四 銃声



 馬達は神域に置いてきた。真夜中から夕暮れ、夕焼けを抜けて真昼の森に出ると、眩しさに目が……眩むことはない。賢者の指示で、道中魔法使いが強く輝く光の玉を頭上に浮かべていたからだ。


 神域の周りに散らばっているらしい審問官のうち、勇者達がはじめに出くわしたのはガレだった。彼女は例の黒い靄に包まれた変な馬に乗ったまま警戒した様子で背中の槍に手を掛け、素早く首に下げた笛を吹く。「ビーッ!」と、鋭く耳に刺さるような大きな音が響き渡り、驚いた魔法使いが「ぴっ」と謎の鳴き声を上げて耳を押さえると涙目になった。じっとこちらを睨むように見据えていたガレが、それを見て少し拍子抜けしたような顔になる。


「あー、こいつさ。大きい音が苦手なんだ」

「……それは、すまないことをした」


 勇者が解説してやると、赤マント達の中でも一番厳しそうな異端審問官が困惑した顔で魔法使いに向かって言った。今まであまり武器を持って戦っている印象のなかった彼女だが、こうして見るとやはり、隅々まで神経の行き届いた身のこなしは只者ではない。


 とその時、少し間抜けな沈黙が流れている森の片隅へ、影から滲み出すようにふらりとハイロが現れて、勇者はもう、もう、そのことだけで頭が一杯になってしまった。少し小柄な六本脚の黒霊馬こくれいばに乗っていて……普段の歩き方もしなやかで綺麗だが、後ろで束ねた髪が風にたなびく乗馬姿は女神のように美しい。


「ガレ、遅れました。ご無事ですか」

「流石に早いな、ハイロ。警笛の前に居場所を突き止めたか。この異端者達はありがたいことに、今のうちに数を減らしておこうとは考えないらしい。全く無傷だ」

「それはなによりです」


 女の子同士、仲が良いのだろうか。物静かなハイロと凛々しいガレが少し気安い様子で会話をしているのは、声音も表情も淡々としているのになんだか微笑ましいような気がしてくる。そう思いながらじっと恋しい人を見つめていると、後ろから背中をつついてきた吟遊詩人に「顔、緩みすぎ。気持ち悪いと思われるよ」と囁かれてしまった。


 そうしている間に、森のあちこちから審問官達が少しずつ集まり始めた。ライとフラノが現れ──そして大きな樫の木の向こうに濃灰色のマントが見えた瞬間、魔法使いから濃い魔力の気配が立ち昇り、敵も味方も驚いて彼を凝視した。


「魔法使い?」

 白金色のエルフが、気の審問官の……名はソロだっただろうか? 怖くなるくらいに痩せ細った男を見据えてきつく目を眇めた。大人しい妖精のそんな表情を初めて見た勇者は驚いたが、仲間達はその視線に何か思うところがあったようで、皆がなぜか勇者の前にさっと歩み出て視線を鋭くする。


「……淀みに穢れし白眼しろめの民よ。私の群れに仇なすならば、次はそなたが、そなたの愛玩する魔竜と同じ目を見るぞ」

 矢のようによく通る凛々しい声が、鋭く木々の間を響き渡った。


「……へ?」

 ぽかんと口を開けた勇者が呆然と見つめると……聞き間違いでなければ流暢なヴェルトルート語で喋った魔法使いがすっと虚空に手を差し伸べ、そこに現れた銀色の光の弓を美しい姿勢で引き絞った。


「お、おい! 魔法使い! お前はダメだろ、攻撃しちゃ」

「針葉樹、離して。罰を受けてもいい、次は君を守る」

「やめろって! というか急に流暢だが、俺はやっぱり針葉樹なのな」

「やめないよ」

「よしなさい……そのようなことを言わせるために言葉を教えたのではない」


 しかし賢者が押し殺した声で言うと、魔法使いは審問官を睨んだまま大人しく光の弓を消した。それをじっと睨み返すように魔法使いと勇者を交互に見ていた濃灰の男が、何か返事をするように口を開いて──


