七 舞踏会 前編




「聖職者が身分を隠す時ってどんな時なんだ?」

 用意された盛装はやたら布地が多くて着方がわからなかったので、神官に着替えを手伝ってもらいながら訊ねると、仕立ての良い落ち着いた生成色の長衣を着込んだ友は少し微笑んで言った。


「色々ありますが、大体はお祭りですね……ああ、身分を隠すという言い方は少し語弊があったかもしれません。例えば地の神官が収穫祭へ招かれた時なんかに、高位神官が壇上から見ていると皆が羽目を外せませんでしょう? ですから儀式が終わった後はこういった服に着替えて『どうぞ自分のことは気にせず大いに飲んで騒いでください』という意思を示すのですよ──あ、そこの帯は結び方が決まってまして、やって差し上げますから腕を上げてくださいな」

「……おう、頼む」


 隠れて悪いことをする時の定番の服装か何かだと思っていた勇者が大いに反省していると、膝下までの丈の長い上着の上から、神官が恐ろしく柔らかくて手触りの良い帯を巻いてくれる。ハイロと……そ、揃いで淡い灰色になるのかと思っていた上着は意外なことに濃紺で、袖口や肩、首元などに豪華な金の刺繍が入れられていた。その代わりにマントの方に薄灰色の布を使ったようだが、こちらは全面に金色の刺繍が入っているので、少し離れた寝台の上から神官が持ってきてくれるのを見ていると布全体が淡い金色に光っているようだった。


「あ、盛装のマントはそうではなくて、右肩だけに掛けてくださいな。ハイロは左肩にマントを着けてくるはずですから、こうして着ると腕を組みやすくなるのですよ」

「う、腕を、く、く」

「エスコートの基本だと散々教わりましたでしょう。全くもう、そんなに緊張していて大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃない……どうしよう」

「もう……仕方がありませんね」


 神官が勇者の額に手を当てて何か呟くと、すうっと冷たい感覚が全身を巡って気持ちが落ち着いた。何をしたのかわからないが、彼の癒しの術のひとつだろう。


「……だいぶ落ち着いた。ありがとな」

「神のなされたことです。両手剣は禁じられていますので、聖剣はそこの衣装棚に入れておいてください。あとで賢者が厳重に封印します。代わりにこちらを」

 そう言った神官から受け取った細い剣を帯に差し込みながら、しかし勇者は首を傾げた。


「王族も来る舞踏会なのに、帯剣してていいのか?」

「ええ、魔術師や魔法使いは剣士と違って武器を取り外せませんからね。長剣か短剣のどちらか一振りは許可されています」

「ああ、なるほどな」


 勇者と神官が着替えていた寝室を出ると、入れ替わりに黒いローブに着替えた賢者が入っていった。額のあたりに細い銀の輪っかを嵌めているのを見て「おっ」と声を出したが、賢者はそれを完全に無視して聖剣を入れた衣装棚の方へ歩いて行ってしまう。


「だいぶイライラしてるなあ……」

「まあ、賢者ですから」


 舞踏会が嫌で嫌でたまらない様子の彼を苦笑して見送ると、談話室では魔法使いが窓から外を見ながら、そわそわと頭に飾られた淡い青色の花を触っていた。不機嫌な天文学者の胸元に挿してあったのと同じ花だ。


「ドレスなのに早いな、魔法使い」

「お化粧はいらないと……言われたからね」


 一瞬星を消す魔術が切れたのかと思ったが、違う。星を纏っているように刺繍がきらめいているのだ。首元が詰まった漆黒のドレスは、ラッパ型のスカートの裾から朝靄あさもやが立ち昇るように銀色の繊細な星模様がキラキラしていた。今の魔法使いは人間姿なのに、妖精か精霊に見えるような大変神秘的な雰囲気を漂わせている。ついさっきまで「いつもより色褪せて見える」と思っていたのに、着替えた途端に思わず感嘆のため息をついてしまうくらい美しくなった。そしてそんなルーウェンが少し床に触れるくらい丈の長いマントを片方の肩に掛けているのは、なんだか賢者のマントを借りてきたようにも見えて大変微笑ましい。


「良かったな、お揃いで」

「……うん」

「ねえ勇者、着替え終わったならお茶運ぶの手伝って!」

「おう」


 深緑の服に暗い赤のマントがよく似合っている吟遊詩人に、人数分のカップと大きな紅茶のポットが乗った盆を押しつけられる。足元に置かれたドレスの箱や何やらを避けながらテーブルを目指していると寝室の扉の一つが開いて、そうだ、あの扉は──


 ガチャンと音を立てて滑り落ちた盆が、床に落ちる前にぴたりと静止する。ドレスの裾をキラキラさせて歩み寄って来た魔法使いが空中からカップやポットを一つずつつまんで盆の上に乗せると、仕上げに少し零れてふわふわ浮いている紅茶の水滴を、ミルクをかき混ぜるための小さな匙で掬い取って飲んだ。


「……あ、すまん」

「……ん、行ってくるといいよ」


 魔法使いがそう言ってくれたので、勇者はもう居ても立っても居られずに早足でハイロの側へ歩み寄った。そして美しく着飾って薄く化粧を施された彼女を上から下まで眺め……ああ、あまりに輝いていて考える余裕がない。


