五 お、俺、俺と、舞踏会に




「ルシュ、ルシュ……ふわふわ、かわいい」


 馬達を置いていた小さな花畑の端の方で苔を食べている鹿に縋りついて、魔法使いが淡い緑色の艶やかな毛並みに頬ずりを繰り返す。鹿の方は全く何を考えているのかわからないが、ちらりと魔法使いを振り返って一声キュッと鳴くと、一際大きい苔の塊を口に入れてもぐもぐした。


「うん……おいしいね」

「おい、そろそろ行くぞ」


 かれこれもう一時間もそうしているので流石に飽きてきて声をかけると、魔法使いは振り返ってなんだか物悲しい感じで耳を下げた。

「ここに……泊まりたい」

「いいけど、花屋は付き合ってくれよ?」

「花屋」


 ぴょんと耳を立てた魔法使いが立ち上がって、早く行こうと勇者の腕を引いた。しばらく森の中を歩いて通行証を見せつつ門をくぐると、大量の植木鉢が並べられている店を目指して大通りを進む。


 花束にする切り花を売っている場所だと聞いて桶に花がたくさん入れてあるような店を想像していたのだが、どうにも花屋の中は勇者が思い描いていた光景と違って、まじまじと店内を見回した。よく磨かれた木の棚の上に桶のようなものが並んでいるのは想像通りだが……その桶は透明なガラス製の上、中に入っている水は奇妙に青白く光っているし、魔力の気配がすると思ったら、厚みの不均一なガラスを透かして桶の底にぼんやり魔法陣が見えた。


「なんか……すごいな」

「花が……長持ちする魔術だね」

「水につけときゃいいってもんじゃないんだな……」

「そうだね……摘んでしまったものだから」


 切り花なんて残酷だと魔法使いが泣くかと思ったが、彼は「お花はね、少し摘んだ方が……株が長生きする時もあるよ」と案外平気そうにしていた。


「星の色みたいな花、ないかな」

 勇者がそう魔法使いに尋ねながら辺りを見回すと、花選びを手伝ってくれる花の妖精が小さく首を振った。


「光るのは珍しい花だから……ここには、気配がないね。勇者が渦を与えながら育てれば、どれでも金色になると思うけれど」

「へえ、それ面白いな……でも今は時間がないから、この中ならどれがいいと思う?」

「……これ」


 魔法使いが指差したのは、固く閉じた白薔薇の蕾だった。

「白は……愛の色だから」

 そしてそんなことを言うものだから、勇者は恥ずかしくなってもごもごと言葉にならない言葉をいくつか喋ると、羞恥心を振り払うように魔法使いへ問いかけた。


「咲いてるのじゃなくて、蕾か?」

「エルフは、蕾を渡すよ……受粉、してしまってる花じゃ、だめなの」

 受粉という言葉をこの上なく恥ずかしそうに小声で言うのは、やはり花の妖精だからだろうか?


 もしかしてエルフは木の実から生まれてくるんじゃないだろうな……とじっと見つめるが、見れば見るほど、母親の胎というより大きな胡桃くるみの中からとか、花の蕾の中からとか、そういうところから生まれそうな生き物に見えてくる。


 受粉に関する妖精の感性はあまり参考にならなかったが、とはいえ大輪の花より真っ白な蕾の慎ましやかな姿の方がハイロに似合う気がしたので、一本だけ買ってやわらかい灰色のリボンをかけてもらう。店員に「白薔薇にこの灰色ならば、ワイン色や金色のリボンを合わせると綺麗ですよ」と勧められ、少し迷って、顔を赤くしながら糸のように細い赤みがかった金のリボンを一緒に結んでもらった。


 ついでに隣の菓子屋で林檎のタルトを手に入れてから、宿までの道を戻る。白亜の城が見えてきたくらいで人気のない路地裏に入って「ハイロ、いるんだろ?」と呼びかけた。特に気配を感じたわけではなかったが、まあいないのならば聞こえないのだから問題ないだろう。


「……またですか。足音を消して、体外魔力を押さえていますのに」

 ぞろりと魔力の動く気配がしたかと思うと、角の向こうに華奢な審問官の姿が現れた。パッと胸を押さえた勇者が「いや。わからなかったけど、こう言えば出てくるかなと思って」と言うと、少し驚いたように唇を開いて悔しそうに顔をしかめる。