「──魔竜とは何の話だ、ソロ」

 ライが訝しげな顔でそれを遮った。確認するようにガレを振り返り、彼女が短く首を振る。


「三頭の魔竜に襲撃されました。円環杖を持った根の装束の人間がそれぞれ背に乗り、気の術で操っているようでした。審判の宣言はなく、ただ魔竜が勇者を踏み潰し、喰らいつき、魔獣の凶暴性でもって蹂躙じゅうりんしました」

 神官が怒りを殺した声で淡々と語るのに、ガレが「何だと?」と呟いてソロを疑わしげに見た。


「魔法使い殿も審判の対象に含めるとしつこく言っていたのはそれか、ソロ? 汝の独断で行われ、審判ではなく襲撃に使われた魔獣を彼が返り討ちにしたと? 人の世に関わりなく生まれた獣を、人の都合で暴力に利用したのか?」


 厳しい顔で睨むガレに、ソロはハッと口を開けて彼女を嘲笑った。

「これだから火の者は……慣習に囚われ融通の利かぬその頭脳は、いずれ世界の腐敗を招く一助となります。審判は宣言を成した上で火の槍によって清廉に行わねばならぬと、勇者はそのような冗長で制圧できる相手ですか? 世のために何を為すべきか、よく考えなさい」


「善を成す為ならば自身が腐り果てても良いと、そう申すか!」

「何を激昂しているのです。今、そのような内輪の論争をする場面ですか? ──やりなさい、まずはエルフを無力化します」


 命ずるその言葉に、聖剣を抜きながら飛び出した勇者がフラノを警戒したのは失策だった。

 パンと乾いた音が響いて、素早く視線を向けると魔法使いが肩を押さえてよろめいていた。次いで音がもう一度、今度は反対側の肩から血が噴き出して弾かれたように数歩後ずさる。


「魔法使い!」

 誓ってもいい、魔力の気配はなかった。何が起きたかわからず、敵の間に視線を巡らせている間にもう一度破裂音が響く。


 どこだ、どこから攻撃された。何が起きた──!


 三度目の音が響いた時、焦げ茶のマントを着た一人が持っている小さな筒のようなものが煙を上げたのを見つけ、そこへ向かって突進した。木の陰ゆえに弓は不向きだ。距離を縮め、魔力の届く範囲に入った瞬間に魔吼を放つ。とその間に、不可視の魔法を遮ってフラノが飛び込んできた!


 血のような赤いマントの全身を金色の炎が取り巻き、そして絡みつくように燃え上がりながら、魔法は火の審問官を超えて背後の男へ襲いかかった。焦ったように振り返るフラノには傷ひとつなく、背後の男が筒を持った腕を炎に包まれて絶叫する。それに濃紺のマントを着た男がすぐさま術で水をかけるが、浄化の炎はむしろ勢いを増して燃え盛った。その腕が指先から少しずつ消滅してゆく様子に、審問官達が目を剥いて焦った顔をする。


 仲間達を振り返ると、両肩を負傷した魔法使いが神官に治療されていて、妖精を三発目から庇ったのか脇腹を押さえた吟遊詩人がその隣に座り込んでいた。皆の前に立った賢者が赤く光る盾をかざしているが、火を持たない彼にとっては魔力消費が大きく、額が青褪め始めている。


 それを見た勇者は身を翻して彼らの方へ走り、そして賢者の前に滑り込むと右手を前に突き出した。じっと息を整え、焚き火を囲んで戯れに教わった紋様を、隅から隅まで脳裏に思い描く。


「フルム=スクラ」


 右手の傷跡から描き出された赤い光の顕現陣が、きらりと一瞬ガラスの板のようにきらめいて魔力の盾になった。それを目にした賢者が、目を丸くして術を使っていた腕を下ろす。


「そなた、盾は好かぬと」

「うん。でも、守るために戦うって決めたからな」

「……シダル」

「魔法使いは」

「命に別状はない」


 魔力の量は賢者よりも少し劣るくらいだが、火の魔力を持っている勇者の方がずっと効率良く盾の術を使える。それをフラノがじっと見つめ、そして視線だけで周囲をチラリと見回して、槍を構えるとその先に炎を灯しながら走ってきた。ビィンと音を立てて魔力の盾が槍を弾いたが、派手な動きのわりにあまり力が込められていない。


