」
「もちろん、わかってますとも。留学生のミロルちゃんはこちらの文化を学んでいるからリオーテ型、恥ずかしがり屋のお姉さんふたりはヴェルトルート型で用意していますよ」
そう言って仕立て屋は銀糸の刺繍が美しい灰色のドレスと、マントを色違いで何枚か取り出してハイロを手招いたが、別室にひとり隔離されることを警戒した審問官は困った顔で立ち止まった。
「……フラノ、同席を」
そしてフラノを手招きしたことに仰天して、勇者は思わず「えっ!」と裏返った声を上げた。
「いや、それは、あの、いや、お前」
焦って混乱する頭で「神殿の人間ならいいのかよ」とか、唐突にガレとライを思い出して「もしかしてこの二人も」とかぐるぐる考えていると、ありがたいことに仕立て屋がきっぱりと首を振ってくれた。
「ハイロちゃん、採寸の場に殿方を入れるのはダメよ。心細いなら、ルーウェンちゃんじゃだめかしら」
仕立て屋が困った顔をするが、魔法使いに腕をねじり上げられて脅されたことのあるハイロは「とんでもない」みたいな顔でぶんぶん首を振った。
「神職の兄でも不適切ですか」
「……兄?」
勇者がきょとんとしてフラノとハイロを見比べると、目が合ったフラノがこくんと頷いた。
「神殿入りする時点で戸籍上の繋がりはなくなりますが、実の兄です」
ハイロが食い下がると、仕立て屋はきょろきょろと二人を見比べて、仕方なさそうに微笑んだ。
「おやまあ、そう言われてみればよく似てるわね……そうねえ、神官さんでお兄さんならば構わないかしら。でも衝立の向こうで待っていてもらいますからね」
「……兄」
採寸に向かった三人を見送ってぽつりと呟いていると、魔法使いが「気づいて、いなかったの?」と首を傾げた。
「……お前は気づいてたのか?」
「顔が、そっくりだよ」
「そうか?」
ここ最近はハイロの方が百倍輝いて見えていたので、全く思いもよらなかった。仲間達をぐるりと見回すと、吟遊詩人が「まあ、そうかもとは思ってたけど」と肩を竦める。
頭の中ではまだ混乱が続いていたが、とはいえ採寸はすぐに終わってしまうので、帰ってきた審問官達を迎えて魔法使いを送り出す。そして案の定人間嫌いのエルフは賢者が一緒でないと行かないと我儘を言ったので、まあ知り合いならば多少ましだろうとミロルを付け、扉の前で待っててやるからと言い聞かせて部屋へ押し込んだ。
「魔法使いは賢者に合わせて黒いドレスに黒のマントって言ってたけど、賢者も黒一色にするの?」
吟遊詩人が尋ねると、賢者は少し考えて首を振った。
「……いや。石か花か、何かあやつの瞳に合わせて淡青色のものを探しておく」
「そっか、それは魔法使いが喜ぶね」
「は?」
「……あ、いや。あの妖精さん、お揃いの花飾りとか喜びそうじゃない?」
「やもしれぬな」
全く興味のなさそうな賢者の返事に勇者と吟遊詩人が密かにがっかりしていると、採寸部屋から飛び出した魔法使いが扉の前にいた勇者に抱きついて胸元に顔をこすりつけたので、のんびり後を追ってきた仕立て屋が「パートナーが違うのでは」みたいな顔をする。
「あー、ええと……妹みたいな感じだから、大丈夫だ」
「……いもうと」
仕立て屋をそれで誤魔化しきれたかどうかはなんとも言えなかったが、その言葉に魔法使いがぱあっと顔を輝かせて微笑み、仕立て屋はすぐにそれに夢中になって「精霊姫」に似合う衣装を考案し始めたので上手く逃げられた。
「──では五日後、舞踏会の二日前にお持ちしますからね。着付けとお化粧はリオーラに専門の方がいますから、そちらにお願いなさって。特別変わった着方のものはありませんから、それで大丈夫なはずよ」
「……リオーラ」
「この宿の名だ」
にっこり笑った仕立て屋が、扉の外にぞろぞろ待たせていた弟子に衣装の山を持たせて立ち去った。ちょうど昼時だったのでミロルと審問官達を昼食に誘ったが、ミロルは午後の講義に間に合わないからと急いで学校へ戻ってゆき、審問官達も遠慮して立ち去ろうとしたのでそちらは無理やり引き止める。
「食事はわかったから、せめてタルトを持って行け。多めに買ったから」
「……恵みに、感謝いたします」
諦めたのか慣れたのか大人しく受け取ったハイロを満足して眺め、姿を消して立ち去るのを宿を出るまで見送る。部屋に帰ると人間に採寸されてしまった妖精がしくしく泣いて賢者に星の話をねだり、ソファにかけて食事を待っている賢者が「それよりも、そなたの瞳に似た色の花が……できれば亜麻のように繊細な造形のものが花屋にあったか聞かせなさい。舞踏会のそなたの髪飾りと、揃いで私の胸元にも挿したい」などと言ってまたもや妖精を勘違いさせていた。
「はあ……気がおかしくなりそうだ」
どさりとソファに座りながらため息と共に零すと、吟遊詩人がそんな勇者を見て苦笑した。
「え、もしかして舞踏会が楽しみすぎて? 今からそんなこと言ってて大丈夫……そうだ、明日は宝飾店に行くよ! ハイロちゃんに似合う耳飾りくらい見繕ってあげないと」
「み、耳飾り?」
「勇者が採寸されてる間に『装身具は任せろ』ってちゃんと伝えといたんだから、褒めてよね? 勇者の狩った魔石のお金でさ、綺麗なやつ買ってあげなよ」
「う、あ、うん……」
「ちゃんと舞踏も覚えて、リードしてあげなきゃね」
「舞踏……ハイロと、踊る」
「大丈夫かなあ……」
それからの七日間は賢者に助言をもらいながら、花の妖精を相手に──魔法使いは芸術の神の愛し子だからか、支配人と彼の奥方の手本を一度見ただけであっという間に女性側の踊りを覚えてしまったのだ──必死でエスコートと舞踏の練習をした。覚えたはずなのにやたら踊りにくくて四苦八苦していると、賢者から「一度相手を変えてみろ」と言われ、試しに練習に来ていたミロルに一曲相手をしてもらったらごくごく自然に踊れてほっとした。
しかし、それはつまりこの妖精の踊り方がどこかおかしいというか、見かけは優雅極まりないのにどことなく動きがふわふわと不可解であるのが判明したということで……果たして彼が愛しの賢者とうまく踊れるのかどうか、勇者は少し不安になった。
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