「か、可愛い」

 思わず口に出してしまって慌てて口を押さえたが、ハイロは聞こえていなかったのか何の反応も示さなかった。それにほっとして息をつくと、彼女の隣にもうひとつ人影があることに気づく。


「あ、フラノもいたのか。すまん、今日は干し肉持ってないや。また今度な」

 熱くなった頰を手の甲で冷やしながら言うと、フラノはほんの少し口元を動かして無表情で首を振った。


「気遣いは無用、だそうです」

「んー、でも美味かったろ? ちゃんと食ったか?」

 笑いかけると、槍を背負った火の第一異端審問官は困った顔でフードを少し深く下げ、微かに頷いた。


「でさ……ハイロ、あのさ……」

 本題に取り掛かった勇者が花を背に隠したままもじもじしていると、ハイロが訝しそうにこちらを見た。


「おや、罠を張って誘き出すなど器用なことをなさるようになったと思えば、私に何かご用事ですか?」

 少し馬鹿にしたような意地悪な話し方も可愛いが、どうにも賢者の言い回しに似ている気がする。もしや気の神殿の人間は皆こうなのだろうか。そう照れをごまかすように考えると、勇者はぐっと腹をくくって恋しい人に一輪の薔薇を差し出した。


「……お、俺、俺と、舞踏会に行ってくれないか!」

 驚くだろうか困惑するだろうかと想像していた彼女は予想に反して視線を鋭くすると、低く抑えた声で勇者に問うた。

「……舞踏会。王宮のですか」


「あ、ああ……七日後、王家主催の。俺の、パートナーと、して、あの」

 あまりの気恥ずかしさに言葉が続かない。訝しげに見るばかりで彼女が花を受け取ろうとしないので「こ、これ、お前に」と言うと、不思議そうに首を傾げながら受け取り、さっと手をかざして灰色の魔法陣で何やら調べた。


「……ただの薔薇ですね」

「お前に、似合うと思って」

 それを聞いたフラノがじっと花とハイロを見比べ、「確かに」みたいな顔でひとつ頷いた。


「……はあ、ありがとうございます。何をお考えなのかわかりませんが、花を贈って頂いたのは初めてです」

 まだ不可解そうな顔のままそう言ったハイロの瞳が蕾を見つめてほんの少し和んだので、勇者はもうその幸福感だけで思い残すことはないような──賢者が一言話す度に感極まるこの町の住人の気持ちが初めてわかった気がした。


「して、何ゆえ私を舞踏会に……ああ、女性のお知り合いがいらっしゃらないのですね。確かにガレよりは私の方が誘い易いかもしれませんが、それにしても呑気なお方だ。私はソロの直属の部下に当たるのですよ? 審判の宣言なしに隙をついて貴方を害するとはお思いにならないのですか」


 やはり静かな声はどこか勇者を馬鹿にしていたが、しかし容赦なく切り捨てられると思っていた勇者は、未だ彼女の口から断りの言葉が出てこないことにうずうずと希望を抱いていた。


「君と行きたいんだ……」


 渾身の愛を込めて懇願したが、ひんやりした美貌の異端審問官はどうということもなさそうにそれを聞き流した。


「左様ですか……しかし私はこれでも神殿の異端審問官でして」


 彼女がちらりとフラノを振り返る。フラノはその視線を受けて考え込むように腕を組み、少し眉を寄せると何度か瞬きをした。するとそこから何を読み取ったのかハイロがこちらに向き直り、勇者に軽く頷いてみせる。


「わかりました、ご一緒いたしましょう」

「……ほっ、本当か!?」


 フラノは何を考えているのだろうと気を取られていて、一瞬反応が遅れた。今聞いた言葉が信じ難くて、舞い上がって良いものかどうか判断しかねる。


「ええ、構いませんよ。リオーテ王家は現在、スティラ=アネスの敵対勢力になり得る存在として少し注意深く見守らねばならないところ……大手を振って内部へ潜入する機会をいただけるなら、こちらとしても願ってもないことです」

「……けど、いいのか? さっきお前も言ってたけど、お前、神官だし……舞踏会なんて」


 勇者は思わず弱気になってそう尋ねながら、心の中で「──俺のばか! やめろって! あれこれ訊かずに話を進めちまえって!」と叫んでいた。とはいえ安易に連れていったことでハイロに苦しい思いをさせたらと思うと、確認せずにはいられない。


「だからこそです。異端審問官の身で、王宮の招待状を頂くことは決してできません。尚且つ、潜入するとなれば決して正体を悟られるわけにはゆかない。なれば、異性を伴って行くのが一番良いと思われませんか」

