第三章 学問の国

一 王都の時計門



 次の日、別れ際に朝一で狩った猪をウルグ達へ渡してから街へ向かった。理知的に見えるとはいえやはり動物なのか、新鮮な血の匂いがする獲物を前にした彼らはあっという間に食事に夢中になって、別れを告げる勇者のことなどまるで見ていなかったのが少々心残りだ。


 勇者はレタに乗ってのんびり森を歩きながら少し眉を寄せ──昨晩大事に抱えていた葡萄を受け取ってもらったからか、鹿の背の上で機嫌良さげに長い耳をぴょこぴょこさせているエルフをじいっと見た。目が合った魔法使いが唇の前に指を立てたのでうんうんと頷き返したが、何が気に入らないのか恥ずかしそうに小さく首を横に振る。


 番にしたいって、言ってたよな……。


 ならば魔法使いは女だったのだろうか? ふとそう考えた勇者は妖精の顔をもう一度ようく見て、やはり絶妙にどちらかわからないなと首を捻る。

 しかしまあどちらであれ──つまり性別や種族云々以前に、あんな気難しさの塊のような人間を伴侶にしたら絶対大変だ。そう苦笑して、勇者は何か考え事でもしているのかやたら怖い顔で手綱を握っている賢者へ視線を動かした。


 人間に対しては強固に情報を秘匿するというエルフ族については、どうやら流石の賢者も知らないことが多いらしい。排他的な性格も手伝ってか、彼らの恋の作法については全く知識がないようで、小鳥のようにせっせと木の実を貢ぐ魔法使いの求婚には露ほども気づいていないように見える。できることなら一途なエルフの恋は応援してやりたいが……いかんせん相手が悪いというか、淡泊を超えて無機物じみているあの男に恋愛感情なんてものが備わっているのか甚だ怪しく、安易にふたりきりにしてもあいつは幼気な妖精をいきなりバチンと叩いたりするので、つい先日から片想いの初恋にのぼせ上がっているだけの勇者にはどうしようもないのだった。


 しかも魔法使いは魔法使いで、あのあと内緒内緒としつこく念を押したところを見るに、どうやら恋心を賢者に知られるのは恥ずかしいらしい。なのに番にしたいと耳を震わせながら給餌を繰り返しているのは、本当に意味がわからない。賢者はお前と違って鳥ではないのだから果物は主食じゃないし、立派な獲物をくれる奴に恋するなんて本能は備わっていないと一応教えてやったが、その返事は「……ん?」だったので、残念ながらあまりわかっていなさそうだ。


「ねえ勇者……もしかして、気づいた?」

 その時突然、吟遊詩人にひそひそ声で話しかけられてパッと振り返った。素直に頷けばいいのか知らないふりをすれば良いのか、いやもしかすると全然違う話かもしれないとぐるぐる考えた上で、とりあえず「な、なんのことだ」と引き攣った笑いを浮かべてみる。


「わかってたけど、隠し事下手すぎでしょ。もしかして口止めされてるの? 魔法使いに、内緒にしてくれって」

「おれは、なにもしらない」

「……勇者に秘密を打ち明けるのは絶対やめとこう。でも可愛いよね、小鳥みたいに果物貢いじゃってさ」


 吟遊詩人から見てもやっぱり鳥なのか……と思っていると、耳の良い魔法使いがこちらを見ながら目を丸くして「なんで……知ってるの」みたいな顔をしていたので、代わりに小声で「いつから気づいてたんだ?」と尋ねてやった。


「勇者と違って人参じゃないからね、そりゃ気づくよ。視線が全然違うじゃない」

「視線……人参って何だ?」

「恋愛にとっても初心うぶな人のこと。あ、でも方言かもしれないな」

「……で、いつだ」


 むすっとしながら勇者が訊くと、吟遊詩人はそれが嬉しかったのか、いつも勇者に悪戯を仕掛ける時と同じ顔で笑いながら答えた。


「いや、そうかなぁと思ったのは僕もわりと最近なんだけどさ。それこそ船に乗ってからくらいかな……今日は賢者が当番だから、勇者もこっそり見てみるといいよ。星の話を聞いてる時、賢者の横顔を見つめてさ、ほんとに……宝石みたいに瞳をキラッとさせるんだ。それ見てると、ああ、彼を宝物みたいに思ってるんだなあって」