「世界一綺麗だ……」

 勇者が喘ぐように言うとハイロがぱちりと瞬きをして、後ろで神官が「おやまあ」と言った。


「なんて、なんて言えばいいんだろう……俺には似合わないが、魔法使いみたいな言い回しをするなら、そう、けぶるような色をしてて……霧の深い、早朝の森に咲く百合みたいだ」


 勇者のその言葉に、ハイロは勇者の瞳を見つめたままほんの少しだけ恥ずかしそうに眉を寄せ、少しだけ肩を竦めた。その瞳の中に一瞬だけ淡い星の金色がきらめいたのを見た勇者は、無意識のうちに彼女の頰へそっと手を掛けて瞳を覗き込み──後ろからスパンと賢者に頭をはたかれて我に返った。叩かれた拍子に危うく唇が額へ触れそうになって慌てたが、見下ろしたハイロが全くの無表情だったので冷静になる。


「わ、悪い」

「いえ。しかし勇者殿の魔力では、私に催眠はかかりませんよ」

「催眠術じゃないよ……君の瞳があんまり綺麗だったから」


 それを聞いた吟遊詩人がヒュウと口笛を吹くのが聞こえて、ようやく少し正気に返った。自分が今のひとときで次から次へと何を口にしたか思い出し、かあっと全身が熱くなるのを感じながら何か話を逸らせそうな話題を探す。


「……俺とお前は、揃いの色じゃないんだな!」

 必死に考えた結果、少し上ずった声で勇者はそう言った。ミミズク色のドレスを着たハイロは淡い金色の布に薄茶色を何色か使って刺繍を入れたマントを掛けていて、どちらも勇者のマントと色が近いといえば近いが、お揃いという感じはあまりない。


「私と貴方で似合う色があまりに違うので『朧月と夜空』という組み合わせにしたのだと仕立て屋殿が仰っていましたよ」

「そ、そうか。月と、夜空……」


 その例えに頰を赤らめ、彼女の耳元で揺れる空色の宝石に胸を射抜かれて額に手を当てると、先程ハイロと共にこの部屋を訪れた時はひたすら困惑した顔をしていたガレが、少し面白そうに瞳を光らせて勇者とハイロを見比べる。そうしていると彼女もまた少し狂信の色が和らいで見えて、本当は優しいところもたくさん持った人なのだろうと勇者は腕を組んでこっそり深く息をついた。





 差し出した手を握られて倒れそうになりつつ迎えの馬車に乗り込むと、目を回した神官の背をひたすらさすっているうちに王宮へ着いた。流石に王の住まいは驚くような大きさで、周囲を森に囲まれた中にたくさんの塔が立ち並ぶ灰色の城は大変に美しい。あの場違いな感じの宿はこうして木々で囲むのが正しかったのかと納得するも、賢者は故郷の自宅にそっくりな形をした塔の一本を見て、元々輝いていない瞳からすうっと最後の生気を奪われている。


 会場に入る前に簡単に控えの間を案内され、使用人というていで同行した紺のワンピース姿のガレは、そこで別れることになった。


「ガレ、おひとりで退屈では──これだけ本があれば大丈夫ですね」

「ハイロ、私は貴女ほど読書家ではないのだが……しかしこれも使命ゆえ、退屈など存在しな──」

「このあたりの小説を読むと良いですよ、若者向けの読みやすいものです。こういうのは神殿じゃ読めませんでしょう?」

「貴女は本当に、本のこととなるとすぐ典範を逸脱しようとする……悪い癖だぞ」


 ずらりと並んだ本棚にはしゃぐハイロが可愛いなと思っているといつの間にかぼんやりしていたらしく、肘のあたりに添えられた手をくいと引かれる。

「行きますよ、勇者殿」

「なあ、ここで勇者殿はちょっとさ……シダルって呼んでくれないか」

 認めよう、名を呼んで欲しい下心もあってそう要求したが、ハイロはあっさりとそれに首を振った。


「何を仰っているのです。この書架の国は、神殿の敵となる可能性が高いとお教えしたでしょう。指名手配目的で神殿から知らせを受けたリオーテ王家が、『我々はいついかなる時も賢者殿のお考えに続くものである』という正気の沙汰ではない表明をしたことをご存知ないのですか。貴方が勇者であると、皆さんご承知ですよ」

「あー、うん。知らなかったけど、納得だな」

「この馬鹿げた文句といい、あからさまに神殿を敵に回す態度といい、学問の国と名高いリオーテとは思えない。何かあるに違いありません」

「いや、何もないと思うけど」

「なぜ」

「なぜって、そりゃ……」


 簡単に神殿のことを口に出すが、何か術を使っているのか先導する城の使用人や騎士達には話が聞こえていなさそうだった。が、賢者のところまでは話が届いているらしく、腕にご機嫌の妖精をひっつかせながら凄い目になっている。