「あっ、えっ、うん……」


 ハイロが自分を異性と呼んだ、と勇者がそればかりぐるぐる考えていると、彼女は更に言葉を重ねた。

「それとも敵である私に、神への冒涜になるような真似をさせるおつもりなのですか?」

「ま、まさか!」ぶんぶんと激しく首を振る。

「でしょう?」


 そう言ったハイロがすっと片目を細くして好戦的に笑ったものだから、勇者は心臓をナイフで一突きされたような気持ちになって──狩人の前でそんな無防備な発言をするのも、そんな可愛い顔をするのも危険だと説教してやりたくなった。そして彼がそんな風によろめいている間に、彼女は言葉を続ける。


「ただし真っ当に社交をする気はございませんので、私は貴方とのはじめの一曲しか踊りませんよ」

「俺としか……」


 ぱあっと目の前が薔薇色になった勇者がふらっとして壁にぶち当たると、後ろで梨をかじりながら静かにしていた魔法使いがさっと果汁まみれの手で勇者の肩を支えた。


「どうしました」

「いや何でも……っと!」

 ハイロに答えようとしていたところにフラノが何かを放ってきたので、驚いて一瞬払いのけようか迷い、宙を舞うそれが小さな革袋であることを確認して受け止めた。


「……薬草?」

「その組み合わせは貧血に効く薬草ですね、調合前ですが……この人、少し変わっていますから」

「ああ、それはなんとなくそうじゃないかなと思ってた……ありがとな、大事に使う」

「しかし貧血ではないでしょう、どちらかというと顔は赤いですし」

「おい、せっかく気を遣ってくれたんだからそういうこと言うなよ……」


 顔の赤みを指摘されてさらに赤くなりながら、午後から宿の部屋に仕立て屋を呼んでいると告げる。

「あまり日付がないから既成のものを仕立て直すそうだ。ドレスはこちらで用意するから、採寸だけ付き合ってくれないか」


 勇者はもう浮かれに浮かれて上ずった声で彼女にそう頼んだが、しかしハイロは素っ気なく「いえ、衣装は擬態しますので結構です」と言った。


「ぎ、擬態」

「ええ、擬態。ああ、容姿のご希望はありますか? 髪の色とか、顔立ちとか」

「お前の顔のままがいい……」


 衣装を擬態するなんて夢も希望もないことを言い出したハイロに、しかし何と反論して良いのやらわからずよろよろしていると、それを見かねたのか魔法使いが初めて口を開いた。


「ファーロの場合、擬態は……もしばれたら、困るのではないの。魔術師も、たくさん来るよ」

「おや、そう言われてみればそうですね。しかし──」

「ドレスは……ヴェルトルートのものを頼んであるから、一緒に来るといいよ。こちらのお店で揃えると……夜会用は、胸元がとても開いたものしかないのだって」

「……お言葉に甘えます」


 魔法使いが彼女を見事言い包めた瞬間にぐっと拳を握ると、フラノが不思議そうにそれをじっと見たので笑って誤魔化しておいた。擬態で姿を消した二人を連れて小躍りしないよう慎重に宿まで帰り、部屋に入ってから擬態を解いてもらう。


「あ、おかえりなさい……勇者、その、あまり気を落とさず──わっ! いたのですかあなた達!」

 飛び上がって驚いた神官に勇者が吹き出した瞬間、視界の端で何か赤いものが跳ねた。反射的に短剣を抜きながら振り返ると、吟遊詩人に誘われて来ていたらしいミロルが、魔法使いと審問官達の間に身を低くして立ち──なんと、その両手に投擲用と思われる細いナイフが山ほど握られている。


「異端、審問官」

 狩人の本能がざわりとするほど警戒の込もった声でミロルが囁いた。青い瞳が猛禽のように爛々と光り、この小さな妖精のような少女が「鷲族」という獰猛な名にどれだけふさわしいか、勇者は初めて──


「ミロル……ファーロとフルーンはね、大丈夫」


 その少女の頭をつんつんと指先でつついて、魔法使いがのんびりと言った。ミロルが構えを解かないまま目をきょとんとさせ、勇者ががっくりして背後の二人の前にかざしていた手を下ろす。「何が大丈夫なのでしょう」とハイロが呟き、後ろでフラノが困惑したように武器を下ろす気配がした。


 皆の動向を無言で眺めていた賢者が、腕を組んで大きなため息をついた。





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