「……そうか」


 それを聞いた勇者は、魔法使いに「そんな風には見えないが、賢者は一応人間だぞ」とか念のため教えてやろうと思っていた計画を全部、丁度そこにあった緑の沼に放り捨てた。そんなのは全部お節介で、野暮でしかなかった。そう、勇者だってハイロが「人間の女」だから、ほ、惚れたのではないし、彼女の生まれがどうとか自分の子を産むとか産まないとか関係なく、あの星の瞳が手に入るのならば何だって良くて──


「あ、う……」

「ねえ、なに急に耳まで真っ赤になってるの? え、ちょっと、僕が先を楽しみにしてる星好きな妖精と気難しい天文学者の清らかな恋物語に何を想像したのさ! 最低!」

「違う違う! 俺がハイロを好きな理由を考えてた、だ、け……」


 思わず声が大きくなってしまったことに気づいて恐る恐る周りを見回すと、仲間達が一人残らず勇者に注目していて、自分が今どんな台詞を口にしたか思い返した勇者はもう、もう──


「それで、どうしてお好きなんです?」

 微笑ましげな神官が自覚なくとどめを刺しにきたので、勇者はもう諦めて彼にやられようと口を開いた。

「瞳が……綺麗だから」





 すっかり恥ずかしくなってしまった勇者の顔色がようやく元に戻った頃、森を抜けて馬車の轍が目立つ広い道に出た。賢者によると港町と王都を繋ぐ道なのだそうで、図書館と博物館、学校に本屋ばかりだという小さな国を彼はとても楽しみにしているようだった。


「道に出ちまったけど、もうちょっと魔獣狩っとかなくて良かったか?」

「……何ゆえ」

「いっぱい買いたいだろ? 本」


 それを聞いた賢者は、瞬きよりも短い、ほんの僅かな間だけちょっぴり優しい目をして、そしてフンと意地悪な顔で口の端を上げた。


「その『いっぱい買った本』は大変な荷物になるが、全て馬に運ばせる気か? それともそなたが抱えて走ってくれるのかね? 図書館で少々閲覧の時間を得られれば充分だ」

「そうか? ならいいけど……あ、あれが門か」


 少し向こうに、煉瓦造りの……門というよりは時計台と呼びたくなるような小さな塔が二本立っていた。左右の時計の片方は時針と分針、もう片方は読み方を知らないが、きっと日付か何かを指し示しているのだろう。賢者の持っている時計は針が七本くらいあるが、そうすると星の動きとか暦だとか、色々なものを計れるようになるらしい。そんな風に遠くからでもよく見える大きな時計が二種類、門の上部に取り付けられているのだ。


「リオーテ=ヴァラの時計門だ。独特の意匠ゆえ、門でありながら観光名所でもある」

「へえ……確かにそう言われるとかっこいい門だよな」


 右側、勇者が読める方の塔の一階部分には少し大きめの窓があって、受付台なのか、その中に座っている文官風の帽子を被った若い男が窓の横に寄りかかりながら槍を片手に立っている門番の男と談笑していた。人や馬車が通ると、喋りながらちらっと視線を上げて通行人が見せている木の札のようなものを確かめ、軽く手を振って通らせる。


「あの通行証みたいなの、俺達も持ってるのか?」

 賢者に尋ねると、彼は軽く首を振ってアルザから飛び降りた。旅に出た時よりも体力がついたからか、最近動作が身軽になってきた気がする。


「少々手続きに時間を取られる可能性はあるが、身分証明で通行できる。問題ない」

「またその指輪か?」

「いかにも」


 話しているうちに順番が回ってきたので、それぞれフードや帽子を取って窓の前に向かう。談笑していた受付の男はそれを見て少し面倒そうな顔をしたが、しかし進み出た賢者の顔を見るなり目をまん丸くして、ガタンと椅子を蹴り倒しながら立ち上がった。