「フラノ、お前」

 視線をぐっと強くしたフラノの唇が小さく動いたが、何も聞こえないし読み取れなかった。そのまま彼の槍を盾で防ぎ、合間を縫って聖剣で切りつける。火花を散らしながら一瞬ソロの方へ視線を投げると、何があったのかガレが拳を握ったまま肩で息をしていて、彼はその足元の地面に倒れ伏していた。


「フラノ、ルザレが……癒しが効きません。このままでは危険です」

 聞き慣れない悲しげな声に、フラノが背後へと飛び退る。見ると、ロド、いやログ……双子だろうか? 表情でしか見分けがつかないが、凶暴そうでない方の若い火の審問官だった。筒の男を焼いた金の炎は鎮火していたが、腕は肘のあたりまで失われている。意識を失っている様子に心が痛むが、しかし魔法使いに妙な攻撃を加えた男だ、後悔はなかった。


「ログ、ロド、彼らの護衛を。先に戻れ」

「わかりました」

 指示を出したライに悲しそうな声がぽつりと返事をして、しかし意外と強引なのか気絶したソロを片手でずるずると引きずりながら審問官達を集めると、数名を残してどこかへ転移していった。途端にフラノが槍を持った手をだらりと下ろし、厳しい顔のガレはそれには何も言わず、眉を寄せて苛立ちと嫌悪を抑え込むように腕を組んだ。


「何だあの銃は。宣言もなしに、裁く側が清廉でない審判など──」

 しかしその背をなだめるようにそっとライが叩くと、なぜか大きく目を見開いて硬直する。


「ライ……! な、な、何を」

「何をって、特に何も」

「何も……そうだな。私もなんでもない」


 頰を赤くしているガレを見ておや、と思っていると、ハイロがこちらに歩み寄ってきたのが目に入って警戒と……僅かな期待に背筋を伸ばした。が、すぐに彼女の様子がおかしいことに気づいて心配に気持ちが揺れ動く。


「……しかし、勇者殿の存在が世界の浄化を妨げているのもまた事実です」

 いつもの淡々とした様子と少し違って、萎れた花のように元気がないのはどうしたのだろうか。同じ気の審問官が話す魔竜の話が酷だったのか、浄化の炎で怖がらせてしまったか──


「我々とて、好き好んで貴方を殺めたいわけではない。貴方個人には何の恨みもない。貴方がたが淀みの浄化を、魔王の討伐を諦めてくだされば、我々は敵ではないのです」

「それは、できないよ」

 勇者は答えた。和解の道を提案する彼女の気持ちを否定はしたくなかったが、その欲に従うわけにはいかなかった。


「それは、俺達だって別に好き好んで魔王を倒そうとしているわけじゃないからだ。お前達に信じるものがあるように、俺達もまた信仰と信念を持ってるからだ。お前と敵対はしたくないが、ハイロ。例え人間が滅びることがこの先あったとしても、俺は、人間同士が互いに争い合って殺し合って、森を焼け野原にしながら消えていくなんてやり方はおかしいと思う」

「そうでしょうとも。それしかできないからこそ、人間はかくも醜いのです」


 ああ、彼女のガラスの瞳がどんどん濁ってゆく。追い詰めているのは自分だとわかっているのに、それでもどうしても譲ってやれない。折れた翼にもがき苦しむ彼女を救ってもやれない──


「──話にならぬな。ただ神殿の教えを請うのではなく、気の神官らしく厳密に、己の頭脳で隅々まで思考を重ねてから出直してきなさい」

 勇者の限界を悟ったのか、凍りつくような目でハイロを睥睨した賢者が言葉のつるぎで彼女を切り捨てた。薄茶色の瞳が傷ついたように揺れ、そんな彼女の肩にフラノが手を掛けた。俯いて胸を抑える彼女にフードを被せ、馬の方へ背を押してやる。