 勇者はそれを苦笑しながら見ていたが、その時ハイロがぽつりと独り言のように話し出したので、少し灰色っぽい金の頭を見下ろした。

「それに……そうでなくとも、その名はお呼びできません。我々にとっての貴方はただ排除すべき異端である、それだけなのです。勇者殿ベル・ブライテル


 冷たい言葉だったが、その表情とその声で言われると──まるでそう呼んでいないと情が湧いてしまうという風に聞こえてくる。せっかく少し明るかった瞳が再びガラス色に戻ってしまったので、勇者は悲しくなって右手を伸ばすとハイロの頭を撫でた。


「そうか……ならそれでいい。俺は気にしないから、元気出せ」

「元気を、出せとは」

 ハイロが勇者の手を払いのけながら、訝しげに見上げてくる。その顔が少し「触るな」と言っている時の賢者に似て見えて笑った。


「いや、なんでもない」

「そうですか」


 いよいよ大広間の扉が開いた──と思ったが、その会場がポツポツと小さなロウソクの明かりが灯されているばかりで薄暗く静まり返っていたので、勇者はきょとんとして案内の従僕の方を振り返り、そして勢い良く広間に視線を戻した。薄闇の中で壁際に並んだ給仕が一斉に壁に手を当てた途端、ざあっと淡い黄色の光が走って天井に取り付けられた魔石のシャンデリアが煌々と輝いたのだ。


 突然きらびやかに輝き始めた大広間は、青い大理石を磨き上げた美しい床にキラキラと天井から輝きが落ちて、そこへ色とりどりに着飾った人々が花畑のように大勢並んでこちらを期待の目で見つめていた。賢者が一歩踏み出すと、楽団が流れるように美しい曲を演奏し始める。舞曲ではなかったが、様々な楽器が音を重ね合って一つの音楽を作るのを初めて聞いた勇者は、思わず体を揺らしたくなるようなその音にうっとりと耳を傾けた。


 会場の中央に向かって進むと皆が賢者を輝く瞳で見つめ、そしてその隣の魔法使いの美しさに息を呑んでため息をついた。「白眼の民」からの無数の視線に精霊姫がちょっぴり涙ぐみ、潤んだ瞳がさらに美しさを増して皆の視線を釘付けにする。


 そしてまもなく大広間の中央に足を踏み入れるという時、楽団の音楽がどこか厳かなものに変わった。いかにも偉い人らしい立派な服を着た男性が古語で何か呼ばわると、広間の奥の階段から王家の人達が姿を現す。まさに童話の挿絵そのままのような白い服の──隣でひそひそと解説してくれるハイロ曰く第一王子が、ミロルが着ているのと似た形の薄紅色のドレスを纏った姫君を連れて階段を降りてくる。王子は三人兄弟らしく、その後ろから少し間を開けて弟と思われる王子が二人、それぞれドレスの少女を連れて姿を見せた。その歩みは流石王族といった感じで堂々と立派なのだが……いかんせん視線がキラキラと賢者を見つめているので格好がついていない。


 その後から特別立派な服を着た王と王妃が現れて広間まで降りてくると、魔法使いを促して礼を取った賢者と古語で何か話し始めた。人に化けた妖精を腕に縋りつかせながら賢者は精一杯愛想の良い顔で会話していたが、突然ストンと表情が抜け落ちたような、勇者達から見ると絶望の淵に突き落とされたような顔になる。


「……始めの一曲は、通例ですと第一王子とご婚約者様が代表で踊られるのですが、今宵は賢者殿にお願いしたいと王直々に頼まれたようですね」

「……それは、また」


 思わず同情のまなざしを送っていると、踊る前から既に精魂尽き果てた顔をしている賢者がいつもより幾分精彩に欠ける仕草で魔法使いを舞踏に誘う。魔法使いが差し出された手を握ると、二人で人の輪の中央へ進み出た。


 ハイロ曰く「百合舞曲」というヴェルトルートの舞曲らしい。勇者が教わったこちらの国の曲とは違う六拍子の音楽に合わせて、賢者が精霊姫を抱き寄せてぐるりと回した。人の視線に怯えていた魔法使いの瞳がふにゃりと幸せそうに細められ、片腕を優雅に伸ばして背中を反らしながら、今にも星をばら撒きそうな雰囲気で踊り出す。


「……賢者殿はともかくエルフの魔法使い殿はどうなることかと思いましたが、とてもお上手ですね」

 ハイロが驚いたように言う通り──賢者の目が虚ろに死んでいることに目を瞑れば──ずっと見ていたくなるような綺麗な舞踏だった。黒いマントと星模様のドレスがくるりくるりと優雅に翻り、それも技量なのかそれとも賢者がいつもより脱力しているのが良いのか、魔法使いのふわふわした独特の感性にぴたりと合わせて、まるで夢の世界で踊っているようにそこだけ時の流れが違って見える。


 あっという間に感じる一曲が終わり、次は王族が入ってもう一曲ヴェルトルートの花の名前の舞曲が流れ、ようやく踊りの輪を抜けられるとホッとした顔をしている賢者を見て笑う。そしてついに三曲目の前奏が流れ始めたのを聞いた勇者は、できるだけ表情を引き締めると片手を胸に当て、片手を差し出して恭しくハイロを舞踏に誘った。





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