 国が変わってもやっぱりあの目は怖いよな……と思っていたが、どうやらそうではなかったようだ。無言で口をパクパクしている受付の男を見て怪訝そうにした門番がこちらに目を向けて、そしてカランと槍を取り落とす。


「も、も、もしかして……人違いでしたら、失礼なのですが……幻遷げんせんの賢者様、であらせ、られ、ますか」

「テルファ──」


 小さく囁こうとした魔法使いの口を吟遊詩人がさっと塞いだ。賢者が少し嫌そうな顔をしながら頷くと、二人はあわあわと手を取り合って無意味にその場で慌てふためいた。


「マジ、マジか! どどどどうしよう、国賓の来訪予定なんて聞いてないぞ」

「とりあえず、とりあえずご挨拶だ、失礼のないように」

「……旅の途中に立ち寄っただけだ。通行証を持たぬ故、手続きを頼みたいのだが」

「賢者様が旅ですって!? それで我が国を訪れたって、そんなの、そんなのもう伝説じゃないですか!」

「──あの、すみませんが、賢者様は長旅でお疲れなのです。早めに手続きをお願いできますか? それに、あなた方も叡智の指輪を見たいでしょう?」


 賢者がこれ以上ないほど嫌そうな顔をしたのを見かねたのか、優雅な動作で進み出た吟遊詩人が興奮している男達に厳かに声をかけた。一見して盲目の少女に見える彼がそんな風に喋ると只者ではなさそうな神秘性があって、二人が面食らったように口を噤む。それを確認してしずしずと後ろに下がった吟遊詩人が、勇者の方を向いて楽しそうに小さく舌を出した。


「流石賢者様……お付きの方も、なんか凄い」


 門番の方が小さく言った言葉を聞いた賢者が「恐ろしいまでに知性を感じさせぬ感想だな」みたいな顔をする。が、どうやら仲間以外の人間は特にからかって遊ばないらしい彼がそれを口に出すことはなく、無言で受付の前に右手を突き出すと、人差し指に嵌まっている指輪に魔力を込めた。


 幅広い指輪から丸い宝石を引っこ抜いたような変わった意匠の指輪は、どうやらよく見ると細かく文字が彫り込まれていたらしく、影色の魔力を流し込まれるとその文字がくっきりと黒く浮かび上がった。おお、と思いながらそれを覗き込んでいると、ぽっかり開いている穴を埋めるように、極小な黒い魔法陣が描かれた。


「すげえ……」

 思わず呟くと、門番と受付の二人が揃ってこくこくと頷いた。それで身分の証明は終わったらしく、紋章のようなものが焼きつけられた木札を受け取る。


「あと……もし良かったら、サインを頂けませんでしょうか」

 震える手で差し出されたペンを受け取った賢者が視線で書類を探すと、受付の男が「いえ……ここに」と白紙の羊皮紙をそっと机に置いた。


「あの……ルシオへ、と書いていただけると、その」

「おい、ずるいぞ! 俺も、俺もお願いしますトルムセージ! おいルシ、紙くれ!」


 そうして死んだような目になった賢者が言われるがままにさらさらと紙へ古語で何か書きつけ、喜色満面になった二人に宿の紹介状やら図書館の入館証やら色々待たされると、一行は門を後にしたのだった。


 因みにこれは余談だが、門番達がヴェルトルート語で話している事を不思議に思った勇者が、震える字で紹介状を書いている受付の男に「この国は古語が公用語だと聞いてたが……」と問いかけると、彼は「護衛殿の仰る通りですが、歴代の賢者様の論文を拝読し、そしていつかはヴェルトルートの学会へ出席するという野望を叶えんがため、この国の者の大半は根源語を習得しております。ご滞在にご不便はないかと存じますが、何かございましたらこのルシオまで! 全てお望み通りに手配させていただきますゆえ……!」と何やら賢者を神でも崇めるような目で見ながら長々と喋った。


 明らかに「賢者様とその御付き」みたいな目で見られていることを勇者はどちらかといえば面白がっていたが、学問の国と名高いこの地を楽しみにする気持ちがすっかり消え失せてしまった様子の賢者は、少しかわいそうだった。





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