五 ぶどうの木



 野営の準備をするのも面倒で、心地良い神域の夜の中でぼうっとしていた。何とはなしに目を向けると、魔法使いが……銃弾がローブに開けた小さな穴に指を突っ込んで、肩をツンツンと触っている。はじめは傷跡を確かめているのかと思ったが、耳が楽しげに上下しているところを見ると、おそらく彼がいつも木の幹や木の葉に開いた穴をつついているのと同じだろう。賢者がその様子を冷たい顔で見下ろしているのに気づくとハッとして顔を上げ、そして耳を真っ赤にして照れながらおずおずと肩を差し出した。


「ルーフルーなら……いいよ」

 賢者は返事をしなかった。ただ冷たい目をさらに冷たくしただけで、当たり前だが布に開いた穴に指を突っ込んだりもしない。妖精が何を考えているのかはわからなかったが、もじもじしている彼が賢者のその表情に気づいたら悲しむだろうと思った勇者は、声をかけて気をそらすついでに先程の戦いで気になったことを尋ねてみた。


「なあ……『白眼の民』って何だ?」

「……なんでもないよ」


 魔法使いがなんだか気まずそうにしているのが珍しくてまじまじと見ていると、彼が答えないのを見て賢者が横から答えを教えてくれた。

「エルフの間で使われる、人間の蔑称だ。彼らの目は人間よりも虹彩が大きい為に、視線の動きが大きく見える人の目は気味が悪いらしい」

「違う……針葉樹は狼だから、かわいい」

「ほう、そなたも我々が人間だということは一応理解しているのか」

 焦ったように弁明する魔法使いへ、どうでも良さそうに賢者が返す。と、その言葉を聞いた白狼が「人間?」と言いながらのそりと立ち上がって賢者の匂いを念入りにかいだ。


 なんであいつは肩とか首筋ばっかりで、尻をかがれないんだ?


 勇者が不満に思っていると、巨大な狼は何を確かめ終わったのかフンと鼻を鳴らして諭すように言った。

「叡智の精よ、人の子の真似事をするならばもう少し影の気配を隠すことだ。白眼の割合も、それでは足りぬ」


 ウルグの言葉に魔法使いがうんうんと頷き、まあ確かに黒目勝ちな目をした賢者が──それが余計に彼の顔を怖くしているのだが──途方に暮れたような顔をする。それを見た勇者は「賢者が隠したいならば聞かなかったふりをしよう」と決意したが、隣に座っていた彼の主治医がくすくす笑いながら「ちゃんと人間だと思いますよ、聖霊って半透明ですし」と耳打ちしてくれたので、馬鹿な勘違いをせずに済んだ。