 痛みを耐えるような沈黙が降りて、審問官達が覇気のない仕草で馬に乗る。だがしかし、殿を務めるフラノがちらりと振り返り……その瞳が一瞬、ほんの一瞬、初めて虚ろな狂信ではなく、太陽のように澄んだ金に輝いて見えた。





 敵の気配が遠く去ったのを確認して、地面に座って治療を受けている魔法使いの隣へ跪く。人間に傷つけられた痛みにポロポロと美しい涙を零している妖精を抱きしめ、そんな彼を守って負傷した少年の頭を「よくやったな」と撫でた。


「シダール」

 ぐずぐずと泣きながら妖精が頭をこすりつけてくる。


「なあお前、いつの間に訛りなく喋れるようになってたんだ?」

「賢者に教わったけれど……とても、落ち着かないよ」

「そうか」

「うん……訛りは嫌?」

「こっちの方が絶対可愛い」

 脇腹を掠ったという傷を癒された吟遊詩人が真面目な顔で割り込むと、儚げなエルフが涙を拭ってようやくふにゃりと微笑んだ。


「小さな筒みたいな、あれは何だったんだ」

「銃だな。それも魔導光線銃ではなく、火薬を使った物理式短銃だ」

 賢者が顔をしかめた。神官が魔法使いの肩から摘出したどんぐりのような形の金属の塊を、指先でつまんで勇者に見せる。


「数発撃つ度に弾を込め直さねばならぬ代わり、魔力による予兆の類が一切ない。ただ引き金を引くだけだ。威力は低いが、人を殺める程度ならば容易い」

「俺や吟遊詩人はともかく、皆は気配がなきゃ避けようがないだろう。どうしたらいい?」

「……そなた、まさか発射された銃弾を避けられるのか?」

「銃弾ってこの鉄のどんぐりだよな? やってみなきゃわからんが、少なくとも三発目はハッキリ見えた」


 賢者は呆れたように額に触れて緩やかに首を振った。

「どんぐり……いや、基本的にはそなたが行った対処で正しい。弾を防ぎつつ射手を倒せ」

「わかった。次は撃たせないから」

「……途方もないな」

 それに笑い返すと、どっと疲労と……星の光には程遠いハイロの濁った目の色を思い出してその場に座り込む。


「……嫌われたかな」

 ぽつりと言うと、治療を終えて少し疲れた顔をした神官が「わかりませんが、それでも正しいと信じたことを声に出したあなたは立派ですよ」と微笑んだ。


「いつか彼女の呪縛が解けて、あなたの差し出す心に気づく日が必ず来ます。そうなるように私達で救って差し上げれば良いのです。シダル、あなたがそう私に教えて下さったのですよ」

「……ああ。ありがとな」


 とぼとぼと神域へ戻りながら少しだけ涙を堪えていると、失血と治療の名残で顔色の悪い魔法使いが、いつの間にか抱えていたふわふわのミミズクの雛をそっと勇者の肩に乗せた。まだ羽というよりは綿毛とか和毛にこげとかいう感じの感触にほっと心が和み、そして少し緊張した様子で彼らを出迎えた馬や狼達の中で、淡い緑の鹿だけが寝そべってすやすやと眠っていることに笑いが漏れる。


「あの時フラノがなんて言ってたか、賢者はわかったか?」

 ふと思い出して、なんとなく読唇術ができそうな仲間を仰ぐ。すると彼は馬鹿にしたようないつもの笑みを浮かべて、こともなげに言った。


「『顔に出すな』と言っていた。私も同感だな」

「あ、そう……」


 思わずがくりと力が抜けて、泉の側にぐったりと横たわった。そのまま雲ひとつない美しい夜空を見上げて──干し肉の袋をまじまじと覗き込み、浄化の炎に焼かれず、そして瞳を燃えるように光らせた異端審問官を思う。まだ確かなことは言えないが、勇者の直感が正しければ敵がひとり……あるいはいつからか真っ直ぐな目をするようになった彼の副官を入れてふたり、味方に変わったかもしれなかった。





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