「話は戻るけどさ、つまり白眼の割合が多いから『白眼の民』なのか? 俺はこいつしかエルフを知らないが……まあ確かに、動物みたいな可愛い目してるけど」

 勇者が言うと、白い部分のほとんど見えない淡青色の目をしたエルフがピンと耳を立て、ぱあっと星の数を増やした。


「かわいい……撫でる?」

「おう、撫でる撫でる」


 いつものように笑って流そうかと思ったが、そういえば今日は「当番」だったことを思い出して頭を撫で回す。すると今度は打って変わって耳を寝かせてとろんと目を閉じた。


「ほんとに子鹿みたいだな、お前」

「……舐める?」

「舐めねえよ。俺は人間だってわかってるんじゃなかったのか?」

「狼……」


 そのまま勇者の膝に頭を乗せてすやすやと眠り始めた魔法使いを見ながら、賢者に尋ねる。

「なあ……こいつ確か二十代だって言ってたが、もしかしてそれくらいの歳ってエルフだと幼児だったりするのか? 五百年生きるんだろ?」

「いや、エルフの成人は二十歳だ。老いぬだけで、成長速度は人とそれほど変わらぬ」

「そうか……」

 思わず残念なものを見る目で見下ろしていると、それを見ていた賢者が小さな声で「もありなん」と呟いた。


「これ、すごく膝がぞわぞわするんだが、魔法使いはよく眠れるよな」

「そなたは肌に魔力経路が存在せぬだろう。右手で触らぬ限り不快感はないはずだ」

「……ん?」


 はじめはよくわからなかったが、つまり常日頃から魔力がだだ漏れな魔法使いに触れるからぞわっとするのであって、例えば経路のない勇者や、医者ゆえに魔力を一滴残らず厳密に制御している神官へ触れるのに魔力の相性は関係ないらしい。経路がないのになぜ魔法使いの魔力が入ってくるのかと尋ねたが、「河の水が河以外を流れればそれは氾濫だが、河に雨が降り注ぐのに道筋は必要ない」と言われて納得した。


「お前、説明上手いな……」

「難解を解きほぐし膾炙かいしゃを助くが生業なりわいゆえ」

「かいしゃ?」


 よくわからないが、最近言葉遣いがやわららかくなってきた賢者がこういう小難しい言い方をするのは勇者に意地悪をしている時か、ちょっと照れている時だ。意味を知らない言葉に首を傾げても説明してくれないから、今は照れているのだろう。


 だらだらと魔力について話をしながら水辺に寝そべっていると、そのまま夕暮れ時になってしまった。仲間達も皆同じような感じで、今夜は保存食で済ませるかと曖昧に笑い合う。


 やはり神域だからなのか、この場所では勇者でも太陽の位置が感じ取れない。しかし、すっかり真夜中にしか感じられないここでも今はもう時間がわかるのだと懐中時計の蓋を開いて微笑んでいると、賢者が居心地悪そうな顔で泉に手を差し入れて水面をちゃぷちゃぷ言わせた。


「おいで……光」

 そんななか、魔法使いが空中にふわふわ浮かんでいる光の玉の一つに声をかけた。彼が暗いところでよく使っている魔法だが、どういう仕組みなのか動かすときはこうして呼び寄せる必要があるらしく、全く格好のつかないことに「おいで、おいで」と子犬か何かを歩かせるように定期的に手招きしながら歩くのだ。


「どこ行くんだ?」

「果物……ぶどうの気配がする」

葡萄ぶどうの、気配……ええと、俺もついていっていいか?」

「うん」


 ウルグの縄張りならば獣の危険はないだろうと思ったが、審問官が潜んでいないとも限らなかったので念のため護衛についた。だからしばらくの間は呑気な妖精の分まで慎重に周囲を警戒しながら進んでいたが、夜の森の少し冷えた気持ち良い空気に段々と散歩をしている気分になってきて、勇者は聞きなれない旋律の鼻歌を小さく歌っているエルフに話しかけた。


「なあ、明かり消さないか?」

「……ん?」

「星が見たい」

「……ここからでは、見えないよ」


 梢に覆われた頭上を見上げて言う彼に首を振る。

「いや空の星じゃなくて、お前が引き連れてる方の星」

「……ん」

 魔法使いが肩のあたりに浮いていた光の玉を消すと、ふわっと……深い闇の中に、あえかな光を放つ星を纏った妖精の姿が浮かび上がった。


 予想以上の美しさに、思わず足を止めて見入る。キラキラと星がきらめく音が聞こえそうな静けさのなか、妖精の歩みに合わせて小さな銀色の花が足元の地面に咲き、か細い光で落ち葉を照らしては消えてゆく。その色のあまりの繊細さにじっと息を潜めていると、どこからかやわらかいミミズクの鳴き声が響き、一羽また一羽と音もなく魔法使いの肩へ舞い降りた。夜半の猛禽故の羽音なき飛翔だが、今はそれが幻想的なこの情景を余計に引き立てているように思えた。


 後で皆にも見せてやろうと思いながら、どうしたのかと不思議そうに振り返った魔法使いを追いかけて再び歩き出す。パリパリと落ち葉を踏みながら夜露の匂いがする森を進むと、そう遠くない場所に葡萄の木らしい影が見えてきた。泉の周りはいかにも冬といった感じで霜が降りていたが、神域の中でも端の方らしいこの辺りはまだ秋に近く、木の葉は赤いし果物も実っているようだった。


「ほんとにあった……」

 大木に絡みついた立派な蔓に、勇者は半分感心、半分呆れを滲ませて腕を組む。意識を集中して葡萄の気配とやらを探ってみるが、やはり何のことやらさっぱりわからない。


「上の方に、たくさんあるね」

 勇者の言葉に頷き返したエルフは、どうやら人間よりも随分と夜目がきくらしい。勇者がとりあえず頭より少し上に実っている一房をもいでいると、彼は真っ暗な闇しか見えない上の方を見て嬉しそうに耳を動かし、硬く木のようになった蔓に手を掛けてするすると登り始めた。


「あ、おい」

 妖精があっという間に登って行ってしまうと周囲が真っ暗になり、勇者は少し考えて右手に金の炎を灯した。木の上の友を見上げるとほぼ同時に魔法使いが勇者に向かってよく熟れた葡萄を一房落としたので、少し慌てながら掴み取って広げたマントに乗せる。


 そうしてしばらく降ってくる果実を潰さないように恐々マントで受けていると、すうっと冷たい風が吹いた。えも言われぬ不思議な心地良さに思わず立ち止まって目を閉じると、べしゃっと顔に一房ぶち当たって眉を寄せる。


「……ごめんね」

「いや、今のは俺が悪い。葡萄はこれくらいでいいんじゃないか? これだけあれば明日の朝もたくさん食べられるぞ」

「……ん」


 小さく頷く声がしたので彼が降りてくるのを待つ──寸前でこのエルフの木の降り方を思い出した勇者は、慌ててその場から飛び退いた。その一瞬後に木の上から銀色の影が降ってきて、危うく潰されるところだったと胸を撫で下ろす。とその時再び風が吹いて、あまりの心地良さに勇者はため息をついて陶然とした。


「こんな……なんて言うんだろう、しっとりして気持ちいい風もあるんだな。風の音が……何かが歌ってるみたいな綺麗な音がする」

「エルフ語だと……こういうのは、スフローラスラーラと言うよ……夜露でよく冷えた、歌う風」

「ラが多いな」

「うん……エルフトは風の神様だから、神域の風は、とても丁寧に吹くね」

「ああ、なるほど」


 涼しくて気持ちいいとか、いい香りがするとか、そういう風とは次元が違うこの感じは、気の神の領域だからだと言われると納得がいった。エルフト神ならば叡智と、夜と、冬と、風と……一柱の神があまり関連性のなさそうなものを色々と司っていることになんとなく違和感を感じていたが、それを全て合わせるとこの神域の景色が出来上がるのだと思えば、その違和感はただ自分の考えが浅かっただけなのだとよくわかる。


 そんなことをぼんやり考えながら来た道を戻っていると、魔法使いが最後にもいだ葡萄の一房を大事に抱えているのに気づいて視線を投げた。

「乗せるか?」

 マントに包んだ果実の山を視線で指して尋ねると、魔法使いはふるふると耳を揺らしながら首を振った。


「ううん……これは、賢者にあげるぶどうだから」

「賢者に?」

「うん……好きなの」

「はは、あいつが好きなのは林檎じゃないか?」


 素っ気ない仲間の餌付けに余念がないと笑っていると、何やら「内緒、内緒だよ」ともじもじしていた魔法使いがきょとんとして首を振った。


「ぶどうではなくて……僕が、賢者を好きなの。番にしたいから、果物をあげないと」


「……はい?」

 妖精が全く思ってもみなかったことを言い出したぞと勇者は己の耳を疑ったが、頰を赤くしながら幸せそうに葡萄の房を撫でている友を見つめ返した彼は……止まった思考をなんとか動かして、ひとまず思ったことを口に出してみたのだった。


「果物をやって番にって……いや、鳥かよ……」





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